情報と日本人。情報戦において日本人に足りないものと先んじているもの
日本はアメリカと戦う以前に、情報戦に敗れていました。その結果、日米戦争にも敗れました。
前回書いた記事はまあそんなことに触れています。
私たちの周りには“情報”があふれかえっています。ひと昔前は「高度情報化社会」なんて言われていましたが、今はほとんど「情報氾濫化社会」と言ってもいいくらい、ここでもあそこでも、あの人もこの人も、情報情報と口にする光景がみられます。これだけ情報があふれかえっている現象だけみても、情報というものがいかに情報であるか、これについてはだいたいの人が認識するところだと思います。
ところで、そもそも情報とは何なのでしょうか?
『大本営参謀の情報戦記ー情報なき国家の悲劇ー』(堀栄三著)から、“情報”について述べた文章を引用します。
「……情報とは結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちの前に心のなかを見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す…」
父は何度も「仕草」という言葉を使った。仕草とは軍隊用語で徴候のことである。情報のことは知らないという父から受けた初めての情報教育であった。
著者である堀栄三氏は、大本営陸軍参謀本部情報課の情報将校として米軍戦法の研究に携わった人です。「情報とは仕草である」と、父から学んだと言います。
情報にもいろいろありますが、世の中に流布するのはたいてい「人の心が引っ付いてくる情報」ではないでしょうか。
情報の中身以前に、その情報を提供する人間の心がある、という問題。
テレビ・ラジオから流れる情報、インターネットの情報、雑誌に書かれている情報、書籍に書かれている情報、これらの内容がどうこう言う以前に、情報を発信する側がいれば発信する意図や目的、思惑、感情などが必ず引っ付いてきます。
もちろん、「データ」と呼ばれるような科学的検証を経て世の中に出てきた情報は別格ですが、これとて、そのデータを使うとなったとき、使う側の人間の心が絡んできます。データは必ずしも真理の発見とか科学技術の発展とか、そんな崇高な目的ばかりに使われるとは限らないわけです。
情報は何もしなければただの物質みたいなものですが、それが人間の手に渡って人間の心を介したとき、ただの情報ではなくなります。
流れてくる情報には流す人間の心が引っ付いてきて、その心理を読み解く作業こそ情報解析の肝になってきます。
つまりは、その情報の「裏を読む」ようなことも時と場合によっては必要なわけですが、この「裏を読む」行為が苦手なのが日本人という民族なのかもしれません。
日本人は裏を読む能力や技術がないわけじゃなく、そもそもそんな人を疑うような行為を生理的に嫌う民族的気質があるのではないか、ということです。
法律や制度も性悪説ではなく性善説を前提として設計されたものが目立ちますし、それらが定着しているということは、日本人の気質に合う面が大きいからではないでしょうか。
「テレビに出てくる東大出のエライ学者さんが、まさか間違ったことを言うはずがない」と考えるのが多くの日本人に言えることで、そこで裏を読んで難癖付けるような人はたいてい面倒な人気難しい人疑い深い人扱いされて嫌われます。
「疑っちゃいけない」「悪いようにとっちゃいけない」といった道徳的観念は素晴らしい美点でもありますが、それがあまりに強すぎると情報をみる目が曇る弊害が起きてしまいます。
しかし、日本人の問題はこの「道徳心が強すぎる」ことで、裏を読む能力はないどころか、世界で一番優れた民族ではないか、と考えたりもします。
だって、日本は「察する文化」「忖度する文化」じゃないですか。
人の気持ちを察したり、場の空気を読んで先回りして、あれこれ工夫したり手を回すのは日本人の得意とするところでしょう。
だから、裏を読めないわけじゃなく、読もうとする心を引っ込めてしまう気質が問題なのです。裏があるのを感じながら、「それを言うのはよくない」と、これまた察して口にしない。黙って飲み込み見なかった、何も思わなかったことにする。日本人同士だったらそれでいいけど、嘘やごまかし、はったり、偽情報などをばらきかく乱させる厳しい国家間のインテリジェンス競争の世界では、通用しないどころか邪魔でしかありません。
日本人の「察する力」は、人間の心が引っ付いてくる情報解析にも生かされる部分はあるはずだと考えます。日本は先の大戦では情報解析がまるでなっていなかった、その原因は情報を軽視して情報の高度人材を育てなかったことに起因します。これを反省材料として、国を挙げて情報教育をやる。そして優秀なインテリジェンス人材を育てる。安全保障に寄与するだけでなく、貿易競争や国際協定のルール作りにも強くなり、経済にもプラスに働く。何が言いたいかといえば、国民生活と無関係ではないということです。
参考文献:
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