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あらかじめ決められた恋人たちへ「7」

 第1章 「巡り逢い・誕生・見知らぬ世界とハイバネーション」

                             

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 何故ナキヤミには灰色の尻尾が生えているのか? 
 ボクはヒカリに訊ねた。彼女はその答えを知らなかった。未知しるべから産まれた直後は人間と同じ姿形をして、数時間後には血肉を裂き、尻尾が生える。ボクに綺麗な白でもなく、黒でもない灰色の尻尾があるのは、ヒカリが丁寧に血を落とし手入れしてくれたからだという。
 
 命の名前を思い出したとき、ボクたちはどこに向かうのか?
 
 不思議だ。
 言葉や文字の読み方、珈琲の香り。そんなことは覚えているのに産まれて来る前のことは何も思い出せない。こんなとき『僕』ならどうするのだろうか?
 未知しるべの中で僕の夢を見て以来、ボクは僕の夢を見ていない。
 それどころか、少しずつあの日の夢が思い出せなくなっていく。
 それが何を意味するのか分からないけど、たぶんどうと言うことはない。
 何故かなんて知るはずもないけど、たぶんそれが、一番良いことだからだ。

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 人間の夢を観察する。
 具体的にはそれは古い本を読み解き、文字に起こし名前を付けることだった。
 古い本の中には誰かの夢物語が記憶されていて、それは数万の本で造られた巨大な岩の塊のようだった。
 そしてその本は見開きの中心に一文字ずつしか書かれていない真っ白い本だった。








                   夢








                   心

 





 この真っ白な何も変哲もない紙の集合体から夢を読み取るのは、なかなか骨が折れる仕事だと思った。ただ本には個性があった。
 
 たとえば、
 奥歯を噛み砕いた肥満体のような本、眉毛がない拒食症のような本、セックスをしている気管支のような本、精神疾患の大天使ミカエルのような本、袋とじの中身を知りたがっているアリストテレスのような本、歯磨きをしている本、好きな人の首筋の血を吸った蚊を捕食しようとしている陰茎のような本、心臓が産まれて直ぐのような本、三和音でピカソのフルネームを表現しようとしているような本、銃弾で穴の空いた自閉症義務教育のような本、詩のような本、人間の仮面を被った核弾頭の親指のような本、育てたヒヨコを唐揚げにした烏骨鶏のような本、ガンジーがヒトラーに宛てた手紙のような本、泣いているような本、カニバリズムのヤクルト中毒者のような本、自己殺人者のような本、盗んだバイクで走り出したフンコロガシのような本、雨の中、傘をささないアルファベットのような本、風呂に浸かっているような本、深爪したガブリエルのような本、水を飲み過ぎたしょんべん小僧のような本、好き好き大好き超愛してるのような本、ラッパを忘れた天使が今日はなんて日だとつぶやいているような本、自傷行為を繰り返すヒーローの顔のような本、とても本とは思えないような本、過去に来たことを後悔しているジョン・タイターのような本、ロボトミーをした天の川銀河のような本、死んでいるような本、など、など。
 
 こんな感じの個性ある本だ。
 そしてこの日からボクは真っ白な本と戦った。 
  
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『かさんかすいそすいをきずぐちにぬる。
 しゅわしゅわとおとがして、ばいきんたちはしんでいく。
 かさぶたさん、こんにちわ。
 きずぐちはぼくをわくわくさせるきゅうきょくのえんたーていめんと。
「もう、またケガしてあとに残るじゃない」とママ。
「だって、みらいのぼくはいちりゅうのあたりやなんだから、いまからいたみになれてないといけないとおもって」
「まあ、さすがうちの子だわ。そこまで考えているなんて。当たるならランボルギーニに乗った合衆国大統領よ」
「まま、もうがっしゅうこくはきょねんなくなったよ。おくすりのやりすぎだよ。それにあたるのはてっぽうのたまなんだよ」
 かさぶたさん、かさぶたさん、こんにちわ』とボクはこの夢に名付けた。

    

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『遥か昔それこそ数万年も昔の物語り人類がまだ動物の一種であった時代複数の未確認飛行一ドル札が天から降りてきました彼らは自ら制御不能になったドルの力で故郷を失ってしまいこの地球に降り立ってきたのでした彼らは話し合いをしましたこれからどのようにして生きて行くのか一ドル札は言いましたこの地を失った故郷のコピーにしよう一ドル札は言いましたもう二度と同じ過ちは繰り返さない一ドル札は言いましたこの地と融合して争いはもうやめてゆっくりと暮らそう最後の一ドル札の提案に複数の一ドル札は賛成しましたしかし一枚の一ドル札は言いましたこんな地などと融合などできるものか皆は一ドル札の説得は不可能だと悟り一ドル札を可測宇宙の彼方に封印したのですこうして一ドル札たちはこの地と融合をはたしました時間は流れ彼らの血は薄くなり力は弱くなりましたしかし封印したはずの一ドル札は生きていたのです封印されたままで精神だけを自由に動かせる力を手に入れた一ドル札は早速自分の理想の世界を作り始めましためでたしめでたし』とボクはこの夢に名付けた。
  
