I have dreams
僕には多くの夢があります。
とても大切なものであり、生き様であり、呪いでもあります。夢によって僕は生かされています。
夢といっても、自分の楽しみのためにやりたいこともあるし、いつのまにか使命のようになっていることもあるし、まだまだ曖昧なものもあるし、いろいろです。
今日は僕の夢をここに記しておこうと思います。
勿論みんなに知ってほしいというのもありますが、自分の内だけにしまっておくのではなく、公にすることで自分に鞭を打つという意味もあります。
時間があるときにでも読んでみて下さい。
ロボット、エネルギー、お金、食物の4分野でやりたいことがあります。
(大学1年の時、イーロン・マスクが将来やることを3分野に絞ったことを知り真似しました。ぜんぜん絞れません。)
ロボット
一つ目の夢は、「機械やロボットを使って、人の暮らしを豊かにすること」です。
人の暮らしが豊かになれば正直何でもよくて、機械やロボットである必要は必ずしもないのですが、超少子高齢化の時代、個人の自由が大きい時代に、機械やロボット以上に期待できるものはないと僕は思っています。
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僕は小さい頃からロボットや機械が大好きでした。電化製品を勝手にバラしたり、LEGOブロックで遊んだり、ミニ四駆をつくったりと元からものづくりが好きでした。あとじいちゃんの影響もありました。
昔書いたうちのじいちゃんの話です。
そんなこんなで、幼稚園や小学生の頃はエンジニアという言葉は知りませんでしたが、そういうものづくりをする人になるんだとずっと考えていて、今に至ります。
今からの時代、ロボットや機械の自動化は必須です。超高齢化社会となり人手が足りず、あらゆるサービスを一から十まですべて人間の手で行うのは難しい時代になりました。農業、漁業、林業をはじめとする高齢化傾向にある第一次産業や、清潔さ・正確さと同時にパワーを求められる介護看護医療現場、また飲食業も、運送業も多くの場面で人手が足りず、機械・ロボット化が求められています。けれども、コロナのおかげともいうべきか、少しずつ社会にロボットが実装されてきて、夢見ていた世界も近づいてきました。
実際、僕も大学生活中、様々なロボットや機械、またそれをつくる多くのエンジニアに出会いました。
研究科では医療看護ロボットを見たり、FUKUOKA NIWAKAというロボコンチームに参加したり(コロナや就活であまり参加できませんでしたが)、inaho株式会社といベンチャーでインターンしたりしました。
FUKUOKA NIWAKAでは、同世代のエンジニアたちがこんなにも面白そうにロボットを作っていて少し羨ましく思うこともありました。同時に彼らの技術は日本でもトップのもので、特に僕は機械の設計についてこんなにも奥が深い物なのかと日々勉強させてもらいました。
(Robomasterというロボコンを行っています。簡単に説明すると、ロボット戦車でサバゲ―をするガルパンみたいな競技です。eスポーツとロボコンが上手く融合していて、ロボットのオペレーターはFPSのeスポーツのようで、試合はゲームやスポーツを見るような感覚で、ロボットが故障したりすればF-1のようにエンジニアがピットでメンテするといった競技です。)
inahoでは、現場で働くエンジニアさんの下で、社会にロボットを実装していく過程を見せてもらいました(1年弱くらいお邪魔しました。ありがとうございました)。研究室で行う実験とは違い、本物の畑でロボットを動かすのは至難の業としか言えないものでした。例えば、研究室で収穫成功率99%なら超成功と呼ばれる域かもしれませんが、実際の現場では一日に1000個以上の野菜を収穫するはざらにあり、そうなれば収穫成功率99%でも10個以上は見逃してることになります。こういった確率を高めて、安全性も確保し、しかも安価に作り上げるというのは大変なものだと思い知らされました。
また、inahoでは同じインターンの人たちとも仲良くなって、曲者ばかりでしたがいい思い出になりました。社員さんもめちゃくちゃ面白い人ばかりで、こういう人たちと仕事できるって楽しいだろうなって思いました。
いろんなことをやってきましたが、やっぱり僕はロボットや機械が好きで、それに関わる人たちも好きで、そんな好きなものから生まれたロボットや機械が誰かのためになっているというのが嬉しいです。
エンジニアとして働き始める
来月からエンジニアとして機械やロボットに携わっていきます。一つ夢が動き始めました。
僕のやりたいことは「機械やロボットを使って、人の暮らしを豊かにすること」です。けど、それはロボット「が」働く世界ではなく、ロボット「と」働く世界です。ロボットを無機質なものと捉えるのではなく、ロボットは相棒であってほしいと思っています。
