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1970年大阪万国博覧会のころ2

さて、その1では私的な体験を、貴重な写真をもとに解説しました。客観的なデータをもとに、この大阪万国博覧会を開設します。

いつからいつまで?何名の入場者?

大阪万博は、1970年3月15日から9月13日まで開催された日本初の国際博覧会で、「人類の進歩と調和」をテーマに77か国が参加しました。会期終盤の9月5日には約83万6,000人の一日最多入場者を記録し、帰宅困難者が会場内で野宿する異例の事態となりました。

1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)の入場者数は、約6,422万人に上ります。これは、2010年に中国・上海で開催された上海万博に抜かれるまでは万博史上最多の数字でした。1970年(昭和45年)の人口は、国勢調査によると1億466万5171人。人口の約60%が入場した計算です。今の日本人にこれだけのエネルギーと好奇心があるのでしょうか?2025年に開催予定の博覧会で、その答えは出ると思われます。

太陽の塔はむかしこんな風でした。

どこで開催された?

1970年の大阪万博(日本万国博覧会)の会場面積は約330ヘクタールで、甲子園球場約83個分に相当します。大阪府吹田市の千里丘陵で開催されました。
現在跡地は万博記念公園となっており、総面積は約26ヘクタールです。公園のシンボルである「太陽の塔」を中心に、日本庭園や自然文化園、文化・スポーツ・レジャー・宿泊施設などがあります。

現在の万博公園 だけでも十分 敷地が広いのに。当時はこれだけの面積があったということに驚きます。 こちらに 万博会場の地図を貼りました。

懐かしいパビリオン


この資料は 万博のパビリオン 紹介 と スタンプが一緒になったもので偶然 筆者が手に入れたものです 。

ソ連館

今になってみると大変 懐かしい パビリオンが多く メディアなどでよく宣伝されていたので実際に入ることはできませんでしたが (入れなかったというのが正しいのです)、 特に アメリカ館では 月の石 が展示されており これは非常な 人気でした 。この写真に写っているソ連 館は昔はまだ ソ連でロシアではありません。 ソ連 館も大変良い人気でした 。実はその1の 松前理事長 ご提供の写真の後ろに このソ連 館が写っています。

輸送手段としてのモノレール

そして 万博 会場への輸送対策として、モノレール が設置されました。都心から放射状に伸びている国鉄(現・JR西日本)・私鉄9路線と接続し、これら沿線からの来場客の利便の向上とともに博覧会終了後も近畿圏整備に中核的機能を果たす鉄道建設の提案がなされたのです。こうして開催された 大阪万博には当時 1970年 まだ日本の景気が加速していた頃のエネルギーと人々の情熱 そして好奇心がたくさん詰まっていました。

最後にコンパニオンのお姉さんたち。


似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
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