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『たわいない会話だ。
「魂の重さってどのくらいあると思う?」
「さあ、どうでしょうね。あなたはどれくらいであって欲しいの?」
「そうだな、未練たらしい男くらい、あればいいんじゃないかな?」
「それは重いわね」
「急にどうしたの?」
「夢を見たんだ。誰かが生まれ変わる夢さ。
 遥か天空から大地を見渡して、宇宙へ出たり、世界遺産へ行ったりして、結局、生まれ変わることは出来なかったけど、なんだか考えてしまってね。空を飛んでいたんだ、だからどれほどの重さで飛んでたのかなって」
「魂の重さね……。昔、ダンカン・マクドゥーガルが魂の重さを計る実験をしたの。六人の患者と十五匹の犬を使って、死に際の体重の変化を計ろうとしたの。その結果、人間は水分の蒸発とは異なる重量が失われたそうで、犬にはそれが起こらなかったそうなの」
「それで?」
「研究はずさんで、被験者の数も少ないし二人失敗したらしいけど、二十一グラム、六人の平均でなく一人当たり二十一グラム失われたそうよ」
「二十一グラムか……。でも犬には起こらないって可笑しな話しだね。だって犬には魂がないって言ってるようなものだよね?」
「そうね、そう解釈できるわね」
「僕は魂には重さはないと思ってる、正確にはあるんだけどないかな」
「可笑しな人、じゃあなんでそんなこと聞いたの?」
「意味なんてないさ、気まぐれで思っただけだよ。ただ思うんだ、魂って宇宙そのものなんじゃないのかなって?」
「話しが見えてこないわね」
「つまりはね。僕は今意識を持ってる。感覚や意思もあってこの部屋に差し込む陽射しが温かいと感じるし、ジャスミンティーの香りも分かる」
 ジャスミンティーを口に含む。
「それで?」
「それでね、人にはもちろん重さがある。僕の体重は六十キロ、これは今現在では揺るぎ無い事実だ。そして魂は僕の中にもちろんある。でもね、魂ってのは流動的なんだ。宇宙を漂ってるんだ。つまりは、水槽の中に色の付いた水溶液を入れると漂うだろ? その水溶液が魂でギュっと集まって一つの個に宿る魂になる。そして死んでしまうと、その魂は広がり形を成さずに漂うんだ。水槽の中の質量は変わらないだろ、生物もその中の一部に過ぎない、だから宇宙の質量こそが、生物の魂の重さでもあると思うんだ。宇宙の質量なんて分からないだろ? だから僕は魂には重さがないと思ってるんだ」
「面白いわね、つまりは今この部屋にも魂が漂ってるってことね」
「そうだね、初恋のあの子のところにもね」
「それで、あなたは生まれ変わりを信じるの?」
「信じるさ。僕の理論で考えれば人は生まれ変わる」 
「でも人口は増え続けているわよ、生まれ変わりがあるのであれば、初めて生まれたものだってあるはずよ」
「例え人口が増えようと魂の全体的な質量は変わらない。人口が増えれば増えるほど、漂う魂は分裂を繰り返すのさ。元は一つの魂が二つになり四つになり、八つになる。不完全で脆い魂になっていくんだ。精神的にね。だから昔の哲学者たちは賢者って呼ばれるんだ。今現在の知識人なんかよりも、よっぽど濃い魂を持ってたんだ」
「なんだか納得してしまったわ。私ももちろん生まれ変わりを信じてる」
「良かった」
「有意義な話しだったわ、ありがとう」』とこの夢に名付けた。

