大和の光と影。フローとストックの関係
日本海軍が渾身の力を振り絞って生み出した戦艦大和は、科学技術の結晶体であり、幾多の技術に彩られた唯一無比の芸術作品ともいうべき存在でした。
しかし大和が誕生したときはすでに、海戦の主役は戦艦から航空機に移っており、もはや補助兵力として格下げされるのは避けられない運命だったのです。昭和20年4月7日の大和出撃は、日本海海戦のような華々しいひのき舞台とは全く無縁の、墓場を求めて海に出るような悲壮感に満ちた戦いでした。
そんな戦艦大和ですが、戦後はことあるごとにその魅力に迫る著述が発表され、映画や大和をモデルにしたアニメも放送されるなど、“大和ブーム”なる現象を頻繁に巻き起こしています。
あのような未曾有の巨大戦艦を日本人が手掛けたという史実に偽りはなく、敗戦によって打ちひしがれた国民にとって、いくばくかの心の支えとなったたことは間違いないでしょう。事実、大和建造に使われた当時の技術は、戦後復興のけん引役でもあった造船業界の躍進の原動力ともなりました。戦後に発表された多くの大和研究や、大和を題材にする娯楽作品の中にも、そうした光の部分を強調し、日本人を奮い立たせるものが多々あります。
確かに、大和の歴史にはらむ「光」の存在を認めることは大切です。しかし、大東亜戦争を俯瞰してみるとき、大和誕生から特攻で撃沈されるまでのヒストリーの本質は、「光」ではなく「影」の部分にこそ集約されるのではないか、と個人的に考えます。そして振り返るに、日本人は大和の歴史に差し込む「影」と正面から向き合ってきたのだろうか、と思わずにはいられません。
戦後の日本人に、勇気と自信を与える役割を果たしてきた大和の「光」は、悪く言うと「消費」されてきただけに過ぎないのかもしれない。古今東西の国で残されてきた「歴史に学べ」という格言。えてして、多くの教訓を残してくれるのは負け戦や失敗といった歴史の「影」の部分なのです。そこから何かを学び、国や国民が共有し受け継いでいくことで、財産となります。
歴史からの知恵をストックするには、時代の流れを読み間違えた原因は何か、巨大戦艦を建造する計画に海軍内でも反対する動きはあったのに、それをを止められなかったのはなぜか、そして無謀な作戦と知りつつ丸裸の大和を沖縄に向かわせた背景には何があったのか、きちんと検証した結果を後世に残していく作業こそ、歴史を直視するということではないでしょうか。
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