一周忌
親よりも大切な伯父が亡くなって一年。一周忌で3日間デジタル機器に触れるのははストップ。自分の記事に「スキ」を下さった方、ありがとうございます。
気を遣わない親族が集まったけど、その間自分は一年以上経ったようには思えない。感覚的なものだけど、三年くらい経った気がする。伯父の命はは9時間の大手術の後に比較的穏やかに経過していて化学療法も受けずに済み、誰もが一安心した5年以上経過した時に急に立てなくなり搬送。急性期治療が終わって回復期に転院した時に「転移・末期が今回の病気」と突きつけられ、そのあとは一時持ち直したものの、この病気お決まりの衰弱になって身体は小さくなってこの世から消えた。あの強い強い伯父でさえ最期はあっという間だった。それは、一年前ではなく、ずっとずっと遠いことのようにしか思えない。伯父の病状の悪化から伯父亡き後にかけて、伯父宅にもいろんなことがあったと思うが、そんなに近しく思っていて頻繁に通っていた自分にも日々何があったのかはわからない。ただ、何か大きな変化の波が流れていることだけはわかっていた。
意外と相手のことをわかっているようで、全然わかってないんだと思うこと(わかっていなかったんだと言うことも含めて)が多い。自分の子どもさえも社会人になってどんな思いで暮らして来たかとか、何をしていきたいのかなんて全然わかっていない。聞いても答えてこない。自分にもいろんなことがあって、と言うか、あり過ぎてその変化にさえ自分が追いついていない。途方もない時間軸にいるようで、残り時間がそんなに長いものでもないんだなと思うし、毎日変化のない日を送っていたとしても、そのどこにも自分が立っていな気もする。どこに足をつけると、自分自身が納得するのか、意外と難しい。
数秘術からのメッセージを受け取り、自分との対話で豊かな人生を送れますように。