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デュエイン・オールマンの追憶(抄)

1996年、私が36歳になった夏、アトランタでオリンピックが開かれた。

 このとき私はプロの物書きになって2年目、スポーツにかかわる記事を書くことが圧倒的に多かった。女子バスケットの中川文一監督を筆頭にレスリング、陸上競技などでぜひ取材したい対象がありジョージア州へ向かうことにした。

だが、アトランタ市内にホテルの空室はなかった。 旅行代理店のオッサンはいった。

「うーん、アトランタから100キロ近く離れた町なら、いくつか部屋が確保できるんですけどね」

100キロ?  東京から小田原くらいあるではないか!

遠い、遠すぎる!  そこから毎日かよえというのか!

「でも、あっちはクルマ大国ですからね。ハイウエイも充実しているし片道1時間くらいで大丈夫ですよ」

レンタカー付きのプランがある、とオッサンはすすめる。

「で、どういう町なんです?  ホテルがあるのは」

「えーっと、日本人にはまったく馴染みのないところですけど、まあ中級程度の都市なんです――メイコンっていうんですよ」

私は息をつめ、眼をいっぱいに見開いた。心なしか鼻の穴がひくついた。

「それ、行きます。予約する。即、決定だ、ナンボ払えばいいの?」

ジョージア州メイコン――ロック小僧だった私にとって、この名はロスやシスコ、ロンドンなんかよりずっと肚に響いてきた。大袈裟ないいかたをすれば聖地なのだ。

                ※※

ホテルにつき、荷物を解いてまずホテルのスタッフに訊いたのがこれだった。

「デュアン・オールマンの墓にお参りしたい!  道順を教えて!」

ところが全然通じない。 冷や汗を流しながら、なんども「デュアン」を連呼するも事態は収束とはほど遠い。なんとか筆談に持ち込んだら、ようやくスタッフも納得してくれた。

「DUANE!  なんだ、デュエインの墓のことが知りたいのか!」

DUANE ALLMANはオールマン・ブラザーズ・バンドのリーダーであり、リードギタリストだ。

1946年11月20日に生まれ、71年10月29日にオートバイ事故で逝ってしまった。享年26。

ブルーズに根差したプレイ、ことにスライドギターのセンスと腕前は現在も高く評価されている。

ちょっと前(正確な年は失念)にローリングストーン誌だったか(これもウロ覚え)の「歴史上最も重要な(というような感じのタイトルだったが、明確に記憶していない)エレクトリックギタリスト」投票で、ジミ・ヘンドリックスに次ぎ堂々2位にランクされた。私はそれを知って、深くうなずいた。1位も2位も正解!

DUANEは「レイラ」があまりに有名なデレク&ザ・ドミノスのファーストアルバムでも、クラブトンと渡り合ってスリリングかつエモーショナルなプレイを披露してくれている。「レイラ」のイントロのフレーズ、あれはDUANEのアイディアだ。この曲では彼のスライドギターもよく泣いている。

それから同じアルバルの「リトルウイング」のリードのフレーズも、哀切で胸がかきむしられる。私にとって、彼の最高のギター名演はこの曲ということで納得&得心している。他にも同率1位の曲があるのだが、この話はまた別の機会に。

どうです、DUANEはなかなかのモンでしょ。エッヘン。

その彼が活動の拠点にしたのがメイコンなのだ。所属レーベルのカプリコーンレコードがこの町にあった。

私は彼のことを1974年、中学2年の時に初めてレコードで知った。初手から〝ひと聴き惚れ〟し、以来ずっと思慕と敬愛はかわることがない。だけど、最初の出会いから、もう彼はこの世の人ではなかった。

交通事故死したのもまた、メイコンだった。

               ※※※

勇躍、私はクソ暑いジャージア州メイコンの街に出た。

目指すはデュエインの眠る、ローズヒル・セメタリー……。

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