「歴史を学ぶ」ではなく、「歴史に学ぶ」で
私はよく「歴史に学んだほうがいい」と言っている。細かいようだけど、「歴史を学ぶ」ではない。同じようなことを言っているようで、このふたつは(自分のなかでは)まったく意味が異なる。
「歴史を学ぶ」は、単純に学問研究の行為、といった意味合いが強くなる。もちろんそれも尊い行為だけど、それで終わらせず、歴史を「師匠」にして学ぶ姿勢があってもいい、と、私は万人に訴えたいのである。
「学問」ではなく「師匠」として、歴史から教えを乞う意義とは何か。
それは今に横たわる問題や、長く続く諸悪の原因が何なのかを探り当て、これからのよき日本・よき社会をつくっていくための材料にできる、ということ。
だから、何のために歴史から学ぶかといえば、「政治」の答えを見つけるヒントにするため、「政治」についてあれこれ考える判断材料にするため、ということになる。
昨今のだらしのない政治に飽き飽きしている人は多いと思う。何がゴールなのかわからないコロナ問題、なかなか抜け出せない景気不況、国の衰退を決定づけるかもしれない少子化など、多くの問題を抱えながら何の打開策も打てずもたもたするばかりで閉塞感は強まる一方。あきれ果て、あきらめる国民は政治にますます背を向ける。
しかし、そんな状況でも、政治に関心を向け、国や社会がよくなることを願う人も、まったくいないわけじゃないと思う。
政治についていろいろ知りたいけど、何から勉強すればいいかわからないといった人たちには、まず歴史を学び、歴史に学ぶことからはじめるのをすすめたい。歴史といっても弥生土器の知識や戦国武将の武勇伝ではない。戦前から戦後にかけて、日本で起こった近現代史についてだ。
現政権を担う自民党の政治が問題と考えるなら、そもそも自民党とは何なのか、どういった経緯で犬猿の仲であった「自由党」と「民主党」が手を組み、「55年体制」が出来上がったのか。この点にも関心を向けてほしい。
そして、そんな運動が生まれる背景には何があったのか。そうせざるを得なかった戦後日本の出発点はどんなもので、当時の国際情勢はどうだったか、この辺りの史実と向き合ってみると、日本で長らく自民党一択の時代が続いた理由、アメリカのような二大政党制にならなかった事情も見えてくるはず。
政治の「今」の問題は、昨日今日突然に降って湧いたものじゃない。さかのぼってみれば必ず根本的な原因にぶつかる。近すぎると全貌が見えないのと同じで、現状に焦点を合わせるだけでは原因から対策までの見通しをつけるのは難しい。遠目や俯瞰の位置に立つことで、視界も開けてくる。そんな近視眼の不明瞭さを改善するピント合わせの装置として、歴史は機能すると思うから。
面白みもなくエモさもない、昨今嫌われがちな正論こくスタイルのコラムですが、政治に関しては面白さや過剰な情緒などかえって有害で、これはもう真っ向正論でいくしかないと考えを強めているところです。
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