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今日は、職務を全うして亡くなった方の話を書きます。
どう考えるか、どう思うかについては、いろいろあるかと思います。

東日本大震災、宮城県南三陸町勤務の、ある女性について

以前、東日本大震災時のことを記事に書きました。

この記事では、その日の私の経験談について書きましたが、今日は現地の方の話です。

東日本大震災の際に、多大な被害を被った自治体に宮城県南三陸町があります。その町役場に遠藤未希さんという女性が勤務していました。

とてつもない揺れが南三陸町を襲った直後、彼女は自身の職務である防災無線で避難を呼びかけ続けます。その声で助かったと語る町民も多数いました。
しかし、その声は途中で途切れることになります。
彼女がいた防災庁舎が、庁舎ごと津波にのみ込まれたからです。

のちに海上で彼女のご遺体が発見されました。

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こちらの画像で、彼女が持っているのは「婚姻届」です。震災は、彼女がご結婚してから、わずか7ヶ月後の出来事でした。

後に世間の方々から「死を美化してはならない」や「仕事のために命を失わせていいのか」「最初から自動音声にしておけばよかったのではないのか」などという声があがってきました。
いたずらに死を美化すべきではありませんし、仕事のために命を失わせていいはずもありません。もちろん、それぞれに「道理」はあります。

しかし、彼女のとった行動によって、多くの住民の命が救われたことは事実です。そのことには、心からの深い敬意を感じます。
命を失ってしまったことはたいへん残念で、ただただご冥福をお祈りすることしかできません。
そして、なによりも、尊い彼女の死がもたらした教訓を、しっかりと活かしてほしいと願わずにはいられません。

彼女の他にも、この震災では、『誰かがどこかに残っているのではないだろうか?』と、最後までパトカーで避難を呼びかけ続けて命を落とした若い警察官がいました。
そのご遺体に「起きろ、迎えに来たぞ!」と何度も何度も話しかけ続けた人物は、彼の父親でした。

住民を避難させた後に、「ここからが俺の本当の仕事だ」と交番に残り続け、津波の状況を逐一報告して亡くなった老巡査もいました。
彼はあと3ヶ月ほどで定年を迎えることになっていました。

多くの方が住民のために職務を全うしようとして亡くなっています。
皆、壮絶な殉職でした。

明治43年、日本海軍「第六潜水艇」沈没事故

それは、第二次世界大戦前には、修身の教科書にも掲載されていたというほどの有名な事故です。
明治43年、日本海軍のホランド型潜水艦「第六潜水艇」は、訓練中に水没し、佐久間勉艇長以下14名が殉職しました。

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上の写真は、佐久間艇長と第六潜水艇です。

実はこの事故の前にイタリアで同様の事故が発生していました。
その際、乗組員が先を争って脱出しようとして乱闘した形跡があり、挙げ句の果て、ハッチの前に全員が折り重なるようにして亡くなっていました。

日本海軍は、この事故でも、イタリア同様の惨事が発生したのではないかと危惧していました。
しかし、事故の二日後、海底から引き上げられた第六潜水艇の乗組員は、パニックになった形跡もまったくなく、全員が配置に着いたままの状態で亡くなっていました。
乗組員全員が持ち場を文字通り「死守」し、最後の最後まで艇の回復を試みていたことがわかりました。

佐久間艇長は有毒ガスが充満し、死期が迫るなか、暗がりの艇内で事故の詳細を記した「遺書」をしたためました。

この遺書により事故の状況が判明したのです。

小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り沈着に事をしょせり
我れ等は国家のため職に倒れ死といえどもただただ遺憾とする所は天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に打撃をあたうるに至らざるやを憂うるにあり、願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を
さすれば我ら等一つも遺憾とするところなし、
沈没の原因
ガソリン潜航の際過度探入せしためスルイスバルブを締めんとせしも途中チエン切れ
よって手にて之を閉めたるも後れ後部に満水せり約二十五度の傾斜にて沈降せり
沈据後の状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたるため電灯消え電纜燃え悪ガスを発生呼吸に困難を感ぜり、十四日午前十時頃沈没す、この悪ガスの下に手動ポンプにて排水につとむ、
一、沈下と共にメインタンクを排水せり灯り消えゲージ見えざるどもメインタンクは排水し終われるものと認む
電流は全く使用するにあたわず、電液は溢れるも少々、海水は入らずクロリンガス発生せず、
残気は五百ポンド位なり、ただただ頼む所は手動ポンプあるのみ、ツリムは安全のためヨビ浮量六百モーターの時は二百位とせり、右十一時四十五分司令塔の灯りにて記す溢入の水に浸され乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、
余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざればその発展を望むべからず、
細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり、世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、されど我は前言の誤りなきを確信す、
一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは底止して動かず、この辺深度は十尋位なれば正しきものならん、
一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す、かかるときに困る故、幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思う、
我は常に家を出ずれば死を期す、
されば遺言状は既に「カラサキ」引き出しの中にあり(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ之を愚父に致されよ)
公遺言
謹んで陛下に申す、我が部下の遺族をして窮するもの無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるものこれあるのみ、
右の諸君によろしく(順序不順)
一、斎藤大臣 一、島村中将
一、藤井中将 一、名和少将
一、山下少将 一、成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
一、小栗大佐
一、井出大佐
一、松村中佐(純一)
一、松村大佐(竜)
一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)
一、船越大佐、
一、成田鋼太郎先生
一、生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常に苦しい
ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、ガソソリンにようた
一、中野大佐、
十二時四十分なり、・・・・・・


まさに職務を、職責を全うして亡くなった艇長以下14名の乗組員。
壮絶な殉職でした。


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