日本人にとっての『戦艦大和』
「大和が沈むときは、日本が沈むときだ。だから、自分はここに残る」
これは、大和特攻を前に退艦を拒否した若き少尉候補生の言葉です。戦闘経験者のみを残してその他は陸に戻すという司令部命令に対し、何人かは艦内に踏みとどまり、無類の戦艦と運命をともにしました。
戦艦大和。歴史に詳しくない方でも、多くの日本人が知る存在。この超弩級の大艦は、昭和16年12月16日、真珠湾作戦から約一週間後に竣工しました。同じタイプの『武蔵』とともに、日本海軍が最後に建造した戦艦でもあります。
全長263m、満載排水量72,800t。主砲の口径46㎝、砲身単一の重さ160t。主砲から放たれた砲弾は初速秒速780mで飛翔し、40km先の艦艇をも捕捉する―。すべてにおいて世界最高のポテンシャルを持つ日本海軍の至宝は、戦艦というカテゴリーを超え、もはや一種の芸術作品という感すらありました。
大和が完成したとき、多くの海軍関係者が「これがあれば、アメリカにも勝てる」という感想を抱きました。戦局も次第に悪化、占領した島をことごとく奪われ、貴重な戦闘機や軍艦、パイロットを損失する中でも、「大和がいる限り…」という淡い期待が将兵たちの胸中から消えることはありませんでした。しかし実際の姿は、敵の戦闘機や空母が跳梁する中で出る幕を失い、美しい瀬戸内海の錨地で留め置かれる“無用の長物”に過ぎなかったのです。
最終的に大和は航空機の護衛もないまま、沖縄に向けて特攻出撃を敢行。雲霞のごとく押し寄せた米戦爆連合の執拗な攻撃に遭い、轟沈します。内地ではちょうど桜の花が散り始める頃でした。
大和の犠牲がなくても、日本の敗戦は避けられなかったでしょう。しかし、冒頭でお伝えした「大和が沈むときは、日本が沈むときだ」という言葉は、大和が持つべき悲運を語っているような気がしてなりません。
戦後、戦艦大和を題材とする映画やアニメ、小説などが数多く生まれました。その多くが日本人の感傷を誘ってきたのは、単に辿った末路の悲劇性、娯楽としての魅力があったからだけでしょうか? 大和とは、日本人が戦った大東亜戦争を象徴する遺物であり、もっといえば日本という国、日本人という民族を映す鏡のような存在だからこそ、さまざまな媒体で語り継がれているのではないでしょうか。
“量”を誇るアメリカに対し、“質”で対抗しようとした気概とプライド。
過酷な試作環境にも負けず、とことん技術を練磨して一級を追い求めた職人気質。
時代の変化という現実と向き合うことができず、信じるものを何より優先してしまう非合理性。
大和は誕生とともに神話となり、日本人の思考と行動をがんじがらめに縛り付け、最後は海の底に沈んでいきました。
良い意味でも悪い意味でも、戦艦大和は私たち自身の姿です。大和を思うことで、昔の日本人、今の日本人について考え、この国の未来についても考えてみたい。というわけで、note出だしのコラムは『戦艦大和』で飾っていきますので、お立ち寄りの際はよろしくお付き合いください。
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