写真と、その「本当の真実」について
写真は、真実の瞬間を切り取った「証拠」といえます。余計な加工等施されたものでなければ、それは紛れもない真実といえます。
しかし、すべての物事には「前後関係」があり、「背景」や「つながり」があります。そして、「本当の真実」は、その中にこそあるんです。
ほとんどの人びとは、「前後関係」も「背景」も「つながり」も知りません。知っているのは、その瞬間の「証拠」のことだけです。
悪名高い、もっとも有名な写真のひとつ『サイゴンでの処刑』。
南北で激しく争い合い、20世紀後半における最大級の軍事紛争といわれ、1955年11月1日〜1975年4月30日まで、たいへんな長期にわたって繰り広げられた「ベトナム戦争」。その最中の1968年2月1日に撮られた、この1枚の写真は、『サイゴンでの処刑』と名づけられ、世界報道写真財団の大賞、ピューリッツァー賞などに選ばれました。いわば写真界の最大の名誉に輝いたにも関わらず、悪名高い、もっとも有名な写真の1つに数えられています。
その撮影者は、AP通信やタイム、ニューズウィークなどで腕をふるった写真家で、紛争地帯からの報道写真で知られた、エディ・アダムスです。
男が前に引き出されると、准将は躊躇なく射殺しました。
この『サイゴンでの処刑』には、人を射殺する人物が写っています。この人物の名は、グエン・ゴク・ロアン。南ベトナムの准将で警視総監でもありました。
射殺された人物については、諸説があり、グエン・ヴァン・レムあるいはグエン・タン・ダトともいわれています。
この男が捕らえられたのは、こんな現場、穴(溝)でした。
縛られ、射殺された34体もの南ベトナムの警察官と、その親族の遺体。それらの犠牲者の中には、ロアン准将が名付け親となった子ども6名など、ロアン准将の副官と親友の家族たちも含まれていたそうです。
しかし、この男が、この殺害に本当に関与していたかどうかは明確にはわかっていません。いまならきちんとした裁判ですべてが明らかになったことでしょうが、なにせ戦時中のことです。ロアン准将にしてみれば、部下や親しい人びとを惨殺した相手への、戦時中としては正当な報復措置を行ったに過ぎなかったのかもしれません。事の是非を今の価値観、尺度だけで判断することはできません。
写真家エディ・アダムスは、最大の名誉を辞退しました。
国際社会にとって、この写真は非人道的な戦争を語るうえでの「シンボル」となりました。欧米では激しい反戦運動が勃発。エディ・アダムスも、批判の波に晒され、呆然とし、ピューリッツァー賞を辞退してしまいました。後に彼は、この写真を撮影したことを激しく後悔したといいます。
1968年、ロアン准将は重症を負い、アメリカで片足を切断しましたが、サイゴンへと戻りました。しかし、その後には米国に移住。同地で彼はピザ店を開業し、彼のことは忘れ去られたかに思われました。しかし、1990年代初頭、店の壁に「お前が誰かを知ってるぞ」という落書きが現れ、彼はまた批判と好奇の目に晒されることとなりました。
37歳のときに、自身の運命を変えることになる一発の銃声で有名になったグエン・ゴク・ロアンは、67歳となった1998年、がんでその生涯を閉じました。
アダムスが、ロアン存命中に書き残した言葉。
写真家のアダムスは、ロアンが存命中、写真によって彼の名誉を汚したことを謝罪しました。
後にアダムスは、タイムマガジンでこんな言葉を書き残しました。
「将軍はベトコンを殺した。私はカメラで将軍を殺した。写真は強力な武器だ。人びとは写真を信じるが、写真は真実の半面に過ぎない」。