今日もファンとアンチの議論は終わらない

今日もインターネットではあらゆるエンタメに対して、ファンとアンチが議論を繰り広げています。著名なエンタメであればあるほど熱狂的なファンと生理的に受け付けられないアンチが増えていき、日々諍いが絶えないのが今の世の中です。

多くの人に知ってほしい「感情が先、理屈は後」という事実

議論が無駄だとは言いませんが、前提として誰もが知っておくべきことがあります。それは多くの人間が「感情が先、理屈は後」という行動基準に縛られている、ということです。

つまり「〇〇だから好き」「××だから嫌い」という理論展開がそもそも間違っており、好き、嫌いを感情で判断しており、理屈は後付けに過ぎない、というわけです。

ファンにしろアンチにしろ、その作品の美点、欠点は万人に知ってもらうために、しっかりと語りたいものです。しかし、それらがどんなに理路整然としていたとしても、興味を持ってもらうことはあっても、既にその作品を読んだ人の「好き」「嫌い」の感情を変える、という結果にはならないように思います。だから議論が終わらない。

むしろちゃんとした議論になっていればいい方で、結局、元の判断基準が感情によるものだから、感情的な言い合いに終始してしまう。それがファンとアンチの議論の正体だと私は思っています。

『ONE PIECE』の批判記事に「なるほど」と思った話

例えば国民的人気漫画『ONE PIECE』を例に挙げてみます。私は長年、原作を愛読しており今も展開を追っているのですが、あれだけ大きい作品だとやはり「嫌いだ」という方が一定数いるようです。

先日、「ここ最近のONE PIECEは面白くない!」という記事を読みました。そこで書かれていた理屈は、確かに理路整然としており、特にストーリーの破綻を指摘する内容でありました。私も「なるほど」と思う視点もいくつかありましたし、それ以前に、私もONE PIECEの展開に「おや?」と思う点はないわけではありませんでした。

それでも、私は今でも『ONE PIECE』は面白いし、好きな漫画だ、ということに変わりはない気がします。それがなぜかを考えてみたんですが、結局のところなぜ好きなのか、に理由がつけられない気がしているんですよね。

少し話がそれますが、ジャンプ作品の人気を紐解く上で参考になる、元ジャンプ編集長である鳥嶋和彦氏のインタビュー動画を紹介します。ジャンプ作品は「キャラクター」こそが重要である、とこのインタビュー語っています。

『マガジン』はドラマで作っていく雑誌で、『ジャンプ』はキャラクターで作っていく

https://www.youtube.com/watch?v=zi-HKB3FiPc&list=PLb8qywrBbvKV-FRrtQuQ2KchaxkHJ4Lny&index=5

つまりONE PIECEに限らずジャンプ作品の場合は、キャラクターこそが作品の柱である、ということです。

であれば、そのキャラクターを好きになるかどうかこそが根本的な評価の分かれ目、と言えるのかもしれません。ONE PIECEのような長寿連載の場合は単純接触効果(会えば会うほど好きになる、いわゆる心理学の用語)が有利に働く面もあるでしょう。

そうなると、それこそもはや理屈ではなく、単にキャラクターが好きか嫌いかという感情が、そのまま判断になるのではないでしょうか。

そもそも人はなぜエンタメを生み出し、好き嫌いを持つのか

もう少し踏み込んで考えてみます。といっても、自分用のメモのようなものなので、読み流していただいて構いません。そもそも人間はなぜエンタメを生み出すのでしょうか?そして、なぜそれら対して人は好き、嫌いの感情を持つのでしょうか。

自分は人間、ひいては動物のあらゆる機能が「進化」によって得られた、生存戦略にとって必要なものである、という理論を指示しています。人間がエンタメを生み出すようになったのも、好き嫌いの感情を持つようになったのも、生存に有利となるように進化した過程に過ぎない、という考え方です。

つまり、エンタメを生み出すようになったことで、あるいは好き嫌いを判断する感情を持つようになったことで、人間が種として生き延びやすくなった。だから、人間にはそれらの機能が備わっている、ということです。逆に言うと、生存に必要のない機能をわざわざ持っているはずがない、と解釈することもできます。

人間が意図的に生み出した原初のエンタメの一つにも、やはり物語は挙げられます。人はなぜ物語を語るのか?それは、最初の物語である神話が生み出され、それを人々が信じることで、集団として団結する力が強まったから、と言われています。集団の団結力が高まれば、当然生き延びる確率が高まります。他のエンタメであっても同様に、人々の社会性を増して団結力を高め、種として生き延びやすくしている、と考えることができそうです。

では、なぜそれらのエンタメに好き嫌いの感情を持つのか?ここから得られる答えは、ふた通り考えられると思っています。一つは、同じ物を嗜好する集団の団結力を高めて、他の物を嗜好する集団を排除するため、という考え方。もう一つは、一つのエンタメに対し異なる感情をもつ個体がいることは多様性の観点から望ましい、という考え方です。

この好き嫌いの感情の過程をファンとアンチに当てはめると。前者の場合は、もはや遺伝子レベルでファンとアンチは相容れない存在であるということになり、後者は逆にファンとアンチが存在する状態こそが健全である、と言えるのではないでしょうか。

だとすると、ファンとアンチの激論は、人間が種として生き続ける限り、終わらないのかもしれません。

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