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2022振り返り

 こんばんは。そういえば12月は1度もnoteを書いていませんでした。「今月投稿して6ヶ月連続投稿達成してみませんか」という旨のnoteの口車に乗せられ、大晦日のこんな時間にボロボロドロドロの状態での更新。ちょこっとだけ今年を振り返ろうと思います。柄にもなく菅野note史上1番まじめになる予感。

 まず何よりも今年は社会人になりました。大学時代の友人たちはみんなそろって休学。昨年の今頃一緒に過ごしていたクリサキ君も学生の身分を最大限活かし、現在は東南アジアを放浪中。彼のまぶしいインスタグラムを一時期ミュートするところでした(フウウーー、アブナイ)。そんな彼も来年は広告業界に参戦の予定、彼が苦しんでいるときには1年先輩の僕が助けてあげようと思います。

 さて僕が社会人になった話。学部柄なんとなく広告や映像といった分野に興味趣向が向いていたこと、毎日異なることができて飽きなそうという安易な考えを提げ、映像制作業界に飛び込む。そういえば、高校の文理選択も席が近くて仲の良かった友人たちが理系に行くからという理由でなんとなく理系を選んだ気がする(その後高校3年夏に文転することになる)。どうやら人生におけるそこそこ重要な選択を自分以外の他人、あるいはその時のノリとか運とかに放り投げるくせがあるようだ。他力本願。かつ他責の人間なのである。ただ、マツコ会議にてマツコが「流されたり自分の意志で物事を決定しない人ってネガティブな見方をされがちだけど、気づいたら自分の意図していない、自分の意志では到底辿り着けないところまで行けてしまうポテンシャルがある」なんてことを言っていた。ものは言いよう。ありがとうマツコ。マツコ会議は現存する地上波の番組でいちばん哲学的な番組だと思う。どうぞ、この文章を読んでいるコアな菅野ファンの皆様、2023年は僕の意志では到底辿り着けないところまで連れて行ってくださいませ。

 さてさて、隙あらば無駄話をしてしまうので、本題へ。

 4〜9月、同期が先にボロボロになっていく中、僕には一向に撮影案件が入らない。ずっと編集。編集に次ぐ編集。編集に関しては学生時代の貯金でなんとかこなせた。イージーモード。

 10月。僕も遅ればせながらボロボロになる。
「この作業はなんでこんなにもずーーーっとタスクを処理し続けているのに終わらないのだろうか」と苛まれる。今までだったらその時点で投げ出してしまう僕も、仕事である以上そうはいかない。そんな思いを抱えながらも踏ん張って仕事をしていると、「ああ、だからこんなにも自分達がやらなければならないのか」と半分くらいは納得できました。半分。

 そして、「この人はなんでこんなにも僕に対してあたりがキツイのだろうか」と苛まれる。今までだったらその時点で距離を置く僕も、仕事である以上そうはいかない。そんな思いを抱えながらも一生懸命に仕事をしていると、「ああ、だからここまで僕に言うのか」と半分くらいは納得できました。半分。

 寝不足と極度の緊張の末に挑んだ初現場では、「キャストさんが入る前に菅野くんコロコロで綺麗にしといて」との指示を受け、「とにかく素早くホコリを取り払わなければ!」という脳みそだけで言葉を理解し、6時間かけて設定したバミリ(カットごとにキャストに立ってもらう位置を記したメモ、床に貼ったテープ)を一瞬で剥がす大失態。その場から消え去りたいと久しぶりに思いました。こんな気持ちは野球でタイムリーエラーを犯して決勝点を献上してしまった時以来。ただ先週は初めて現場でカチンコを打ったり外部スタッフとコミュニケーションをとれる機会が増えたりと、10月以降少しずつではあるもののできることが増えてきてなんだかいい感じ。今はなんでもできそうな予感(※ダニング=クルーガー効果)。

 まあそんなこんなで、浮き沈みはありつつも、毎日違う仕事、業務ができて刺激的な毎日を送れています。それどころか予期せぬ会社の統合によって益々刺激的な日々に。良い意味で違った頭を毎日使えるのは恵まれていることだし、とてもありがたいこと。その反面、力不足を実感することの連続。来年は少しでも、ほんの少しだけでも活躍できるように頑張りたい。

