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あらかじめ決められた恋人たちへ「5」

第1章 「巡り逢い・誕生・見知らぬ世界とハイバネーション」 
  

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「おまいさん珍しい! 夢際の住人じゃの?」
「おじいちゃんわかるの?」
「わかるとも、何年この場所にいると思っとんじゃ?」 
「どのくらい?」
「さあ、数えたこともないわ」
 白い立派なあご髭を蓄えた老人は言った。
「夢際ってのは複雑な場所じゃ、ほれおまいさん今日一日何をした?」
「朝起きて、新聞を読んでフランスパンにスープ、家のことを終わらせて動物園に行って、それで帰ってきた」
「それが本当に今日一日の出来事だと確信は持てるかの?」
「どういうこと?」
「夢際とは意識の境界線上じゃ、ダルビッシュがメジャーのマウンドに立って、今まさに投げた球種は日ハム時代に投げたチェンジアップかもしれないってことじゃよ」
「ごめんよくわからないよ」
「いいか? 一日の流れを感じるんじゃ、朝六時に起きて九時までは今日の出来事かもしれん、でも九時から十ニ時までは一昨日の夢の中で、十ニ時からはまだ見ぬ未来の夢の中の出来事かもしれないっとことじゃ」
「なんとなく……。理解はできたよ」
「おまいさんはまだ自分に会っていない。だが再生の途中で他人に会うことは素晴らしいことじゃ。おまいさんは夢の中でビールを飲む。それは夢のビールであって現実のビールじゃない。目に見える全てのモノの本質を見極めるんじゃ。おまいさんはイメージじゃ。心が描いたものなんじゃ。教養、常識、既存の理論を疑え。理解出来たならさっさと目を覚まさんか!」
 僕は赤いずきんを被った少女に縛られて嬉しそうにする老人に叱られた。

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「それでどうしてベー・ブルースなの?」
「ベー・ブルースじゃなくて、ベーブ・ルースだよ」
「そんなのどちらでもかまわないわ。だって理解してるんだから」
 僕としてもそこはどっちでもかまわなかった。
「たしかに僕もそれが聞きたいよ。僕らの世代ならマーク・マグワイアとかサミー・ソーサじゃないか、テニスプレーヤーならピート・サンプラスにマルチナ・ヒンギスさ」
 山猫は機嫌良くきんきんに冷えたジョッキのビールを流し込み言った。
「たしかにそうよね、世代じゃないわ」
「君はマグワイアとかソーサとか、あとなんだっけ知ってるの?」
「サンプラスにヒンギスさ」
「そう! それだ。知ってるの?」
「もちろん、今知ったわよ」
 彼女は答えた。
 
 僕らは『SIX』のカウンターに仲良く並んで座り、僕の夢について話していた。並びは決まって入り口から見て左から僕、山猫、そして彼女の順だ。いつからこの順番なのかわからない、気が付けばいつもこの順番で誰かがいないときでも、決まった場所に座っていた。

