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中曽根合同葬問題に関する議論を振り返って─今泉定助、葦津耕次郎による国葬問題への「進言」と、戦後の皇室祭儀国事・私事・公事論を手がかりに─

中曽根合同葬と国民世論の猛反発

 本年10月17日、昨年11月に死去した中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬が執り行われた。中曽根合同葬は昨年12月の時点で本年3月執行と予定されていたが、折からのコロナ禍により延期となり、9月の閣議であらためて10月17日執行と決定された。しかし閣議が行われた9月もなおコロナ禍のただなかにあり、しかも中曽根合同葬の費用として政府予備費から約1億円の巨費が支出されることになったため、中曽根合同葬の執行決定は国民世論の猛反発を招いた。
 外交儀礼に象徴的であるが、国として一定の儀礼の執行は必要であり、それは当然に葬儀や慰霊追悼など宗教的な儀礼の執行の必要も出てくる。天皇の大喪はいうまでもなく、過去には吉田茂の国葬などが執り行われており、近年では橋本龍太郎、小渕恵三、宮澤喜一など、全員ではないが歴代首相の合同葬も執り行われている。その他、政府主催の全国戦没者追悼式や東日本大震災の犠牲者の追悼式なども例年執り行われている他、翁長雄志元沖縄県知事の県民葬など自治体単位で執り行われた公葬も記憶に新しい。
 その意味で中曽根合同葬への世論の猛反発といっても、合同葬そのものを執り行うべきではないという意見はあまりにも極論である。また中曽根合同葬への約1億円の政府予備費の支出について、その金額が妥当かどうかの判断は難しいが、これまでの合同葬への政府の支出もおよそ同額であることを踏まえると、費用面でも特段問題があるとも思えない。
 問題は、このコロナ禍の中での巨費の支出も含め中曽根合同葬を強行するべきなのかという点にあるだろう。コロナ禍により国民生活は大変な状況にあることはいうまでもない。生老病死に関わることでいえば、肉親が病気で入院しても、コロナの感染拡大に神経をはらう病院側の措置によりお見舞いもままならず、なかには最期を看取ることすらできなかったという人もいる。また、そうして亡くなった肉親の葬儀もコロナ禍のため満足にあげられなかったという人もいる。
 国民が肉親の最期を看取れず、万一亡くなった場合も十分に弔うことができないような状況で、大規模な合同葬を執り行うことはあまりに無神経である。またコロナの感染拡大を防ぐため、国民には様々なイベントや集会の自粛を要請しながら合同葬を実施することも不可解であり、国民感情を逆なでするものである。中曽根合同葬の執行はその時宜にかなわず、コロナ禍が収束するまで延期すべきであり、世論の猛反発は当然のことであった。

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日本武道館で執り行われた吉田茂元首相の国葬の様子 中央は弔辞を読む佐藤元首相

弔意表明の求めに対する思わぬ批判

 ところが合同葬が近づき始めると、世論の猛反発は思わぬ方向に進み始め、異様な雰囲気となっていった。
 そうというのも、政府は関係機関に対し、中曽根合同葬当日、弔旗の掲揚と黙とうの実施という弔意表明を求めていた。これをうけ、例えば文科省は国立大学などに弔意表明を求める通達を発出したのだが、こうした動きがセンセーショナルに報じられ、世論の猛反発が思わぬ方向に進み、異様なまでの批判の強まりとなっていったのである。要するに政府・文科省の弔意表明の求めは、公権力による人々の思想信条への介入、そして教育への介入と受け止められた。折からの日本学術会議の会員任命拒否問題もあり、政府による教育や学術への不当な介入、統制という意味で過剰に警戒されたという面もあるだろう。
 さらに弔意表明の求めにおける弔旗の掲揚も問題視された。すなわち弔旗の掲揚方法の参考資料として戦前に定められた「大喪中ノ国旗掲揚方」が紹介されていたため、中曽根合同葬をあたかも天皇の葬儀である大喪の礼と同格とするのか、あるいは中曽根元首相を天皇のように敬えというのか、ひいては政府は皇室をないがしろにしているのかといった批判が飛び交い始め、なかには中曽根合同葬を大喪の礼のごとく執り行おうとする「不敬」なる政府に対し、右翼・保守・愛国者は抗議するべきだなどといった不穏な言辞が散見されるまでの事態となった。

