
滅びた新ジャンル日本画【02】-その誕生前-
先回のお話。
時代は明治、若きアメリカの秀才によって見いだされた日本美術。
秀才アーネスト・フェノロサは「Japanese painting」と言いました。
これが日本画の語源でしたね。
フェノロサが「Japanese painting」としたのは
写真のような写実を追わない。
陰影が無い。
輪郭線がある。
色調が濃厚でない。
表現が簡潔である。
でした。
文明開化以前の日本ではこの平坦で簡単な絵しか描けなかった。
そのやり方しか知らなかった。
というイメージが根強いです。
末端の絵師達はそうだったかもしれません。
しかし、名のある絵師や、絵師集団の棟梁クラスの人達はヨーロッパ画法を知っていました。
少なくとも安土桃山時代からは。
織田信長や秀吉、家康が目立ってた時代ですね。
織田信長といえば第六天魔王とか自分で言っちゃうほど狂気の人。
怖いイメージですよね。
でもみんなの知ってる信長の顔

比叡山丸焼きにしたり妹の旦那の頭蓋骨を杯にしたりした恐ろしい人…

当時世界最大の銃撃戦を実行し、鉄板貼りの軍艦を建造し、
ヨーロッパの宣教師達が慌てて
「やばいです。」
「凶暴な天才がいて危険です。」
って本国に連絡したほどの恐ろしい男…
には全然見えない。
絵師ヘタクソか。
ちなみに宣教師が描いた信長がこちら
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スターリンみたいです。
こんな顔でヨーロッパ製の甲冑を纏い地球が丸いという事も即時に理解。
経済にも明るく、軍事では他を圧倒。
怖いです。
こんな先進的で恐ろしい面も持った人が

この肖像画でブチ切れて絵師を逆さ貼り付け火炙りの刑にしなかったのは何故か?
ちゃんと描けば

こうなることをしってるのに

これでよしとしたのは何故か?
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それはアイコン、サムネだからです。
ツイッターやLINEなどに自分の顔を正確に描いたものなんて使いませんよね。
写真なら使いますけど。
日本では肖像画ってそういうものだったんです。

当時の絵師達は南蛮文化を取り入れて、ヨーロッパ画法も学んでるんですよ。

上の二つは信長の頃より少し時代が下り、家康が天下取りかけてる頃だと思いますが、まあ大きく見れば同じ時代。
この頃日本に来てた欧米の人達は、ラテンヨーロッパの人達です。
ということはカトリック教徒が多いです。
カトリック教徒は世界に教義を広める目的を持っていますから宣教師もいっぱい来ました。
京都にな南蛮寺と呼ばれるキリスト教会も建てられました。
そんな環境ですから、宣教師に混じって大量にヨーロッパ文化が伝わってます。
じゃあそこからは、アートの世界も一気にヨーロッパの文脈に乗ってないの何故?
それは、ヨーロッパですらまだ「アート」は現代でいう「アート」では無かったからです。
絵って、宗教装置の一部か、インテリアの一部でしか無かった
のですね。
あとは説明図くらいでしょうか。
とはいえ、ヨーロッパではいかに真影を捉えるかを競ってたのに対して、日本では「本物そっくりじゃなくてええやん。」だったの何故か?
ここからは私見なのですが、言葉の違いがそうさせたのではないかと思います。
同じ人間ですから、人種が違っても生理的な違いなど有りません。
ただ環境遺伝というような事で違いがあるだけです。
さて、元々無文字文明だったこの国に大陸から文字が伝わりました。
文字は漢字です。中国から入ってきました。
入ってきたばかりの頃、漢字は全て当て字なので暴走族と同じです。
夜露死苦!です。
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
これ名前です。
あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと
って読むらしいです。
暴走族だってここまではやりません。
ですが、漢字輸入当時はこれでスタンダードでした。
単なる当て字のままなら、現代の暴走族と同じようにやたらと漢字が並んで面倒くさいだけです。
ところが、漢字は文字一つで意味を表してしまうという能力を持っています。
元々の読み方である音読みと、意味を表す読み方訓読みを使い分けるというとんでもない事を日本に住んでた人達は始めてしまいます。
その組み合わせの凄いことったら。
まだワープロが英語版しか無かった時代、日本語ワープロの実現など未来永劫無理だと言われたほど、日本語は巨大化してしまったのです。
それでは叶わんというので、音だけで書けるカナ文字が開発されました。
これなら五十個くらい覚えておけば、言葉の音を写すだけです。
ところが!
もう日本語は漢字の音読み訓読みの混在で言葉自体が高度な抽象化に至ってしまい、カナ文字だけでは伝わりにくくなっていました。
おわた…
人類は、国籍や人種、性別などで優劣なんかあるわけが無い。
そんなもんは絶対に有りません。
文化差というものがあるだけです。
その文化差の生まれる一因として、
言葉の違いがあると仮定できないでしょうか。
もちろん、違いがあるだけで優劣など無いです。
日本語の特殊さは、絵画表現にも現れていると考えられないでしょうか。
えーっと、そこら辺に関する上手い例えを思いついてこの文を書き出したんですけど、
書いてるうちに信長の顔とかに夢中で肝心の上手い例えを忘れてしまいました。
日本語はものすごく複雑な海で、日本人でも使いこなせません。
これはデメリットです。
ですが、抽象表現が広がり理解され一般化されるスピードは速くその応用は深いものです。
わかりみ〜
と聞けば、初めて聞いた言葉だとしてもなんとなく理解出来てしまい
それな!
と返せます。
記号としての言葉を速く深く刺さりやすくする言葉として日本語は適しているように見えます。
本気と書いてマジです。
この感覚は、ヨーロッパ画法を知った以降の日本の絵師達に影響しているように思えてなりません。
簡潔に、簡潔すぎてヘタクソか!ってくらいの表現で済ましてしまう描法。
これは具象画だけど、アイコン化や記号かの進んだ半抽象画では無いかな?
ああ、まだ言いたいことの半分も言えてなくて腹が立ってきたので、今日はこれでやめます。
日本画最盛期の傑作でも見てって下さい。
では、また!

-日本の神様の名前ってのは長いほど古い神なんですよ(吉本隆明)-