遅刻の言い訳
幼い頃から注意されることが嫌いだった。常にあらゆる選択肢から正しいと思う言動を取捨選択している自負がそこそこある。というか、結構ある気がする。そんなとってもおこがましい人間なのである。自己中心。とにもかくにも自分の言動を注意されたり怒られたりすることが極めて苦手なのである(ちなみに教室の片隅で人が怒られているのを見ることは好きな、性格の悪いタチでもある)。中学時代には同じ言動に対して、別途複数の教師から怒られる謎シチュエーションに巻き込まれ、2人目の教師のお叱りが始まる際、「先生、その件、ぼく怒られ済みです」なんて言って、余計にこっぴどく怒られたこともあった。
幼い頃から理屈っぽい男でもあった。常にあらゆる選択肢から正しいと思う言動を取捨選択しているつもりでも、一歩客観的な視座に立って考えてみるとどう考えても自分が100%悪いシチュエーションが時々存在する。というか、結構ある気がする。そんないたらない人間なのである。未熟者。そんなときはあらかじめ注意される前に言い訳を考える。この言い訳に関して、僕は結構な自信がある。特に誰が悪いわけでもなく、もちろん自分も悪くないように仕立てる言い訳。あくまでたまたまそうなってしまったかのような言い訳。自分も被害者。事故。
そんな言い訳に自信のあるぼくでも頭を悩まされるのが遅刻の言い訳。特に朝の遅刻は十中八九寝坊である。寝坊は言い訳が難しい。だってたいていのシチュエーションで存在するはずのあらゆる選択肢がそもそもない。起きたか起きていないかだけ。厳密に言えば起きるか起きないの選択肢さえなく、起きれたか起きれなかっただけ。そもそも選んでいないのである。あんなにも楽しみにしていた約束に時間通りたどり着けないぼくも被害者。ただ、こんな幼稚な言い訳が通じるはずもないので、15分遅れそうな場合は「30分遅れる」とだけ伝え、15分後に到着し、残りの15分を爆速で巻いた感を演出する(緊急のトイレ休憩を挟んでも10分前に到着できる)。こころなしか、待っていた友達も「しょーご、15分も巻くほど急いだんだな」みたいな和やかな表情をいつもしてくれているような気がする。みんなありがとう。
そして本題、こんなにも計算した言い訳がバカなのでないかと思えてしまうほどの破壊力を持った遅刻の言い訳を先日耳にした。
撮影日に先輩が1時間の遅刻をかましてきた。1時間の遅刻はなかなかである。1時間あれば間に合うか間に合わないかの電車にダッシュして汗だくで乗車する必要もなければ、時間通りにたどり着くように苦渋の思いで抜きにしてきた優雅なモーニングだって堪能できる。ドラマだってスキップすることなく1話分ゆっくりと楽しむことができる。他人にこれだけの犠牲を強いるのが1時間の遅刻である。
そんな罪深い1時間の遅刻をかましてきた先輩が、現場に到着した矢先チームリーダーに言い放った一言が以下である。
「おれこんなもんじゃないんすよ」(真顔)
リーダーは口早に理由を聞き返す。
「なんで遅れたんだ?」
「先輩、おれほんっっっとうにこんなもんじゃないんですよ」(大真顔)
「こんなもんじゃない」のゴリ押し。これはきっと大いなる過信である。が、この破壊力。そして1時間遅刻してきた人から到底発せられるはずのない、考えれば考えるだけおもしろいこの言葉。教室の片隅で人が怒られているのを見ることが好きなぼくも、気を遣ってなるべく先輩のほうを見ないようにしていたが、この言葉には思わず2度見してしまった。さすがに2回目の「こんなもんじゃない」ゴリ押しにリーダーもうっすらにこやかな表情をしていた。
言い訳好きの屁理屈男であるぼくに新たなボキャブラリーが追加された一幕であった。ただ、気づいたらぼくも23歳。22歳まではクソガキって感じな気がするが23歳はオトナッ☆って感じがする。注意してくれる人ほどありがたい人はいない。とても大切な存在。早く素直な心を手に入れたいものである。そして遅刻も金輪際しないつもりである(が、ぼくは22:02にこの世に生を享けたらしい。22:00〜6:00の出産は時間外出産というくくりになり、追加金3万円を支払わなければならないみたい。この世に2分遅刻してきた男。どうやら生まれながらにして遅刻しがちな十字架を背負っているようだ)(次回遅刻の保険)。