また、ロボットや機械をつくりたい、ものづくりをしていたいのは確かですが、ロボットや機械は手段であって目的ではありません。自分のつくりたいというモチベーションを、人の豊かさのために昇華できればと思っています。
それにエンジニアって職業じゃなくて「生き方」ですので。僕がつくるもので、人が笑ってくれると嬉しいです。
エネルギー
二つ目の夢は、「持続可能な社会のためにエネルギー問題と戦うこと」です。
人生100年時代とするならば、50歳までが前半でそれからは後半です。さらに言うならば、四半世紀ずつ起承転結とあるわけです。その中で、僕は半分は自分のために生きて、半分は世のため人のために生きたいと思っています。(今25なのでやっと起承転結の起が終わったところです)
これを考えたのは浪人時代(2014年)でした。浪人中って社会の仲間外れにされてる気がして色々考えてしまいます。浪人って誰のためにもならず自分のためだけにしかならない割と我儘なことですので。
その時、世のため人のためと考えたのが、エネルギー問題でした。50歳を過ぎたらエネルギーに関することをやろうと決めています。
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小学6年生の頃(2008年)、清水建設のグリーンフロート(一般的にはメガフロートと呼ばれるもの)を知って驚きました。海上に超巨大な建造物を立てて、それをいくつも繋ぎ、街や国を作ってしまおうというものでした。
同じくらいの時に、ガンダム00というアニメでは、宇宙エレベーター(軌道エレベーター)や宇宙太陽光発電などの技術が出てきて、これにも驚いたことを覚えています。(宇宙エレベーターを作るにはメガフロートの技術が必要)。ちなみにガンダム00に出てくるモビルスーツは電力で動きます。
実際に、宇宙エレベーターは大林組が50年以内につくると言っていたりします。
どんな未来が待っているかはわかりませんが、どんな時代になってもエネルギー問題は残ったままだと思うし、まして宇宙エレベーターを使い電力で宇宙に行けるようになった時代にはエネルギーの価値は今よりももっと高いものになっていると思います。
もちろん、人口減少や省エネ化によってエネルギー問題は解決されるかもしれません。
これを思ったった時(浪人中)は人類の人口はさらに増えるというのが一般的でしたが、最近の研究によるとそうでもないということもあるのでまた変ってるかもしれません。
エネルギー問題に対しては、何も分かっていません。何を取り組めばいいのかも分かっていません。機械科だったので発電についての勉強していますが、だからといって革新的な何かや僕を動かす様な力強い理由があるわけでもありません。僕が50になったときに、後世に残せるのはエネルギー問題と戦うことではないか?という想像だけです。
けど、ガンダムのような世界にはなってはいけないと私は思っています。
【ガンダムUC 4話「重力の井戸の底で」のセリフ】
キャプテン「砂漠もダカールの喉元まで迫っているらしい。全て人間のやったことだ、、、。人が自然から産まれた生きものなら、人が出すごみや毒も自然の産物ってことになる。このまま人間が住めなくなったとしても、それはそれで自然がバランスをとった結果ということなんだろう。自然に慈悲なんてものはない。昔の人間はそいつを知っていた。ほかならぬ、自然の産物の本能としてな」
バナージ「だから、生きるために文明を作り、社会を作って身を守った、、、」
キャプテン「ああ、そいつが複雑になりすぎて、いつの間にか人は、そのシステムを維持するために生きなきゃならなくなった。挙句、生きることが難しくしちまって、その本末転倒から脱するために宇宙に新天地を求めた・・・」
エネルギー問題以外も他の夢があるのはそのためです。これからマルチラリティ、シンギュラリティ、宇宙の時代になっていきます。エネルギーは絶対に必要です。なので、その時まだ解決されてなかったら、50まで自由にやったんだから、人のために世のために人生半分割いてもいいんじゃないかって思っています。
正直、エネルギー問題じゃなくてもいいんですけど。
けれど、どんな世界になっていても、「50からは世のための生きたい」それが夢です。
お金(フィンテック)
三つ目の夢は、「人の善意によりアップデートする社会をつくること」です。
中学1年生の時(2009年)に「教えること」を通貨にした街をつくれないか、と考案したことがあります。今の言葉で言うならば、ギバーで成り立つ街を作れないかと考えていました。大人も子供も関係なく、自分しか知らないことはたくさんあって、知らないことには価値があると当時思っていました。今考えれば、教えたもん勝ちなのでいわゆる老害が出てきそうで、この街は成り立ちそうにありません笑。中学生の頃の僕が、何を思ってそんなことを考えたのか今となっては覚えてませんが、(中二病も混ざって)ノートの裏に書いていたことだけは覚えています。