 もうひとつ予期せぬ良いことと言えば、会社として食を大切にしていることもあり、今まででは考えられないようなご飯の場に何度か足を運べた(ばせてもらえた)こと。食べること、はたまた食の空間、時間ってここまで尊いものなのだなあと改めて実感。その反面、例えば撮影の弁当ひとつとっても気を抜いて選ぶと「なんだそれ」となるわけである。ただ、これはこれで僕にとってはありがたいことでもあり、とても鍛えられているし、なんなら知らないお店とかお弁当とかを知ることができ、楽しんでいる。意外とプライベートにも直結する話で、先輩に教えてもらったお店をいかにも自分が見つけた感を出して友人たちと行ってみたりする。食に関しては来年以降も意識して向き合っていきたい。

 そうそう、食の空間、時間で思い出した話で言うと、毎日広尾に出社しながらランチをどこで食べるのかというのは社会人1年目の僕にとってかなりの死活問題なのだけれど、10月くらいから週1〜2で通っているパスタ屋さんができた。950円でサラダ、野菜ジュース、スープ、日替わりパスタが食べられる。そしてこのパスタが超絶美味しいのだ。アラビアータの上にきんぴらごぼうがのっていたり、鶏肉とか生ハムがピューレになってのっていたりと、「ほほお、そんな組み合わせがあったのか」と毎度意表をついてくる。意表をつきながらも安定感のある美味しさ。目で見て口で食べて満足。脳も満足。店員さんもみんな気さくでフレンドリーな人たちで何よりハッピー。4月に会社が移転するが、休日でも足を運びたいそんなお店。

 そうそう、空間、時間で思い出した話で言うと、3年前くらいから通っている服屋さんの空間が好きだ。今年も思い返すと、少し自分でもびっくりするくらいの金額を使ってしまった…。が、そこには全く後悔の念とかそういったものは存在せず、今年もお世話になったなあという気持ち。上述のボロボロになって、一種の人間不信になりかけていた10月、店員さんに相談してみたところ、「人は人の嫌なところはすぐに見えるけど、良いところは意識しないとなかなか見えない。1日の終わりに今日あった(してもらった)良いことをメモしてみるといいんじゃない?意外と嫌なところしか見えていなかった先輩のgiveに対してしょーごくんがgiveできていることの方が少ないかもしれないよ」との金言をもらった。この言葉(およびメモ)には今年いちばん救われたかもしれない。ボロボロ、かつセカセカしていると他人に求めがちになってしまう(そう、他責の人間なのである)。それゆえ、その期待値を下回る他人の言動に対して勝手に嫌な気持ちになっていた当時の自分はかなり傲慢だったなと反省させられた。自分がgiveできていないのに周りに求める態度もそうだし、そもそも自分の考えをなんでわかってくれないんだろうかという思考そのものが傲慢な気がする。実際にメモに「今日嬉しかったことリスト」なるものを書いてみると、何にもなかったなと思う日でさえ、例えば「スタジオのロシア人のお姉さんがココナッツミント味の飴ちゃんをくれた」という旨のメモが書かれてあり、見返すと少しだけハッピーな気持ちになれる。確かにこれはメモしていなかったら存在しえなかった事実および記憶になりかねない(けれど本当にこの飴ちゃんはおいしかった!)。何はともあれ小さなこと(特に嬉しいこと)をメモしておく重要性を知った。このように生きていく上でものすごく大切なことを教えてくれたり、急にビールが出てきたりと服屋とは思えない、ホスピタリティ、サプライズで毎度意表をついてくる。意表をつきながらも安定感のある心地の良さ。目で見て体で着て満足。脳も満足。店員さんもみんな気さくでフレンドリーな人たちで何よりハッピー。4月に会社が移転するが、休日でも足を運びたいそんなお店。

2022/10/15(土)の嬉しかったことリスト


 「良いお年を」の言葉で締めるつもりが、気づけば元旦も終わり、午後に差し掛かろうとしていますのでこの辺で。それではみなさん2023年も何卒よろしくお願いします。

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