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1970年大阪万国博覧会のころ1

大阪万博が開催されてからもう50年以上たったのですね。先日、昭和きもの愛好会の松前理事長が、ご実家のアルバムで当時の写真を見つけ、送ってくださいました。
「これって写真を掲載して、困られないですか?」
「50年以上経ってますので大丈夫です」
ということで、遠慮なく掲載させていただくことになりました。

後ろのパビリオンに見覚えが

人類の進歩と調和がテーマ

大阪 万国博覧会が開催された時、 筆者は16歳でした 。学校からの遠足行ったのが初めてです。 とても広い会場で1日では 回りきれませんでした。 平日でしかも開催されてすぐ  だったので会場はかなり空いていました 。

そして 当時は珍しかった外国のお客さんもたくさん 来ていました。
私はオーストラリアから来た当時 40歳ぐらいの女性の方とお話しし、そして厚かましいことに住所を手に入れました 。当時は外国の方と接する機会がなかったのです。

「人類の進歩と調和」とはよく行ったもので、おかげさまで この女性の方と長く文通が続き ました。私が結婚して息子が生まれてからも 文通が続き、一度お会いしに行くということで オーストラリアのパースに行きました 。

その方は トンプソン さん というお名前で、 トンプソンさんは私のために 民宿を予約しておいてくださり。そして 翌日は 弟さんの運転で動物園などを見学させていただきました 。初めてコアラを見ました。
やはり 万国博覧会は人の人生を変えるのに何らかの影響があったようです 。

懐かしいパビリオン

この写真は 松前理事長のご両親が 団体の見学に参加された時のようで、ご夫妻で英国館の前で撮影されているものもあります。 当時のスーツや服装が大変 懐かしいです。

こちらも同行の方と撮影されたもののようです。このお子さんももう初老でしょうか?

各国のパビリオン に加えて、 当時 資金力があった企業 もたくさん 自社のパビリオンを出していました 。これはおそらくサンヨーのものだと思われます。 パビリオンは非常に凝った建築が多く 、当時としては最新の技術で作られていました 。

大阪の地形が変わる

そもそも 会場となった大阪の千里丘陵 は本来何もなかった場所です。
この 万国博覧会のおかげであっという間に開発され 、そして太陽の塔 が建ちました 。
太陽の塔 はまだ残っていて見ることができます 。現在 博物館やその他の施設が建っている敷地が全部 大阪 万国博覧会の場所だったのです。
この博覧会のおかげで大阪の北部地域は大きく開発され 住宅地 もたくさんできました 。今から思うとよくあれだけの工事が短気でできたのだなあと思います。

万国博覧会には学校の遠足で行った 他に日曜日に父と一緒に行きましたが 、あまりにも すごい人出でで何もできませんでした。私はその後 数日寝込んだ記憶があります。

その2につづきます。

似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
(この原稿の著作権は昭和きもの愛好会に属します。無断転載を禁じます)
さh心をご提供いただいた松前章子」理事長に感謝いたします。

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