けれど、これが発端として、大学生になってからもずっと同じようなことを考えることになりました。
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高校2年生の頃(2012年)、クラウドファンディングという面白い仕組みに出会いました。「これは世界を幸せにするシステムだ!」と当時本気で思いました。けど、万能ではありませんでした。またシェアリングエコノミーを知って驚愕したり、坂口恭平さんの本(独立国家の作り方)を読んで、俺はそんな理想を作るんだって当時は思っていました。
高校3年の頃、ガッチャマンクラウズというアニメでGALAXというアプリが登場し、最近はこれを追い求めています。
わかりやすく説明するなら、映画サマーウォーズに登場するOZというWEBサービスに似ています。GALAXは例えば、マップ上に自分の現在地情報を公開することで、仮想空間と現実世界の2つに自分を存在させることが出来ます。このGALAXをスマホに入れておくと、アプリ内で困っていると呟けばそれを見た人が助けに来てくれたり、怪我していれば近くにいた医師免許や看護師免許を持った人たちに連絡が行き駆けつけてくれます。つまり、ありとあらゆる様々なマッチングを行い、即座に問題を解決していくことで社会をアップデートしていくサービスです。
(このアニメはそんな便利な世界になっても問題は多くあるよねっていう話でした。超人的能力を持った主人公たちが群衆に内在する悪意や無意識という見えない敵と戦う、いわゆるヒーローものへのアンチテーゼになってて面白いです。僕的に最高なので暇があれば見てほしいです。)
さすがにそんな理想郷は作れないのですが、似たような世界観は徐々に出来つつあります。TwitterやFacebookで命を救った、店を立て直したという話もたまに目にします。
また、まだGALAXほど迅速性はありませんが、クラウドファンディングやふるさと納税など、人の善意により社会をアップデートできるサービスが増えてきました。
台湾のIT大臣オードリー・タンも世界の夢の片鱗を見せてくれています。
そして僕はオードリータンの実現した世界をクラウドファンディングによってかなえられないかなぁと思っています。
そのエレベーターピッチがYouTubeに上がっています。
当時(2019年)、ARとかVRでその世界を作れないかなぁと思っていました。この動画で言いたかったことを下のnoteに詳しく書いています。
オードリータンのやっていることを、街(リアル世界)に問題や夢を投影し、クラウドファンディング(自治体ではなく民間で)を用いて資金と民意を集めて、実現できるようにしたいと思っています。
正直、手段や技術は何でもいいのですが、やりたいことは「夢(や問題)を売る自動販売機を作ること」「誰もが手を挙げ、声を上げ、それが届くべきところまで届き、自ら変わろうとする社会をつくること」、つまり「人の善意によりアップデートする社会をつくること」です。
食物
4つ目の夢は、「じいちゃんの家の側でカフェを開くこと」です。
僕とよく話す人はわかると思いますが、僕が口癖のように「カフェ開きたいなぁ」って言っているのあれです。いつも僕がはぐらかすのが悪いんですが、何故カフェをやりたいのかあまり理由を言ったことがなかったと思います。
【何故カフェを開きたいのか】
一つは、単純に僕がコーヒーやカフェという空間が好きだからです。コーヒーの香ばしい匂いって落ち着くし、空間もその店の雰囲気によって違いがあって僕はすごく楽しめます。そして、空間は人に魔法をかけることが出来ます。人は空間に酔い、リラックスしたり、元気が出たり、充実を感じたり、人との話が弾んだり、勉強や読書が捗ったりと、カフェにはそんな魔法があると僕は信じています。
もう一つは、じいちゃんの家の側を見てほしいからです。これも単純な理由ですが、じいちゃん家の側が好きだからです。好きだからあの町が消えないように残したいと思っています。
じいちゃんの家は熊本の宇土市住吉町にあります。Instagramで見たことがあるかもしれませんが、近くには長部田海床路や御来輿海岸、ヨットハーバー、三角西港がある美しい場所です。
けど、住んでいるのは年寄りばかりで、スーパーもろくにありません。そんなクソ田舎です。これは住吉町に限った話ではなく、宇土半島はどこもそんな感じの寂れた町です。(三角は割と栄えていますが)
高校三年生の頃(2013年)、じいちゃん家の近くに宿をつくりたいと考えたことがありました。(当時日本ではまだAirbnbのサービスが始まってなかったため、民宿というアイデアはありませんでしたが、小さなカフェ兼宿みたいなイメージでした)。というのも、海は綺麗だし、天草に行くためにドライブやツーリングする人も多く、魅力ある場所なのにスーパーもカフェもレストランもほぼなくて、不便に感じていたからです。
