日本型平和主義の弱さと今後の行方
はじめに~日本型平和主義の黄昏~
平和主義という言葉は今更考えるまでもないだろう。2022年のロシアによるウクライナ侵攻(ウクライナ戦争)において、戦争反対とともに注目された言葉だ。しかしながら、圧倒的な武力侵略の前に役に立たないのではないか、という意見も出された。
現在の日本において平和主義を標榜する政党や市民団体はごく少数である。昔から少数派ではあったけれど、日本社会党がまだ存在していた頃は、もう少し支持者も多かったのではないだろうか。
しかし現在では伝統工芸の継承者並みに少ない。いや、さすがに伝統工芸の継承者は言い過ぎかもしれないけれど、ほとんど支持されていないことは確かである。それがなぜここまで落ちぶれてしまったのか。かつては二大政党の一角にまでなった日本社会党はその後社民党となり、現在はほとんど議員もいない極少政党となってしまった。また、日本共産党も平和主義を標榜する政党であったけれど、現在では党員の減少や高齢化に悩み、立憲民主党との野党共闘を推し進めている。
平和主義の高まりとその退潮
平和主義の考え方そのものは昔からあったけれど、近代において特に高まったのは、1914年から始まり、1918年に終わった第一次世界大戦以降であろう。その被害があまりにも大きかったため、武力を排除して平和を達成するための運動や仕組みづくりなどが行われた。1929年には、日本の憲法第球場のモデルともなった不戦条約(ケロッグブリアン協定)が締結された。
しかしながら、日本において本格的に平和主義が盛り上がるのは第二次世界大戦以降のことである。人間とはやはり自身が経験しないとわからないものなのだろう。 戦後の平和主義とその運動は、戦前の暴走や弾圧などで評判の悪かった軍部への反発から一定の支持を受けていた。
しかし1990年代になると、国民の間における戦争の記憶も薄れ、自衛隊も長いこと文民統制(シヴィリアンコントロール)の中で運用されてきた実績もあり、反軍感情や反戦感情も薄れてきたため、平和主義やその運動も退潮傾向にあった。
周辺国の状況変化
日本型平和主義の多くは、反軍意識や反戦意識から始まった、ということはすでに述べた。実際、日本の小学校で平和教育と言えば、第二次世界大戦の時のことを学ぶということがほとんどだったからだ。それも決して悪くはないのだが、残念ながらそれだけでは現実に即さなくなったと言えるだろう。
第二次世界大戦後、ドイツ(西ドイツ)において早急に軍隊が再建され徴兵制も復活したのは、ソ連(現ロシア)の侵攻という現実的な脅威を目の当たりにしたからである。幸か不幸か、日本はソ連による本土侵攻を経験していなかったため(千島列島は除く)、現実的な脅威としてソ連を意識するまでには至らなかったため、自衛隊と日米安保条約という中途半端な体制が残った。それでも冷戦中は何とか平和を保つことができた。
1990年代の冷戦構造の崩壊により、ソ連の脅威は一時的に緩和されたものの、それから十数年経過すると、今度は中華人民共和国(中国)や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の脅威が目に見える形で表れてきた。北朝鮮の工作船に自衛隊の艦艇が威嚇射撃するという事件や、中国の原子力潜水艦を自衛隊が追尾するという事件もあった(いずれも海上警備行動)。
2001年、北朝鮮の工作船(この事件以前は不審船と呼んでいた)と海上保安庁の警備艇が銃撃戦を行った事件(九州南西海域工作船事件)は大きく報道された。現在でも、沖縄県の尖閣諸島沖では中国の海警局が領海侵犯を繰り返している(中国側の主張では自国領なので領海侵犯ではないとしている)。
歪な日本型平和主義
