2024年日本帰任と、独立事業開始のご報告
(2024/1/19の投稿です)
本年もよろしくお願いします。
2点、大きなご報告となります。まず、1点目から。
先週、4年超のフランス赴任から帰国し、2024年は日本を拠点として酒造りに従事することになりました。
2019年9月渡仏から日本人初のパリ郊外醸造所KURA GRAND PARIS(クラ・グラン・パリ)を技術責任者として創立し、Covid-19や度重なる戦争などの世界情勢を経験しながら、有難いことに欧州のみならずアメリカ・アジアなど各大陸・各地域でご愛顧いただくようなスタートを切ることができました。
千年を超える日本酒の長い歴史に比較すれば駆け出しの私たちですが、未知の一歩一歩を仲間や支えてくださる関係者の皆様と進みながら、各国数年〜十数年の歴史しかない欧州発SAKEの揺籃期を大きく動かすことができたのではと考えています。
ひとえに未来を信じて暖かく背中を押してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
特に技術観点でいえば、明治時代に広島で華開き全国に伝播した軟水醸造法に比すようなパリ超硬水による「硬水醸造法」・吟醸の対極としての現地食用低精白米・現地の白葡萄畑由来ワイン酵母の継代・これらすべてを支え添加物不使用で土地の素材を組み合わせ純粋に魅力を引き出す技術体系一式など、世界基準での新たなKURAの型を示し続けることで、SAKEはより自由であり規範に縛られない「世界で一番自由な醸造酒」を目指しうる証明・常識の転換を推進できたと信じています。
食の都パリの存在はそれを加速し、2022年パリ中心部ノートルダム大聖堂の近くにオープンしたレストラン「WAKAZE PARIS」が日々私たちの醸すSAKEの熱狂を伝えながら、多様な飲食店・シェフ・プロの伝え手の方々とすぐ近くで肩を並べながら醸すことで技術も思想も磨かれ続けました。
こうしたフランスでのものづくりは、志を受け継ぎ「SAKE FOR EVERYONE」を最前線で形作る心強い仲間たちに託し、私は新たに日米に跨る大きな協業プロジェクト成功のため、日本帰任する経緯となりました。
新たにKURA GRAND PARIS製造責任者となった黒瀬杜氏に引き継ぐ過程で、フランス最後に醸造担当したSAKEは、フランスのスターシェフThierry Marx氏とコラボした3種のコレクションです。
この100年超の吟醸酒時代、米を磨かない低精白(精米歩合90%)で、いかに彼から求められた“Pur / 純粋” “Léger / 軽さ”を表現するか、KURA GRAND PARIS初となる技術にも挑戦し、その格に見合う思想/技術両面の具現化を目指しました。軽やかな酸、彫刻とアッサンブラージュ、樽熟成。MAGNIFIQUE / ICONIQUE / UNIQUE。フランス最後の置き土産となり、フランス・日本それぞれで入手可能ですので、機会ありましたらぜひお楽しみください。(🇫🇷FR / 🇯🇵JP)
私の2023年を振り返ると、年間の1/3以上がフランスから日米への長期出張で、まさに日仏米それぞれの土地に向き合いながらSAKE / KURA / CULTUREのあらゆるレイヤーでご縁に包まれた飛翔を経験することができました。
2014年末に社会人が集まり週末起業から始まったWAKAZEの挑戦は、そのときから数え今年10年目を迎えようとし、2016年創業(法人化)から8年という長い期間を、酒造修行含めかけがえのないinput/outputの機会に恵まれ、発酵に向き合ってきました。SAKE業界の新たな文脈を創造し統合させながら、この挑戦はこれからも終わることなく、応援支援くださる皆様のご期待に応えていきます。今後ともよろしくお願いいたします。
さて、ここからがもう一つご報告となります。
WAKAZEと並行する形で、個人の独立事業を開始しました。もう日本に戻らない気持ちで渡仏したことと裏腹に帰任が決まり、いまこの時代に日本でしかできないこと、日本でやり残したことは何だろうとフランス最後の数ヶ月を考え続け、ようやくテーマの輪郭が見えたタイミング。2023年12月初旬、偶然見かけたパリ日本文化会館で《宮大工》の展示を見て、確信に変わりました。日本でもう一段階深めたいテーマは、国菌『麹』です。
私がKURA GRAND PARIS創立の最初の1年間を駆け抜けた時、ずっと精神的にそばにいた生き物は麹でした。