実際、三角西港は2015年に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録され、2016年にはJR九州から豪華クルーズトレイン「ななつ星」が始まり、ここ数年TwitterやInstagramの流行により長部田海床路に訪れる人は年々増えています。
魅力があると考えていた僕はやはり間違っていませんでしたが、あれから5年以上経った今でもあそこはクソ田舎のままです。田舎が悪いと言ってるわけではありません。誰も手を挙げず声を上げずそのままにしているクソ田舎にムカついているのです。(勿論ゼロじゃないです。)
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大学4年まで僕はMake-Senseという組織に所属していました。イベント、アート、デザイン、メディア、webサービスなど様々な方法を使って地域を活性させようとする組織でした。
いろんなことを試しましたが、地域活性ってめちゃくちゃ難しく、一朝一夕にいくものではないということを知りました。
Make-Senseの活動の中で、市役所の方や県庁の方、起業家・経営者の方、個人で地域活性に取り組む社会人の方など多くの方に出会いました。
正直な話、本気で戦おうとしている人たちもいる一方で、クソみたいな人たちも多くいてイラつくこともありました。けれど、だめだだめだと言うばかりでは彼らと同族で、自分たちが成長しさらに後続を育てることで解決しないといけないと思い知らされました。そして、どんなにきつくても、最初は効果が見込めなくても、誰に何と言われても、やり続けることにだけ意味があるということに気付かされました。地域活性とはそんな簡単なものではありませんでした。
また趣味のカフェ巡りは、僕がどんな場所をつくりたいのか考える時間になりました。
(佐賀のカフェには大変お世話になりました。ありがとうございました)
例えば、佐賀駅通りの「木と本」を運営するリリスタイルのオーナーさんは街を豊かにするために駅通りに店を10店舗以上出そうとしていて、「木と本」はその一つであるそうです。いい街、豊かな街をつくるために、自らいい場所、いい店を作り出すというのは理にかなっているし、実際お陰で街の雰囲気も変わってきていると思います。木と本との出会いは、僕に地域を豊かにするためのマインドを叩きつけられました。
呉服元町の「Lift Coffee」は、佐賀市で一番お気に入りのカフェです。佐賀のおすすめのカフェを聞かれたら勿論「リフト!」と答えるようにしています。老若男女問わずお客さんがいて、呉服元町に訪れた人たちが立ち寄る理由になっている憩いの場所です。友達と雑談にしに行きたくなる、適当に立ち寄りたくなる、そんなカフェで、「街の拠点」というのはこんな感じなんだろうなと勝手に理想にしています。(あとメニューが個人的に好みです)
伊万里の「LIB Coffee」は、僕が最も心を動かされたカフェでした。カフェの見た目やメニューが良いのは勿論でしたが、僕はその空間の持つ特有の雰囲気や環境に非常に惹かれました。遠くからの観光や休日にこのカフェが目的で人が訪れること、地域の人の憩いの場になっていること、お母さんたちが赤ちゃんを連れてカフェを楽しめること。その配慮、気配り、おもてなしの心のような意思が、空間から伝わってきて、初めて行った時は本当に感動したのを覚えています。ここも僕の理想です。
たくさんの理想のカフェという空間に出会いました。そして、出会ったカフェやMake-Senseでの経験は、じいちゃんの家の近くでカフェを開きたいと本気で思わせてくれました。沢山やることがあるから、片手間でとは思っていません。割と本気です。
僕はあの町に拠点をつくり、憩いの場をつくり、人の集まる場所をつくります。
じいちゃんはもう歳で認知症ですでに僕のこともあんまり覚えてないし、身体は元気らしいけどいつ亡くなるかわかんないし、けどだからこそ生きてる間に見せてやりたいと思っています。5年後僕が30の時にはつくりたいと言っているのはそのためです。
ここに書いたのはカフェの話ばかりでしたが、それ以外にも食物についてやりたいので生産の方(農業とか)にも関わりたいなぁと思ってます。
なぜ夢を追いかけるのか
こういった夢を追いかける性格は小さいころからの延長線上ではありますが転機もありました。高校3年生の頃、家の近くの図書館でたまたまこの本を読んだことでした。孫正義さんの弟、孫泰三さんの本です。
