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旅行記その2〜遠ざかる美しい記憶

1月9日(火)

両親と一緒に祖父母の家に行った。約7年ぶりの訪問になる。祖父母宅は農家で、家の前に一本道があるのだがその両サイドには田んぼがあった。小さい頃、祖母に連れられそのあぜ道で土筆を採って食べた。別の日には長靴を履いて田植えを手伝わせてもらったが、田んぼのぬかるみの気持ち悪さと大の苦手の虫の多さですぐに手伝いを止めてしまった。視点を遠くに移すとそこには鮮やかな田んぼの色が目に入っていたはずだ。

子どもの頃の記憶というものは美化されるもので、実際にはそこまで鮮やかではなかったのかもしれない。

7年という月日の間に、祖父母も高齢となり畑仕事を辞めたそうで、田んぼがあったはずの場所は、背丈ほどもある雑草が生い茂る草地に変わっていた。その変貌のあり様に衝撃を受け、田んぼだったはずの風景を懐かしもうと思い出そうとすると、記憶にある風景がどんどんと僕の手の届かないところへと遠ざかってしまっているような気がする。

思い出そうとするもののはっきりとした風景は思い出せず、小さい頃の田んぼでのエピソードが肉付けされると美しさは増すもののさらに遠のき、いつの間にかとんでもなく美しさを呈してくる。


手の届かない美しい記憶を描き出そうとあがいても遠ざかるばかりで悲しい気持ちが増してしまうので、今後は懐かしむのはほどほどにしておくことにしよう。


両親が定期的に草を刈ってくれているそうだが、それでも人間の背丈を超えるものも多くあった。雑草の成長スピードやおそるべし。

田んぼがあるという風景を当然のように思っていたが、農業の働き手の高齢化が進行し耕作放棄地が増えると小麦色も見られなくなるのかもしれない。

景色が見られないなどという悠長な話では片付かず、里山の現象が引き起こす様々な問題もあるだろう。

人口減少社会において、これからの世代の人達のために自分に何ができるだろうか。

写真は、祖父母宅の近くで見つけたお惣菜。札幌ではタンの惣菜なんて見かけないな〜。

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