すべて現地の初めての素材や微生物で醸す自分たちのスタイルで、唯一日本産を貫いたのが麹菌。それは、武士が刀を帯びるような、料理人が包丁を常に持ち歩き手入れするような、大工が工具を持ち歩くような気持ちに重なるのかもしれないと感じていました。
そして、手作業の酒蔵で、塊の米を手でほぐし粒を意識しながら、その粒の先は麹の酵素が解(ほぐ)してくれるんだなと。想像力の中で、醸造家の「身体拡張」としての麹を意識しました。そうして、土地の米や季節の副原料を微視的包丁で捌き、酒造りの中心生物・酵母の口に合わせて渡す。これは、板前がカウンターの対面にいる酵母の喜びのために、多様な素材で料理をするような気持ちでした。その営みの成果が最終的に人間を醸す。
こうしたイメージをすべて結実させていきたいと思っています。
上述の展示のとおり、大工道具は、昭和18年の最盛期には最大179種、最低限で72種必要。そこから昭和60年に最大59、よく使う道具で20種。要するに、1/3程度になっている。
一方、かつてあらゆる和食に対して、品種でなく発酵技術によって麹を造り分けていた時代があり、昭和期にかけて日本酒専用・味噌醤油専用…と麹が用途に応じて専門的に開発されていく。その過程で酒造りに不要な酵素遺伝子は機能を除かれ、時代の要請とともに無駄のない酒造りに特化していく。
これらが相似形になっている可能性がある。そして、この時代要請を揺り戻すアプローチができないだろうかと考えています。つまり、身体拡張としての麹を考えると、私にとって麹が織りなす酵素はこの大工道具ひとつひとつ。より複雑な美意識や工藝表現をするための「鑿」「鉋」に相当する身体拡張を、未来の酒造りに取り込むことはできないだろうか。
2018年、私は3年間の酒造修行を終え、東京・世田谷に三軒茶屋醸造所という酒蔵(レストラン併設・初めての自社醸造所)を創立する機会に恵まれました。狂気的ともいえる熱量に溢れたこの場で仲間たちと開拓したのは、米の醪に多様な副原料を取り込んで発酵させる、当時「ボタニカルSAKE」と呼び新しい並行複発酵のSAKEをもたらした醸造体系でした。
ただし、この醸造体系にはもうひとつ開けていない扉があると考えています。並行複発酵の「酵素源×被酵素素材」における、前者の扉です。後者の多様性は、三軒茶屋醸造所以降、酒造りの世界に新たな潮流を生むことができました。一方、真にクロスボタニカルな世界観に発展すると、酵素源は「米麹」である必要すらなくなると考えています。並行複発酵という発酵形式の解放、これが次のSAKEを問う上で未知の領域として広がっていると考えています。
この知見を歴史に学ぶため、日本を放浪して麹を学び直し、すでにクロスボタニカルの世界を実現している焼酎や味噌・醤油など、領域を超えて最先端の発酵に刺激をいただきながらSAKEを再構築していけないか計画しています。
三軒茶屋醸造所に残されたレシピたちのその先。これが、私が日本でやり残してしまったことです。そして、こうした麹の可能性を解放して、宮大工のように造られたSAKEの世界に非常に興味が湧いています。三軒茶屋、そしてパリ。KURAというレイヤーでの職人の皆様のおかげでSAKEは造ることができます。そうした意味で、《建築》というテーマにも惹かれ、お世話になり続けたこれまででした。
とある方には「建築が社会を変えるのでなく、社会が変わっても建築があり続けるということが重要」という言葉もいただきました。寿命を超えるような時間軸で、何か次の世代に残せるものがないか思案と行動を進めます。
以上、本日創業しました。拠点は、京都の予定です。
今後の活動は、ものづくりをアウトプットとしつつ、できることを一つずつ進めていきます。屋号や事業内容など現時点で未発表としますが、直近でもご縁に恵まれ具体的な形になりそうなので、追って発表していきます。余白がたくさんあります、インスピレーション湧いたという方、ぜひメッセージください。面白いことやりましょう。
・X: https://twitter.com/shoya_imai
・instagram: https://www.instagram.com/utaro_sajiro/ ※更新少なめ、今後少しずつ増やします
・Medium: https://medium.com/@shoya.imai
2024/1/19
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