「前例踏襲」としての弔意表明の求め

 こうした批判は感情に任せたものであり、中曽根合同葬への批判として的確さを欠き、事の本質をつくものとは思えない。
 まず政府による弔意表明の求めは、歴代首相の合同葬でも行われてきたことであり、今回の中曽根合同葬においてだけことさらに政府が求めたものではない。
 政府による弔意表明の求めが思想信条への介入であるという批判はあっていいし、実際に歴代首相の合同葬における政府の弔意表明の求めに対し、法曹界や教育関係団体などが抗議声明を発表したり、撤回を申し入れたりしているが、いずれにせよ今回の中曽根合同葬における政府の弔意表明の求めは、これまでの合同葬の前例踏襲に過ぎない。
 なお、こうした弔意表明の求めは、歴代首相の合同葬に対してだけでなく、例えば東日本大震災の追悼式典など、政府主催の慰霊追悼式典などでも発せられているものであり、特定の故人に対し特別な弔意表明の求めをしているわけではない。
 また弔意表明の求めにおける弔旗の掲揚方法の参考として「大喪中ノ国旗掲揚方」が紹介されたことは、中曽根合同葬を天皇の大喪の礼と同格に位置づけるなどといった話ではない。
 確かに「大喪中ノ国旗掲揚方」は、明治天皇の大喪の礼を執り行うに際し政府が弔旗の掲揚方法として定めたものであるが、それ以降は弔旗の掲揚方法の一般的なプロトコルとされ、戦前でも元軍人の公葬などに際して準用されており、戦後の歴代首相の合同葬や政府主催の慰霊追悼式典に際しても準用されている。
 また今回の中曽根合同葬における政府の弔意表明の求めにおいて、弔旗の掲揚方法は半旗の掲揚でも可とされており、「大喪中ノ国旗掲揚方」が絶対に求めるられているわけではなかった。
 こうしたことを踏まえると、政府が中曽根合同葬に関し、特別に国民に対し弔意表明を求め、思想への介入や統制をしようとしているとか、政府は中曽根合同葬を天皇の大喪の礼と同格に位置づけており、そのような政府の姿勢は「不敬」であるから右翼・保守・愛国者は怒れなどといった批判や主張は全く的外れといわざるをえない。

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「大喪中ノ国旗掲揚方ノ件」に示された弔旗が掲揚されている民主党政権時の首相官邸と、東日本大震災追悼式における弔旗掲揚について「大喪中ノ国旗掲揚方ノ件」の準用を求める通知

ハレとケ─原口議員の神嘗祭と合同葬論

 中曽根合同葬に対する世論の反発の思わぬ方向への展開は、これに留まらなかった。
 中曽根合同葬の直前、国政の諸問題に関して関係省庁の担当職員に野党議員が質問し説明を聴取する野党合同ヒアリングの場において、立憲民主党の原口一博衆院議員が中曽根合同葬の問題について質問したのだが、そこで原口議員は中曽根合同葬が執り行われる10月17日は、宮中祭祀のうち神嘗祭の日であるのに、なぜその日に合同葬を執り行うのかとの趣旨の質問をしたのである。
 神嘗祭は17日午前、中曽根合同葬は同日午後からであり、儀式そのものは厳密にいえば重なるものではない。また宮中神嘗祭は明治時代から執り行われるようになったものであり、幕末の国学者である鈴木重胤の神学にあるように、あくまでも伊勢神宮における神嘗祭が天皇親祭の宮中での新嘗祭と対応する祭祀の本義であると思われるところ、神宮神嘗祭の祭日と中曽根合同葬の日程が重ならないなかで、なぜここにきて突如として宮中神嘗祭が注目されはじめたのかわからないのだが、いずれにせよ原口議員が主張するには、日本には古来より「ハレとケ」というものがあり、神嘗祭という「ハレ」に対し、合同葬という「ケ」つまり穢れは区別するべきだそうだ。
 いわゆる「ハレとケ」は民俗学の分野の概念であり、宮中祭祀や国家の儀礼の執行に持ち出すのが適切かどうか不明ながら、いずれにせよ中曽根合同葬は穢れであるから神嘗祭の当日に執り行うことは相応しくないという主張は成り立つのだろうか。

