愛にすべてを
FINAL FANTASY TACTICSというゲームが有る。知らない人はチョットググってください(^_^;)
あの大作RPGゲーム「FINAL FANTASY」の、当時1997年頃としてはナンバリングからハズレた珍しい外伝っぽい作品でこちらはSRPG(シミュレーションPRG)として構成されている。SRPG知らない人はチョットググってください(^_^;)
ストーリーはとある西洋風の架空の国家内の内紛が主軸となり、通称「獅子戦争」のそれぞれの陣営、人物の思惑や策略が交錯し、戦闘は従来のナンバリングFFに比べるとチョット難しくて頭を使う。
このゲームの中で国家間の争いは既に終息している設定となっており、イヴァリース国という国内で貴族対平民、貴族同士の争いが描かられる。おはなしは第1章から第4章までの4章構成になっている。
Ch.1「持たざる者」
Ch.2「利用する者される者」
Ch.3「偽らざる者」
Ch.4「愛にすべてを」
上述のとおり、物語を通して大人たちのドロドロとした欲望と策略が殺し合いを生んでいるのですが、4章のタイトルだけが「愛にすべてを」で何か違和感を感じた。
どういうことなんだろう…と同時にごく最近自分の中で疑問になっていた「SDGsとはなんだったのか」という問いが脳内を駆ける。
SDGsとは…
持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)別ウィンドウで開くの後継として,2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。
(↑外務省HPより)
自分も全然勉強してないから引用した。
ようするに国際社会として取り組まなきゃなんねえ課題があるからそれを17の目標にわかりやすくして皆で取り組んでいこうぜ!…っていう解釈で5割あってると思う。
そこでだ。
「最近SDGs良いように使われてねえか?」といつもの捻くれ根性が始動する。
ここ最近みかけるSDGsの文言は企業のイメージアップやイベントのPRのときばかり。つまり、SDGsがなんか「課題」から「広告塔」にすり替えられてるような気がして少しモヤモヤしていた。
これはもしかして、SDGsを掲げる企業やイベントの関係者が、それぞれの課題や目標の本質をスルーして「SDGsってカードを切れば人を集められる」みたいな結末になったりしないだろうかと。
そんな余計なお世話すぎる心配をしていたら、FFTの獅子戦争の構図が頭の中で重なった。獅子戦争の各人生や貴族たちも「民のため!」「王家のため!」「主君のため!」と言って剣を取り、無関係な平民たちまでもを次々虐殺していった。
FFTには二人の主人公がいる。貴族出身で異端者のラムザと平民出身で後の英雄王ディリータ。ラムザは貴族でありながら兄達や周囲の諸侯のやり方に疑問を感じ、家柄を捨て異端者(いわゆる指名手配)になりながらも友や家族への愛を貫く。一方ディリータは平民出身で貴族との格差に義憤を感じながら策略を駆使して出世を積み重ね王となり国を平定する。
ここで最終章の「愛にすべてを」が利いてくる。家や名誉、全てを捨て愛を守り通したラムザと、愛する妹らを失い死にものぐるいですべてを手に入れたディリータ。つきなみかもしれないが幸せなのはどちらのほうなんだろうという問いかけがプレーヤーに向けられているような気がする。
そんなこんなでいろいろ目まぐるしく考えていたら、なんかSDGsも目標を17に絞ったり、広告にわざわざ謳ったりしなくても愛があればすべて解決できるんじゃねーのという発想に至ってきた。
①貧困をなくそう→愛があればいけるっしょ
②飢餓をゼロに→愛があればいけるっしょ
③すべての人に健康を福祉を→愛があばいけるっしょ
④質の高い教育をみんなに→愛があればいけるっしょ
以下続く…
本当にいけるかどうかは、それぞれがそれぞれの目や耳や感性で確かめて欲しい。少なくとも、SDGsという言葉が、ただ広告文に貼るだけの作業にならないでほしいと願う。
愛にすべてを。