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帯留を歌った歌があります
昭和の名曲「トンコ節」
先日、株式会社尚絅居(しょうけいきょ)の 植村裕社長に、帯留についてのお話を伺う機会がありました。株式会社尚絅居でも、帯留を制作されているそうです。その際に「帯留のことを歌った歌がるのをしっていますか?」ときかれました。
その歌の名前は 「トンコ節」というのです 。早速 YouTube に上がっているものをきいてみました。歌っているのは久保幸江さんという歌手で、作詞:西城八十・作曲:古賀政男というゴールデン・コンビです。
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ああなたのくれた 帯留めのだるまの模様が ちょいと気にかかる
散々遊んで転がして後であっさり 潰す気か
となかなか怖い内容です。 当時の お座敷 ブームを反映するような衣装と日本髪で久保幸江さんは歌っています。
昭和のお座敷ブームの反映
帯留めについて歌った歌があるとは知りませんでした 。1971年とありますので、昭和46年です。日本が一番景気がよく、にぎわっていたのが1,970年、大阪万国博覧会のころといわれています。
当時は 「お座敷 ブーム」と言われるものがありました。会社の経費などで、お座敷で遊ぶことができたようです。
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それを反映して、お客と芸妓の間で かわされる 軽い会話のような歌がいくつかありました。この歌もその一つであるようです 。この会話の中に 帯留が出てきたのは意外でした。
だるまの帯留は意味深長で、あとで私をすてるのね、という内容がなかなか面白い歌ではありませんか。
時代を映す流行歌とカラオケの浸透
この時代にはまだカラオケというものがありませんでした 。カラオケが浸透するようになったのは会社の社員さんの遊びの場がお座敷から次にバーや スナック クラブに移っていったのではないでしょうか 。
厳密にいうと、カラオケ屋というものはなかったのです。当時は今のように中学生 やママ友がこぞっていくカラオケ屋さんはありませんでした 。
カラオケはどこにあったのでしょう? それは スナックやバーにあったのです。 そこで曲を 選びます。それも数少ないうちの1つなのでなかなか 曲選びも大変です。 そして 1曲いくらで請求が来ます。 そしてその選んだ歌をたくさんのお客の前で歌うのです。 歌が下手な人には耐えられない 拷問 であったに違いありません。 逆に歌の上手な人は一気にスターです 。
当時のカラオケというものは そういうものです 。なので そこで歌えるようになるというのは非常に努力のいることでありました 。またお店の方も上手でないとお客さんが楽しまないよ でかなり 練習が行ったようなことを聞いています。
似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
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