今泉、葦津の「進言」に見るハレとケ

 こうした時、私たちは先達の教えを振り返る必要がある。
 戦前の神道家である今泉定助、葦津耕次郎は昭和9年、東郷平八郎元帥の国葬の葬儀委員長に明治神宮の有馬良橘宮司が任命されたことに対し、両氏連名にて斉藤実首相宛ての「進言」(「今泉定助外一名国葬ニ関スル進言」国立公文書館所蔵)を提出している。
 「進言」は、神職は葬儀に関与してはならないという明治15年の政府の通達(神職葬儀不関与達)がありながら、有馬宮司が東郷元帥の国葬の葬儀委員長に就任し葬儀に関与することを取り上げ、

東郷元帥ノ薨去ハ全国民ノ痛惜ニ堪へサル所ニ有之候 是ト同時ニ大ナル慶賀ト大ナル禍事ノアリシ事ヲ喜ヒ且ツ憂ヘサルヲ得サル処ニ候 大ナル慶賀トハ葬儀委員長ニ其人ヲ得タルノミナラス国民朝野ノ永キ迷信ヲ打破スルノ機会ヲ得タル事ニ候 大ナル禍事トハ政府当局カ国家ノ厳然タル国法ヲ無視シ国憲ヲ蹂躙シタル事ニ候

として、神道の立場から、有馬宮司が葬儀委員長に任命されたことを喜び、これをもって今までの迷信が打破されるとする一方で、これは神職葬儀不関与達に違反する政府の重大な違法行為だと非難するのである。
 そして「進言」は、

殊ニ誕婚葬祭ハ人倫ノ大本ニシテ生ヲ迎ヘ死ヲ送ルノ最モ重大ナル大礼ニ候

と誕生、婚姻、葬儀、祭礼は人倫の大本であり、人生の中で最も重大なる大礼と位置づけた上で、そもそも明治政府が神職不関与達を発出した背景には、そうした人倫の大本、ことに葬儀が人倫の大礼であることを認識しなかったことによるものであるとともに、

死ハ穢ナリ穢ニ触ルヽハ神明ニ奉仕スル者ノ慎ムヘキ事ナリト云フ偏見的迷信ヨリ出発シタルニ有之候

と指摘するのである。
 神職葬儀不関与達の背景にある「死は穢れであり、神職は穢れに触れてはならない」という認識が「偏見的迷信」であるというのならば、穢れとは一体何なのだろうか。「進言」は次のようにいう。

元来穢トハ死ニ限ラス病気病難ハ勿論喜怒哀楽ニ至ル迄苟モ中正ヲ失シ過不及共ニ偏スルモノハ何レモ皆穢トナルモノニ候

 つまり穢れは死だけに限らず病気病難も穢れであり、そればかりか喜怒哀楽にいたるまで、中正を失し、過分過剰なもの、もしくは不足不十分なものなど、いずれも極端に偏っているもの、あるいはそうした状態を全て穢れというのである。そしてそうであればこそ、

吾人ノ祖先ハ祓ノ行事ヲ垂示シテ穢ヲ善化シ美化シ向上発展セシムルノ途ヲ伝ヘタルモノニ候 穢ハ断然祓フヘキモノニシテ逃避スヘキモノニ無之候 殊ニ神職ハ自己ヲ祓ヒ他人ヲ祓ヒ清メテ之ヲ善化シ美化シテ神国ヲ顕現スヘキ絶対唯一ノ使命職司タルハ勿論ニ候

と穢れから逃避するのではなく、祓い清め、穢れを善化美化し向上発展させる使命があるとする。
 このように考えると、原口議員のいう「ハレとケ」、すなわち中曽根合同葬は穢れであるから神嘗祭当日に執行するのは問題があるという主張には、いささか首肯しかねる。中曽根合同葬を含め葬儀とは人倫の大本、人倫の大礼であり、神職が関与してもいい、むしろ関与するべきものであるのだから、それはこれまで神職が関与していた祭祀と同種のものであり、「ハレとケ」の論理をもって神嘗祭当日に合同葬を執行することはけしからんとはいえない。

