知らないことを知ること。地元のこと本当に知ってますか?
九州の別府から小倉方面に向かって約四十分ばかり汽車で行くと、宇佐という駅に着く。宇佐神宮があるので有名な町だ。
この宇佐駅からさらに北へ向かって三つ目に豊前善光寺という駅がある。そこから南のほう、つまり山岳地帯に支線が岐れていて四日市という町まで行っている。
この辺は山に囲まれた所で、さらに南へ行けば、九州アルプスの名前で通っている九重高原に至る。四日市の駅で降りると、バスは山路の峠を走るが、その峠を越すと、山峡が俄かに展けて一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩、盆地には霧が立籠め、墨絵のような美しい景色となる。ここの地名は安心院と書いてアジムと読ませる。正確には大分県宇佐郡安心院町である。
松本清張『陸行水行』の書き出しで始まる安心院という小さな町が僕の実家があるところだ。
小説には豊前善光寺から南へ四日市までとあるが今はもう廃線となっている線路。
大分交通豊洲線といって陸軍の物資を日出生台(ひじゅうだい)に届けるために作り始めたらしい。僕の生まれるずっとずっと前の話しなので、線路なんて見たこともない。
小説の中に出てくる妻垣(つまがけ)神社は宇佐神宮二之御殿に祀られている比売大神(ひめおおかみ)の故郷とも言われている。その神社の隣に大きな空き地があってかつて謄宮学館(とうぐうがっかん)という神職を養成する学校があった。
現在神職の学校といえば僕の母校である國學院大學と三重県伊勢市にある皇學館大學だけとなっている。神職養成所や養成講習会など他にもあるが、母体が國學院なので実質この二校だけだ。
他に安心院といえば、こて絵、ぶどう、スッポン、安心院ワイン、安心院蔵、西日本最大のレーシングカート場、九州自然動物公園アフリカンサファリや民間で初めて反射炉を造った賀来惟熊(かくこれたけ)や幕末の三大本草学者の一人、賀来 飛霞(かく ひか)知ってることをあげればまだまだが、知らないことの方がずっと多い。
この町で15歳まで育ち、この町の歴史を何も知らない。一昨年から僕は帰省の度に町のあちこちに足を運んで、この町の文化や歴史を調べている。
それが何になるのかといえば、何にもならないかもしれないし、小説のネタになるかもしれない。
でも僕は純粋にこの町について知りたいと思ったから調べることを始めた。
知らないことを知ることは楽しい。
それはどんな分野に対してもだ。今まで触れることのなかったもの。
知らない国、知らない地域、知らないファッション、知らないアート、知らないをつければどんなものにもつけることができる。
トップの写真は今日行ってきた安心院町の津房(つぶさ)にある地獄極楽。小学校低学年の遠足以来20数年ぶりに行ってきました。
皆さんは地元のこと知ってますか?
この洞窟は江戸末期、大衆教導の場としてノミで掘って造られ、当時のままを残している全国でも珍しい洞窟です。
まず、入り口を入ってすぐ閻魔大王の裁判を受けることになります。その後、牛頭・馬頭に引かれて地獄道(40m)を進むと奪衣婆(だつえば)が不気味に待っています。さらに進むと血の池地獄があり、赤鬼青鬼が待ちかまえています。
無事に地獄道を抜けると、ついに極楽道(30m)へと辿り着きます。途中で十三仏に助けられ、極楽浄土へと勢至菩薩と来迎弥陀が迎えてくれます。
そばにある縦穴を鎖づたいに5mほど登ると、その丘上が極楽浄土であり、阿弥陀如来をはじめ多くの菩薩と一緒に、すばらしい景色を楽しむことができるという構成です。
洞窟の中に地獄から極楽までのストーリーを表しているのは、全国でも唯一ここだけと言われています。 宇佐市ホームページより。