日本型平和主義の特徴としては、現実と乖離したふわふわとした議論が多い。理想主義型と言ってもいいだろうか。代表的なのが日本社会党の書記長などを歴任した石橋政嗣氏(1924~2019)の『非武装中立論』(1980年)である。筆者も小さい頃、図書館に氏の本が置いてあったので読んだことがある。日本社会党も無くなり、石橋氏自身、相当過去の人だと思っていたけれど、2019年まで存命だったことを知って少し驚いた。
彼の全盛期、つまり日本社会党がまだ健在だったころは周辺国からの現実的な脅威も少なく、一番の脅威であった極東ソ連軍にしても、海を越えて侵攻してくる手段はほとんど無かった。良くも悪くも平和な時代に書かれた本だったのだ。
京都大学の教授で防衛大学校の第三代校長を務めたこともある猪木正道氏(1914~2012)は、日本社会党などの平和主義を「空想平和主義」と批判した(ちなみに氏は戦前の軍国主義のことも空想軍国主義と批判していることも一応付け加えておく)。
消極的平和主義と積極的平和主義
日本における平和主義者の多くは「平和のために戦う」という発想ではなくむしろ「平和=非暴力、ゆえに戦わない」という発想の人も少なくない。戦争になったら逃げると公言している人もいる。どこに逃げるのかは不明だが、少なくとも平和を構築するために積極的に動く人は少ない。つまり、どちらかと言えば積極的ではなく、消極的平和主義者の方が多いのである。
件の『非武装中立論』にしても、日本から行動しなければ戦争にはならない、というスタンスであった。
もちろん海外での医療支援や人道支援など、非軍事の分野で積極的に活動しておられる方々は多い。筆者自身も、身近な平和についてで説明したように、平和な社会の構築には、医療、福祉、教育など健全な社会基盤が不可欠である。
しかし剥き出しの暴力に対してはそういった活動も難しくなる。乾布摩擦は風邪予防には良いかもしれないけれど、本格的に風邪を引いた状態でやれば害悪でしかない(この例は適当ではないかもしれないが)。
剥き出しの暴力に対する平和主義者の行動
戦前の日本にも平和主義者はいたけれど、戦争の中でどこへ行ったのだろうか。多くの者は投獄されるか、転向した。転向というのはつまり、平和主義を捨てて軍国主義に協力したのである。
だがこれもよくよく考えれば当然とも言える。彼らは平和のために戦わず降伏したのだ。そして軍国主義に協力して他の平和主義者を攻撃までした。戦わないということはつまりこういうことである。
もしかして、平和主義者の中には、戦う意志が無ければ平和になると考えている人もいるかもしれない。いわゆる無抵抗主義というやつだ。戦う前に降伏すれば相手も悪いようにはしない、などと考えてそう主張する者も存在した。だが本当にそうだろうか?
現在でも労働組合の多くは、例えば「賃上げ闘争」みたいな形で「闘争」という言葉を使う。イェーリング(Rudolf von Jhering:1818~1892)の『権利のための闘争』でも冒頭から「権利=法(レヒト)の目標は平和であり、そのための手段は逃走である」と述べている。
ここで言う闘争には例えば選挙や裁判(法廷闘争)、社会運動などの行動も含まれており決して暴力だけが闘争ではない(ちなみにイェーリングは暴力による闘争も否定してはいない)。
「国の為に戦わない」は平和的か?
ロシアがウクライナに侵攻すると、ウクライナのゼレンスキー大統領は国民総動員令に署名した。これはつまり、国民全員(正確には20歳から60歳までの男子)を国防のために動員するというものである。これに対して日本からは批判する意見も出された。その中でも「(自分たちなら)国のためには戦わない」とか「戦争になった逃げる」といった、闘争ならぬ逃走的な意見も散見された。
それ自体は言論の自由なので別に良いのだが、このような意見は平和的と言えるだろうか?