当時起業したいという思いは全くありませんでしたが、社会問題を解決するために起業するというのを知って、そういう方法もあるのかと驚きました(社会問題をビジネスや経済活動として解決するという考え方は当時僕にはない発想でした)。誰しも「これがこうだったらいいのになぁ」というアイデアはあると思います。そのもやもやしたアイデアを「解決できるんだぜ」って教えてくれたのが、僕の場合この本でした。(当時ビジネス書を全く読んだことがなかったので衝撃的でした)
こういう夢の話をすると、起業したいのか?とよく聞かれます。別にそういうわけではありません。正直僕じゃない人が僕の夢を叶えてくれれば、それはそれでいいと思っています。けど誰もやらないのなら僕自身がやるしかないとも思っています。特に4つ目の夢は、僕個人の思いが強いので誰かが叶えてくれるとは思えません。だから自分がやるしかない、経済活動で解決する、理由はこれだけだと思います。
金儲けのためにやるというより、自分の興味と自分を救うためにやっています。なので、やっていることや労力の割にぜんぜん儲けないし、もう辞めたいって言い続けてるかもしれません。
けど、文句を言いつつも僕はこういうことをやっているときが一番楽しいし、一番幸せだし、自分が救われてるって感じてしまいます。苦しいけど楽しいって、もはや呪いだと思ってます。
最後に
実は大学生になってからいきなり出てきた夢はなくて、ずっとどこからか持っていた夢を大学生の時間を使って、より現実的な形に変えれたと思っています。自分の学科や研究室であったり、Make-Senseの活動であったり、En-Transという場所や人であったり、FUKUOKA NIWAKAやinahoのインターンなど様々ですが、学生という時間があったからこそでした。
特にEn-transの方々とMake-Senseの先輩方には未だパワーをもらっています。もし彼らに出会っていなくても進む方向は変わってなかったと思いますが、彼らに出会えて、仲間が出来て、ライバルが生まれて、諦めず負けず頑張ろうって思えています。ありがとう。
けれど、これからは叶える時間です。
起承転結の承の時間なので、起で見た夢を承継し、ストーリーを展開させ、夢を実現へと近づけていく、そんな思いでいます。
そうはいっても、そんなに気張っていくつもりもありません。スタートアップのように一つの事を速攻でやるのはあまり向いていなくて、いろんなことをパラレルでやっていくほうが向いているみたいなので、時間はかかりますが地道に一歩ずつ長い距離を歩いていきます。
僕一人では何もできませんが夢なら余るほど持ってます。僕の夢が楽しそうだなって思ったら、一緒に呪われてみてください。
終わり。
あとがき(読まなくてもいいです)
夢を追うのには上に書いたキラキラな理由もありますが、キラキラじゃない理由もあります。
大企業にずっと勤めて安定に安泰に、たまに問題が起きてもあの時忙しかったなぁって居酒屋で同期たちと愚痴って、そんな人生も悪くはないしそういう理想も勿論あります。けど、そんな生活をしているといつか僕は絶望して自ら命を絶ってしまわないかと心配になる時があります。この絶望は何も成し遂げれないという成果の意味ではなく、何もしていない自分に絶望してしまいそうだという意味です。「何かをする」の基準は自分自身なので、その何かが他人の目に成果として見えるかはわかりません。人から見れば一生僕は何もしていないのかもしれないし、何かしてるかもしてません。けれど、僕にとって、夢のためや自分のために行動しているということがその「何か」だと思っています。
なので、実は夢を追うのに駆り立てるような原動力があるとかそんなことはなく、ただ自分が死なないように夢を追ってるだけだったりします。これが上で何度か言った自分を救うためという意味です。
昔恋人に就職する気があるのかとか、お金の使い方がおかしいとか言われたことがあります。人から見るとそういう風に見えるのかもしれません。けど、それはたぶん、夢のために自分のためにいろんなものを削っているからだと思います。何でも欲しいですが、何でも手に入れれるほど人生って簡単じゃないし、夢には勝てません。なんだかんだ言われても夢は夢です。諦めきれません。才能がないとか、金が足りないとか、叶うとか、叶わないとかそういうんじゃなくて、追わなければ僕の人生は意味がないのかもしれないとたまに思うのです。
祝福も加護も夢も、見方を変えれば呪いであり呪縛です。そんなにすごいものではありません。失うものもが大きくて、たまに泣きそうになるときもあります。自分のやっていることは意味がないんじゃないかと、吐きそうになることもあります。
けど、夢であれ呪いであれ、泣きながらでも吐きながらでも進まないと人生に絶望して死んでしまいそうなので、前に歩いていくしかないと思っています。
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