手術中にもう結果はわかっている3。
心臓の手術といえば、一般的に大手術ですね。きっと命懸けで患者さんは手術に臨むでしょう。待機手術の場合のリスクは何パーセントですよと、あらかじめインフォームドコンセントが行われていても、生命のリスクや後遺症のリスクは他の手術とは違うでしょう。
日本では長らく心臓の停止を持って、「人間の死」を定義する「心臓死」が世の中を支配していましたから。
心臓手術は基本、人工心肺を使い心臓の拍動を止める。
心臓内の隔壁や弁の手術という心臓の中を操作する手術においては、心臓を切り開き、元の弁を切除したりしたのちに、人工弁を縫い付けたり他の操作を行う。そして心臓を閉じる。
心臓弁膜症で長い経過を辿って手術に望んできている場合は、心筋が肥大していたり疲弊したりしてることが多いです。心臓はギリギリのところで何年も頑張ってきている。心機能は大幅に下がっていることが多いのです。そもそも心臓の「強さ」がギリギリなのです
なので、ちょっとした抑制効果が働いてしまったり、心嚢膜を開いた瞬間に「心停止」になることもある(麻酔をかけただけで心臓が止まってしまうことだってある)。
呼吸の方は呼吸器で酸素を送って調整していても、人工心肺にのせるまでに心停止したのでは患者さん血流が途絶える。そのままであれば重要臓器に血流がなく、後遺症が残るか最悪は亡くなってなってしまう。
歩いて手術室に入室してきた人が、死んで手術室から出てくることは、あってはならない。
ただ、医療には「絶対治ります/絶対成功します」ということはないのも事実です。
心臓まで速やかに到達し、心臓を直接術者が揉みながら血流を出し、その間に人工心肺にのせるためのキャニュレーション(大静脈から血液を抜く管と、大動脈から血液を送り出す管などをそれぞれの場所から挿入・固定すること)を行い、人工心肺を回し始める。肝心の手術に入る前に脳障害になったり、亡くなったのでは話にならない。
そういう患者さんの場合、あらかじめ、そういう展開になることも頭に入れておく。
人工心肺にのせて、大動脈を遮断し、心臓を開けて弁を交換し、丁寧に心臓を縫い合わせてエアを抜く(心臓内にエアが残っているとそのエアが脳などの臓器に送られることによってそこから先の血流が途絶えてしまう、、、何が起きるか想像してみてください)。
大動脈の遮断を解除する、、、、、、、、。この瞬間が身の毛もよだつほど緊張する。
冠動脈に血流が再開して心臓に血液が流れ込み、自然と心臓が動き出せば、まずは先に進める。
ただ、すっかり人工心肺から離脱できるかは別問題なのです。
心臓内に血液が流れ込んでも、拍出できない、、、。心筋はある程度まで引き延ばされてもその分縮んで血液を送り出すのだが、ある一定以上伸ばされた心筋は伸びたままになる。術者は胸を閉じることに専念しており、伸びすぎ(見た目には膨らみすぎた)心臓を見ているのは私だけだった時、、、。越権ではあるが人工心肺からの血液の戻しを止めてもらうが、遅かったか。
人工的にペーシングし、補助循環(ECMO)を回していくが、拍動は弱い、、、。
せっかく弁置換がうまくいっても、、、。エア抜きが上手くいって、心臓を閉じても、、、。
こんなふうに、ほんの数秒で術中に結果がわかってしまうこともあるのです。
従事するこちらの寿命も縮まります。
手術チーム全体も落ち込みます(挫けます)。
手術から相当の年月が離れても、先日のように思い出します。悔いても悔やみきれないものです。
医療に絶対はなく、そして、多くの犠牲の上に成り立っていると強く思います。数えきれない犠牲の上に現在の治療法の確立があったりもします。
きれいごとでは済まない、真実もあるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。