というのも、日本における平和主義思想の中には、こういった逃走的な主張が根底にあるのではないかと思えてしまうからである。
こういうことを言うと「昔のように国のために死ねと言うのか」などと非難する人もいるかもしれない。しかし、よく考えてみて欲しい。
あなたがもし侵略者の立場だったとして、「国のために戦う」と言う国民が多い国と「国のためには戦わない」と言う国民が多い国。どちらを攻めようと思うだろうか。
もちろん国の為に戦うといった素朴な愛国心は時に侵略のための手段にされることもある。ただ単純な問題として、戦う意志の少ない、もしくは無い者がいる国に侵攻すれば、侵略者扱いされるだけでなく、解放者として歓迎されることもありうる。
プロイセンの軍人、カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz:1780~1831)は主著、『戦争論』の中で次のように述べていた。
侵略者は常に平和愛好者である(ボナパルトはいつもそう言っていた)。血を流さずに相手の国土に進駐するのがかれの願いである。そうさせまいと思えば、防禦者は戦争を欲し、その準備をしなければならない。(クラウゼヴィッツ『戦争論』淡路徳三郎訳・徳間書店・頁269)
戦うことは常に苦痛や恐怖を伴う。
ウクライナの国民でも本音ではロシアの兵士たちと戦いたくはないし死にたくもないだろう(それはロシア側とて同じかもしれない)。
だがしかし、戦争になったら逃げる、などと口に出して言うことは単純にかっこ悪いというだけではなく、間違ったメッセージを外部に対して発してしまう危険性もある。
世の中思っていても言わなくていいことはたくさんある
こういうことを言うと、言論統制だの恐怖政治だのと批判されるかもしれない。実際、戦時中の日本では少しでも軍部に対して批判的なことを口にすると、逮捕されたり前線に送られたりしたものである。
大阪府知事や大阪市長などを務めた某弁護士やテレビ朝日の局員などがウクライナに対して市民の犠牲を最小限にするため降伏を提案(?)したことで多くの人たちから避難された問題もあった。
思想信条の自由は確かに守られるべきではあると思うけれど、相手に対する配慮は必要であろう。人間、思ったことを全て口にしていたら争いはもっと多くなるし、非常に生きづらい世の中になる。
いわば本音と建て前というものも、日本では批判的な意味で使われることが多いけれど、大事なことではないか。ホームレスよりも猫の方が大事だ、などと発言して炎上したユーチューバーもいたけれど、個人的な感情をぶちまけていれば収集はつかなくなる。もちろん理不尽なことに対してはきちんと反論することも必要である。
言葉の暴力、という言い方もあるように、言葉も使い方によっては暴力になる。むかついたからといってすぐに殴ってしまえば問題となるように、思ったことをすぐに口に出したりSNSで発信することは控えなければならない。
国の為に戦うと言った外国の若者だって本音では怖いはずだ。それでもやらなければならない時もある。理不尽な暴力を行使しようとする者に対して間違ったメッセージを送らないためには、毅然とした態度は必要なのではないか。
もちろん、徒に敵愾心を煽るような発言は控えなければならない。インターネットでは特に過剰な批難合戦が横行していることはすでに言うまでもないだろう。守ることと戦うこと。両者の線引きは難しいけれど、平和な社会の構築にはバランスが重要である。戦争にしろ内乱にしろ、バランスが崩れるからこそ社会が崩れ、平和が破壊されるのである。
おわりに
戦後の日本における平和主義や平和運動の多くは革新政党や進歩的知識人の活動と連動していた。そのため、革新政党やその左翼運動が弱体化すると、平和主義自体も弱くなってしまったようである。
そして確固たる平和主義、と言うよりは消極的でかつ逃走的な平和主義(?)だけが残ってしまった。
筆者は散々日本における平和主義やそういった思想を批判してきたけれど、改めて思うに、現実に即したしっかりとした平和主義も必要であると思うのだ。というのも、国の軍事の増強には限界があるし、その中で平和を維持するためには諸外国との協力による平和の構築以外はありえないからだ。
そうでなくても、今日の経済や社会は国境を越えて様々な国同士が密接に絡み合っている。漫画やゲームなどのコンテンツは海外展開が当たり前だし、むしろ海外の方が主要なマーケットになりつつある(韓国などは特にコンテンツ輸出に国を挙げて行っている)。
現在でも平気で外国を中傷するような投稿がなされている。これは日本に限ったことではない。国だけでなく人種や地域、性別、年代など様々な偏見や誹謗中傷が横行している現代社会の中で、改めて平和とは何かを考えさせられる。そして現代的な平和主義が必要なのではないかと思うのである。
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