我が家にコーヒーメーカーが来る日は遠い
おひさしぶりです。note投稿から久しく離れていましたが、文章はちょこちょこと書き続けています。今年の6月にZINEを作ろうと思い立ち、そこから約5ヶ月。ようやく先日、形になりまして、現在絶賛営業活動中。人生初めてのことなので、ドキドキしながらZINEを置いてくれそうな書店を駆け回っています。頭で分かってはいても断られると、やはりとても悲しくなります。泣き喚きそうになります。が、「ぜひウチで置かせてもらえればと思います」なんて言われたときには、今までにないくらい嬉しい気持ちになります。やさしい本屋さんありがとう。
そんな営業活動もひとまず昨日でいったん巡り終えたので、今日はのんびりぼけ〜っとしながら、「そうだ、ずっと欲しかったコーヒーメーカーでも買いに行こう」と思い立ちました。コーヒーメーカーがあることによって優雅な朝を送れることもそうですが、豆選びという新たな趣味が増えそうな予感がしていることに魅了されています。
さらに思い返してみると、コーヒー以前に飲み物そのものが好きな自分の存在を思い出します。実家にいた頃は、冷蔵庫のサイドポケット?(引いたドアの部分)は、ほとんど僕の飲みかけのジュースたちで埋め尽くされ、家族で飲む紙パック牛乳(2L)がいつも肩身を狭そうにしていました。そんな肩をすぼめる牛乳(2L)を横目に申し訳ないとは思いながらも、僕は多種多様なジュースを飲みかけ続けていたのです。
思考をもう一段階深め、「なんで飲みかけばかりなのだろう」と自分でも不思議に思い、考えたことがあります。その結果、たどり着いた答えが「いつなんどきでも飲みたいものを飲める環境でありたい」でした。これは今考えると、僕の財政を圧迫し続けるサブスク支払い地獄に通ずるものがあります。僕は常に豊富な選択肢に囲まれていたい。
これまた思考実験ですが、「幸せってなんだろう。自由ってなんだろう」と1人で考えると、結構な確率で「選択肢の豊かさ」に辿り着きます(サブスク支払い地獄の正当化)。僕は常に豊富な選択肢に囲まれていたい。
このようにあれこれ考えてみると、僕は常に豊富な選択肢に囲まれていたいがために、到底見切ることのできない数の動画配信サブスクに入り続けているのかもしれませんし、たくさんの服を買い続けているのかもしれません。ランチメニューが多い近所の中華屋さんが好きなのもそのせいなのかもしれません。
もっと言うと、朝起きてクローゼットを見ながら「今日はこっち着ようかなあ〜」って迷いながら決断し、駅前の鏡面する窓を見て「うわあ〜これは違うなあ」とか思いながら落ち込んで出社したり、「俺はB定食!」と自信ありげに注文し、隣の友人のもとに届くA定食を目にして「やっぱA定食にしとけばよかった…」と内心思い、「ごめん、1口だけもらっていい?」と友人に頼み、「うま!やっぱ今日はA定食だったわ…」と言いながら2口目を口に運んだり…。豊かな選択肢にはものがたりの続きがあるところも好きです。
相変わらず久しぶりのnoteも楽しくて、脱線を重ねてしまっているので、本線に戻ると、僕は今日コーヒーメーカーを買いに行った。それもずっと前から欲しかったコーヒーメーカーを。
なんとなく2つ3つ目星をつけていたうちの1つが¥17,980で売っていた。僕のビックカメラポイントは5,800ポイント程度貯まっており、¥12,000程度で買えるので「これは即決だ!」と思いいつつ、一応Amazonで同商品を覗いてみると、¥17,980の同様のものとは別に微妙なモデル違いで¥10,000のものを発見。「ほぼ一緒なのになんでこんな価格が違うのだろう」とか「これが¥12,000よりも高ければ、ここで即決なんだけどなあ」と考えているうちにわけがわからなくなってしまい、結局今日は購入を断念。
やはり豊かな選択肢にはものがたりの続きがある気がするし、我が家にコーヒーメーカーが来る日は遠い…。