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『とある街で原因不明の病が流行っていた』
「この流行病を治療する方法を解明致しました」と一人の司教が教皇のもとを訪れた。
「申してみよ」教皇は言った。
「はい。我らが信仰する今は無き大樹から炙り出る煙に、この流行病を治療する成分があることを突き止めました」
「ほう、興味深い。だが大樹は遥か昔に枯れ果て、今はその跡地を聖地として崇めていることを司教ともあろう者が知らないはずはないな?」
「はい、存じています。しかしながら申し上げます。今、私どもが居るこの場所はその枯れ果てた大樹で創られた教会であります」
「たわけがぁ! それは我が神に対する冒涜だっ! その罪人を捕らえよ」
司教は捕らえられ牢に入れられた。
今こそ信仰とは何かと問うべき時代なのだ!
司教はいま死ぬことはできないと必死で牢を壊した。爪は禿げ、甲からは骨が剥き出しになり、気が狂いそうなほどの痛みに耐えた。民のため、己の信じる信仰のため。
人目を避け、教会へ向かい火を点けた。
よく燃えた。よく燃えた。
煙は町中を覆った。
人々は絶望の縁に教会の周りに集まり祈りを捧げた。
「この世の終わりじゃ」一人の老人は言った。
司教は再び捕らえられ、その場で百キロ超ほどはある巨漢騎士のエレクトニカルマッサージを喰らい悶絶死した。
流行病はそれから直ぐに回復の兆しを見せ、その日以降死者は出なかった。
人々は神に感謝した。
それからというもの信仰はさらに深まった。とボクはこの夢に名付けた。

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「順調に進んでるみたいね」
 挽きたての珈琲を持ってヒカリがやってきた。ボクはそれをヒカリオリジナルと呼んでいる。何が入っているかも知らない特製の珈琲は、ボクが挽く珈琲と違って深みに意地悪が入っている分とても口当たりが良い。何が入ってるかは知らないけれど。
「疲れる仕事だよ」ボクは言った。
「疲れない仕事なんてないわよ」ボクたちは笑った。

 巨大なテーブルマウンテンの上にあるこの街の端は、いつも遠くまで厚い雲で覆われていて、この場所へどこからかやって来ることも、どこかへ行くこともできない。
 ボクたちの仕事場はそんな大地のちょうど中心、小高い丘の上にある。ここからの風景はこの街を一望出来る。
 三階建てのレンガ造りの建物は、この街の建造物で唯一木製でない。それは大事な大事な本を守っているからに他ならない。
 ボクたちナキヤミが住む南の居住区から、田園地帯を抜けると人間の住む街が東に見える。西には何もない岬があり、壮大な雲海を眺めることができる。
 中心から北は未開拓の地であり、雑木林が広がっている。基本的にはこの先へ進むことはない。ここから先に進むことが出来るのは目覚めの日を迎えたナキヤミだけだとヒカリは言った。
 目覚めの日、それは突然、何の前触れもなくやってきて、ナキヤミはこの世界からいなくなるのだという。
 ボクたちはヒカリオリジナルを飲みながら空に反転するように浮かぶ街を眺め休憩した。ヒカリは胸ポケットから一本煙草を取り出して吹かした。甘い香りがする。
「昔、目覚めの日を迎えたナキヤミが観察した夢にこの世界の夢があったそうよ。私たちが住む世界は、この世界の最下層なんだって」
「どういうこと?」
「この世界は揺り籠の中にある断層世界にすぎないって言っていた。そしてこの場所は最下層で、空に見える街は一つ上にある別の世界であり同じ世界だって。あの場所には同じように私たちがいて、同じように夢を観察しているの。でもそれは本質的に別の世界で、あるかもしれないもう一つの可能性の世界って言ってたわ」
「なんだかわからないよ」
「私も同じよ。目覚めの日を迎えれば、それはわかることなのかもしれない」
「そう願いたいね」
「もうひと仕事しようか」
「そうしよう」

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『零という数について考える。
 零とは一の前の整数であり、負の概念の一つ前に同定される数だ。零に何を掛けても零。整数を零で割っても零だ。ただこの零は厄介な性質を持っている。零を整数で割ると答えは『無い』という現象が起きる。では零を零で割ると答えは何になるのだろうか? 答えは『どんな数でもいい』だ。零は何にでもなれるのだ。
 零という概念の根底には無や空、存在や非存在、有限や無限が隠れている。それはあらゆる事象は単体での自立した主体をもたず、無限の関係性のなか絶えずに変化をしながら発生する出来事であり、逆に主体がないからこそ、様々なものが関係しあい物質的現象が成り立つ。そこに人間の感覚、身体機能、意思、認識すべて変化のなかで感覚、対象が混ざり合うと、僕という空っぽ人間が出来上がる。つまりは彼女の身体、声、言葉、匂いが脳に視覚、感覚、認識として成り立つことで僕が出来るということだ。そう考えると、彼女もまた僕が存在することで成り立つということになる』とこの夢に名付けた。

「次の本で最後にするよ」
「私もそうしようと思う」

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『暗い部屋。
 暗い、暗い、暗い部屋。
 可愛い彼女が暗い、暗い。
 あとどれくらい、嘘をつく。
 暗い部屋。
 暗い、暗い、暗い部屋。
 愛しい彼女が暗い、暗い。
 壊れるくらい、かすむ声』とボクはこの夢に名付けた。

  第1章「終」

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