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あらかじめ決められた恋人たちへ『5"』

第3章「別れ・再生・目覚めの日とシリアルストリーム」

   

第1章、第2章はここから

    12

 着信音が鳴った。
 僕のスマホが鳴るときはたいがい山猫からの飲みの誘いなのだが、この日は珍しく『命の別名』からだった。
 僕は窓際から差し込んだ光の空間に身を納めながら、ぼんやりと天井を見つめ電話に出た。 
「暇してる?」
「太陽の動きを観察していたんだ」
「太陽の動き?」
 あながち嘘ではない。早朝から差し込んだ冬の光の中で横になり、太陽の動きと共に僕は身体を転がしながら、もう五時間は少しずつ視界が変わる天井を同じ体勢で見上げていた。
「悪いときに電話しちゃったかな?」
「いいや、とてもいいタイミングだよ。君から電話がこなければ、僕は太陽が沈むまでずっとこのままだったよ」
「それはどうも」
「それでどうしたんだい?」
「散歩でもどうかなって?」
「いいね。どこで?」
「多摩川でスーパードライでもどう?」
「いい案だ。乗った」

 僕は途中のコンビニでスーパードライをニ本買って待ち合わせの場所へ向かった。

「乾杯」
 缶ビールを重ね歩き出す。
「けっこう寒いわね」
「そりゃそうさ、冬だからね。もうすぐ年も明ける、そしたら僕は三十歳だよ」
「あら、そんなにおじさんだったかしら」
「知ってるくせに」
 彼女はにこにこと笑いながらビールを飲む。
「時間が経つのって歳を重ねるごとに速く感じるわよね」
「そうだね、それはしょうがないことだよ。二十九年生きた内の一つの年だから、十八歳のときと違うのは確かだよ」
「その通りね。ねえ、私たちいつ出会ったんだっけ?」
「いつかもそんな話しをしたよね?」
「うん、結局私は思い出せないの。君とどうして出会ったのか」
「僕もいつだったか忘れたな」
「思い出そうとしてる?」
「もちろんだよ、君との思い出は沢山あるし、一つ一つ遡って考えるんだけど、ある程度の場所まで遡るとそれ以上思い出せないんだ」
「私と一緒ね」
 肌に冷たく刺さる風が首に巻いたマフラーを震わせて首筋がちくちくとした。
 ヘリコプターがゆっくりと雲を翔て僕たちはその行き先を追った。
「『穴貸し』って女の子がヘリコプターを見て言ってたんだ」
「なんて?」
「なんだと思う?」
「そうね……。近くでマラソン大会でもしてるのかなとか?」
「どうしてそう思うんだい?」
「マラソン大会をしてるときっていつもヘリコプターが飛んでるじゃない? 空からコースを映してる映像とか」
「確かに見たことあるけど違うよ」
「やっぱり?」
 彼女は微笑んだ。
「あのヘリコプターからミサイルや銃撃が飛んでくるって思うと恐怖だよねって言ったんだ」
「随分と悲観的な考えを持った女の子ね」
「うん、それ以来こんな穏やかな河川敷を散歩してても、街中を歩いていてもヘリコプターとか飛行機を見るとなんだか爆弾でも落ちて、この街をめちゃくちゃにしちゃうんじゃないかなって思うんだ」
「現実的じゃなわね」
「そうだね、この国では現実的ではないね。いつか話した夢の話しを覚えてる?」
「始まりの夢のこと?」
「あの日から僕は夢の中にいるんだ。決して抜け出すことのできない夢の中」
「どうして抜け出さないの?」
「抜け出さないんじゃなくて、抜け出せないんだ。でも僕は抜け出さないといけないと思ったんだ」
「どうして?」
「誰かが僕の名前を呼んでいる気がするんだ」

     13

『21』の中でリヴィングストンは夢について語っている。
 僕は、夢を見ることが好きなんだ。
 夢の中の僕は夢を自覚している。
 過去の偉人たちに逢ったりすると彼らに必ず訊ねるんだ。
「この世界、宇宙、全ての答えってなんだと思うってね」
 すると彼らはこう答える。
「女の子の素敵な秘密の中に答えはある」
 プラトンもアリストテレスも、カントやニーチェだって言ったさ。
 もちろん僕も同じことを思ってる。
 それが宇宙の始まりだってね。
 彼らと僕の考えが同じなのはね、簡単なことだよ。
 彼らは僕の中にいるんだ。
 僕の意識によって形成されてるんだ。
 持ち合わせている思考が共通しているのは当たり前のことだよ。
 もし実際に彼らに会うことができて同じ質問をしたのなら、
 彼らは僕の問いになんて答えてくれるのだろうね?

     14

「僕はね、僕自身の答えを探し出さなくちゃいけないと思うんだ」
「自身の答え——。それはどんな答えだと思う?」
「さあ、わからないよ。だからね、僕は自身と君たちと向き合わなければいけない」
「じゃあ、今度彼が帰ってきたら3人で旅行に行きましょう。箱根、鬼怒川、九州もいいわね。黒川に由布院、温泉に浸かって美味しいものを食べましょう」
 僕はにこりとする。
「いい提案だけど——でもね、なんと言うか——僕は今、ここが夢の中ってのを知ってる。だってね、僕はロケットペンダントを首からさげない」
 胸にさがったペンダントを左手で握り彼女に見せた。
「僕がアトピーってのは知ってるだろ? 銀のチェーンなんて首にさげていたら皮膚が炎症してしまうし、これを首からさげたのは一度だけなんだ。ペンダントはいつも机の隣りに掛けてある。だからこの場所が夢だってことがわかるんだ」
「もしかすると、気付かない内にさげていたのかもしれないわよ」
「その可能性もあるよ。でも僕にはわかるんだ」
「そう——じゃあ、あなたは一体誰で、私は一体誰なの?」
「それが分からないんだ。僕は君のことを知っているし、僕は君のことを何一つ知らない。一つだけ……、君に聞きたいことがあるんだ」
「何?」
「それはね——夢から覚めたとき、そこが現実だって分からないかもしれない。どうすればいいと思う?」
「簡単なことよ」
 彼女は微笑む。
「目を、覚ませばいいのよ」

「目を覚ませばいい——その感覚が僕には分らないんだ。もう長いこと夢際にいて——この世界を彷徨っている。そして少しずつだけど、僕は本当の僕を思い出そうとしていることは確かなんだ。でも結局何が正解でこの世界から抜け出せるのか分からない」
「目を覚ますとはそういうことよ」
『命の別名』は真っ直ぐに僕を見て言った。
「君はもうこの世界からの抜け出す方法を理解しているはずよ。私が誰なのかも含め君は心の奥深くで理解しているはず——。思い出すのよ、自分とは誰なのかを」
「君はやっぱり何か知ってるのかい?」
「私は何も知らないわ。ただ、私は君の心のイメージに従っているだけよ」
「僕の心のイメージに従っている?」
「そうよ。君は夢の中で自分自身にすでに出逢っているはずよ。夢の中の人物は、君の心のイメージでしかない。憧れや、夢、過ちや、現実、それはすべて君の心がもつイメージの一部でしかない。今、君の目の前に存在する私は君の心がもつイメージの一部でしかないのよ」
「僕の心の一部か——」
「君が本当の意味で目覚める日は、もうそこまでやってきているはずよ」

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