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「今泉定助外一名国葬ニ関スル進言」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A10110772000

皇室の祭儀礼典は国事か私事か

 あえて神嘗祭と中曽根合同葬の執行の関連について議論すべき課題を設定するならば、それは恒例の宮中祭祀や御大典、御大喪といった特別の祭儀など皇室の祭儀礼典と国家による儀礼の別ではないだろうか。
 今泉とともに「進言」を提出した葦津の子であり、戦後神社界を代表する言論人である葦津珍彦は昭和59年、自身の論文「皇室の祭儀礼典論」のなかで皇室の祭儀礼典は国事なのか私事なのか検討し、それは「国務圏外」のものであり、政府や議会の介入を許さない社会公共の天下の重儀、皇室尊貴の大事という意味での「私事」とした。
 もちろん珍彦の「私事」論に対し、希代の神道神学者である上田賢治は「皇室の祭儀は国事たるべし」と反論を提起している。神道界全体としても、どちらかといえば「国事」論がおよそのコンセンサスであったようだ。
 他方、合同葬の国事、私事についてはどう考えるべきか。合同葬は文字通り内閣と自民党の合同の葬儀であり、その点で私的な性格は否定できないが、閣議により日程はじめ詳細が決まり、政府予備費が支出され、政府が関係機関に弔意表明を求め、三権の長や諸外国から弔問客が参列し、また天皇陛下のお使いが差遣され、皇族方が参列するといった儀式の全体を見れば、これを国事でないというのは無理があろう(公葬における国式国礼〔神式〕の確立という英霊公葬神式統一運動の見地から、無宗教式の中曽根合同葬は国事として不十分だという主張もあるかもしれないが)。
 いずれにせよ神嘗祭は国事か私事か、国事ならば同じ国事である合同葬との関係はどうあるべきなのか。あるいは私事ならばどうなのか。国事と国事、国事と私事の執行の前後関係や優劣などは議論する課題であった。

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珍彦の「私事」論への反論である上田賢治「皇室祭儀は国事たるべし」(神社新報昭和59年4月2日)

「公事」という視点から

 中曽根合同葬への世論の猛反発は思わぬ展開を見せ、「不敬」であるとか、「ハレとケ」からいって穢れであるとか、何か全く見当違いの批判が強まり、ためにその批判は本質に刺さらず、議論も深まらず、一方で「けしからん」という人々の呪いのような絶叫の中で、政府により強行的に執行されていった。国家の儀礼の執行のあり方として、これでよかったのだろうか。今泉と葦津の「進言」は、政府の重大なる違法行為を批判するものだが、その改善を文字通り「進言」するものであり、国家儀礼への敬意こそあっても、呪うようなものではなかった。
 本年の全国戦没者追悼式における天皇陛下のお言葉には、皆が手を共に携え、このコロナ禍の困難な状況を乗り越えることを願うとの異例の一文が添えられていた。天皇陛下の願いとご心配が何であり、そこにおいて私たちが何を考え、何をなすべきなのか、それはいうまでもない。中曽根合同葬もその点から議論されるべきだった。
 神社新報は昭和27年、社説で宮中祭祀は公事か私事か論じている。すなわち一般的に宮中祭祀は私事と称されるが、その祭祀は国民の平和や幸福、社会の安定を願うものであり、天下公共に関する祭祀、公的な祭祀、つまり「公事」だという。政党の大会が私的な政治団体の行事であろうとも、その本質が公的なものであることにより天下の公事と称されるように、と。
 そうであるならば、神嘗祭は珍彦のいう「私事」かもしれないが、紛れもなく天下の公事である。一方、中曽根合同葬は確かに国事であるが、コロナ禍での国民の平和や幸福、社会の安定への願いが十分ではなく、私党の私的関心が優先されてしまい、公事としての意識が薄かったといえるだろう。
 神嘗祭は公事であるが、中曽根合同葬はどうなのかという議論がなされなかったことが残念でならない。今後の議論の材料として、本論を提起したい。


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