この女性の顔は、そう言われています。ひょっとすると、みなさんもキスしたことがあるかもしれません。
心肺蘇生のトレーニングによく用いられる、このダミー人形。今も世界のどこかで息を吹き込まれ、「心肺蘇生」を試みられているこの人形には、モデルがいることをご存じでしょうか?
訓練に用いている自衛隊や消防隊などでは、通称「アンネ(ちゃん)人形」と呼ばれているそうです。
そして、そのモデルには、130年もの時を経てなお、人々の好奇心をかき立ててやまない「ミステリー」があります。
医療用マネキン「Resusci-Anne」
このダミー人形は、ノルウェーのソフトプラスチック製玩具を販売しているレールダル社が1960年に医療用マネキン「Resusci-Anne」(レサシアン)を発表したことがきっかけで広まりました。
以降、その顔は医療用ダミー人形の代名詞的存在となりました。では、そのモデルとは誰なのでしょうか? 実は、ある人物のデスマスクをモチーフに製作されています。
フランス・パリ「セーヌ川の身元不明少女」
その人物は、「セーヌ川の身元不明少女」と呼ばれ、存在はヨーロッパ中に知れ渡っていました。この少女にまつわる話は、こうです。
1880年代の終わり、パリのセーヌ川のルーブル河岸から一人の女性の遺体が引き上げられました。外傷がなかったため自殺と考えられ、年齢は16歳ほどと推定されていました。
そのときご遺体の検案にあたった病理医が、そのあまりの美しさに恋に落ちてしまい、こっそりと石膏で型を取ったと言われています。
数年もしないうちに、このデスマスクの複製品はあっという間にパリのボヘミアン集団に広まり、不気味な内装品として部屋に飾られ、多くの人々の好奇の対象となりました。
その影響力は非常に強く、かのカミュをはじめ、リルケ、ナボコフといった世界中の文豪たちが、このデスマスクからインスピレーションを受け作品化を行ったと伝わっています。
湧き上がるいくつかの疑問
デスマスクがパリ中に広まったのにも関わらず、この少女は身元不明のままでした。それはいったいなぜなのか?
少女は溺死したにも関わらず、なぜこんな微笑みをたたえていたのか?
そして溺死体が、このような美しい外見を保つということがあり得るのか?
少女にまつわる謎はあまりにも多く、時を超えて議論の対象となってきました。
そして、そもそも、この少女の死因は本当に溺死だったのだろうかという根本的な問いかけすら存在しています。というのも、デスマスクの作成を命じられ、作業にあたったロレンジという名の石膏職人が、不気味な発言をしたという記録があるからです。
「実は、このデスマスクを作ったとき、少女は生きていた」
もしもデスマスクを作った際に少女が生きていたとすれば、美しい形状を保っていたことについての説明はつきます。微笑みをたたえているのも、眠っていたと考えれば不思議ではないかもしれません。
しかし、当然、生きたままの状態で石膏の型に入れられたとすれば、残酷な殺し方をされたということにもなります。
運ばれてきた少女の身体に病理医がいったい何をしたのか…。
不気味な憶測も飛び交い、多くの人びとの好奇心をかきたてました。しかし、事が起きたのは19世紀のフランス。今となっては確かめようもなく、真相はすべて闇の中となってしまいました。
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