見出し画像

今日はツイッター記念日。2年やってみて感じているあれこれ

ちゃんとツイッターをやりはじめてから本日で満2年(2018年6月〜)をむかえましたー。おかげさまでツイッターを通じていろいろな方と繋がることができ、仕事やプライベートで刺激を受けっぱなしの毎日を過ごしています。

というわけで、今回のnoteではツイッターを2年続けてきて感じていることをサクッとラフにまとめようと思います。

ちなみに時期的にはズレてるんですが、下記が1年経過した時点での振り返りnote。どうやら節目節目でなんらかまとめたくなる習性のようです。

多様性に自然と触れることができる

上のnoteでも書いていますが、ツイッターをはじめる前はSNSといえばリアルの繋がりを基点としたfacebookしか利用していなく、いうなれば「リアルの延長線上の繋がりに向けて多少気を使った投稿をする」みたいな使い方でSNSというものを利用していました。

なので、当然自身のfacebookのタイムラインに流れてくる情報もリアルの延長線上の共通点の多い知人たち(友人や知人、前職や現職の方、取引先の方など)が考え、発信する情報でした。

一方、ツイッターの世界ではリアルの延長線上の繋がりがありつつも、リアルでは全く繋がりのない方や違う世界線で過ごしている方と繋がることができ、そんな方々の日々の思考や感情(喜びや悲しみ)みたいなものを勝手に共有できています。

また、大きめの共通トピックでタイムラインが賑わったときにはさまざまな立場の人の見解などに触れることができ、「知らないことを知ることができる」だけでなく、「自分が持ち合わせていなかった視点からのものの見方といったものに気づかされる」ことも度々あったりします。

タイムラインを流し見するという超簡単な行為をするだけで、普段接することができない多様性みたいなものに自然と触れることができ思想が豊かになるという点がわたしが一番ツイッターに対して価値を感じる点となります。

そして、これまでは同じ会社だったり、同じコミュニティだったりのすごく狭い世界だけでものを見聞きしていたんだなと日々反省というか姿勢を正される思いです。

価値観の自動アップデート

先に書いたことの後工程みたいな位置づけになるんですが、上記の価値に日々触れる中で自分の中の価値観みたいなものが驚くほどアップデートされていっている実感もあります。

たとえば、、、

と思ったのですが、パッとは浮かばなかったので省略します。

Give&Take

もうそろそろnoteを締めたいので、最後は次の1年に向けた自身の課題について書こいて終わります。課題を端的にいうと、上記のような恩恵を賜るばかりで自分が全くTakeできていないことに尽きます。

人事という仕事をしている関係上、人生で最も時間を使っているはずの仕事の話題には「一定の制限」があり、難しい部分があるというのがTakeできていない理由(いいわけ)のひとつです。

ここでいっている「一定の制限」というのは第三者から課されているものでは全くなく、自分の中での「美学」に近いもので、言っていいこととそうでないことの分別です。

あとは自分の経験などをもとに持論を構築し、言い切るみたいな芸風でないことも多分に影響しているかもしれません笑。

とはいえ、できない理由を並べたところで課題は解決しないし、工夫できる余地はきっとあるはずなので、3年目はもう少し頑張ってTake的な発信をしていこうと思います(やや強引なもののやっと締めれた)。

では、今回はそんなところで!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?