「どうしてだろうね。僕は特にベーブ・ルースが好きなわけでもないんだ。それなのになぜ彼が出てきたのかわからないんだ」
「なんか直前に特集番組でも見たんじゃないの?」
「うーん、どうだろう?」
 僕は山猫がきれいに積み重ねたピーナッツの殻の入った小皿を、右手の人差し指で丁寧に崩しながら考えた。
「でもその可能性は高いと思うよ」
 山猫は僕が崩した殻を彼女の方にある別の小皿に移し替えながら、また一つ一つきれいに積み重ね言った。
「だってマグワイヤ、ソーサってホームラン争いしてたじゃないか、そのときにベーブ・ルースの話題がテレビで放送されないわけがない。偉大な記録なんだしね」
「でもその夢を見たとき彼らはとっくの昔に引退していたよ」
「じゃあもしかして——」
 彼女は考えごとをするとき、いつも右目の泣きぼくろを右手の人差し指で押さえる。ほら思った通り、押さえた。
「ブッシュ?」
「どうだろう、確かに彼は時の合衆国大統領だったけど僕みたいな一般人の夢に出てくるような安上がりでもないだろ?」
「1億ドルくらいの請求は覚悟しといたほうがいいね」
「かわりにポップコーンでも作ってやるさ」
 山猫は最後の殻をジグソーパズルのピースをはめるように移し替えると、長く垂れた尻尾を持ち上げ満足そうな表情で僕の肩に、とんっと置いて言った。
「国の為というのは悪党の最後の言い逃れである」
「誰の言葉?」
「サミュエル・ジョンソン。ふと思ったんだ、何故ブッシュがベーブ・ルースを殺したのか、何故戦闘機が空を飛び花火を落としたのか」
「何故なんだい?」
 僕はビールを一口飲むと山猫に訊ねた。
「不朽の自由、アフガン侵攻にイラク戦争、衛生放送やインターネットが僕たちの身近になって、それは同時に世界のどこにいても悲劇であったり、喜劇であったりリアルタイムで視聴することがちょうどその当時可能になっただろ。君が夢を見たのはまさにそんな真っただ中だ。意識してなくてもそれは心の奥底にひそかに残ってた。だから彼がまず夢に出てきたんじゃないのかな」
「確かにそうかもしれないな。あの当時は毎日のように戦争の映像がテレビの電源を押すだけで体験できた」
「そうね、私も観たわ。深夜どこか知らない場所でロケットが発射されて、流れ星のように進んで——でもそれは消えることのない赤い閃光だったわ」
 
 山猫は僕の肩に置いた尻尾をすっと下ろした。
「ものごころがついた僕たちが体験した初めての戦争だよ」
「野球は……でもどうして野球だったのかな?」
 彼女が言う。
「僕が当時よく観戦してたからだと思うよ。それ以外は考えられないし」
「うん、僕もそう思う。それに彼は大学時代に野球もやってたみたいだし、少なからずそういった情報も君は知ってたんじゃないのかな? まあ才能の限界を感じてラグビー部に移動したらしいけどね」
「詳しいのね」
「そうでもないさ、知ってるだけさ」
「そして彼は彼を殺した。十ニインチのシングル・アクション・アーミーを持ってたよ、今でもはっきりと覚えてる。これはどういった意味だと思う?」
 山猫は胸ポケットから煙草を取り出してマッチを擦る。一瞬大きな炎がボッとあがり、瞬く間に山猫の指先へ侵攻していく。煙草に火が点くとふわふわと煙は漂い、灰皿に投げられたマッチはまだじりじりとその先を灰にしていた。
「さあ、わからないよ。それは君の心が知ってることさ」
 僕らは乾杯をした。きんきんに冷えたビールにピーナッツの殻、欲望は尽きることなく、この日僕らの胃袋の中へ消えていった。
 
 彼女が僕の帰り際ネットで検索して得た情報を、トイレから戻り濡れたままの手を、こっそりと山猫のTシャツで拭こうとしたときに教えてくれた。
 十ニインチのシングル・アクション・アーミーはバントラインがワイアット・アープに贈ったとされる特注モデルだが、コルト社の記録には十二インチ銃身の拳銃を制作した記録はない、とのことだった。僕は山猫のTシャツに強く手を押し当て拭くと、尻尾で強くみぞおちを叩かれた。痛がる僕を見て二人はケラケラと笑いながら僕は『SIX』をあとにして駅へ向かった。

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 夢際駅前伝言板 @月◯△日(☆曜日)
 *伝言板の内容は、本日限りです。 
 〈御用件〉

・三時間待ちましたが君は来ないので帰ります。
・『落とし物を探している方へ』人差し指を隣りの交番に預けています。
・この間、変な奴見た! 尻尾生えた奴!
・『拾って頂いた方、感謝しています』ありがとう、人差し指受け取りました。
・今度は無くさないように、指にリングを通してネックレスにして持ち歩きます。
・私も見た。
・6×9=1+5×8+1=42
・自己意識が消える飴玉の噂知ってる人いたら教えて下さい。
・無事受け取られたみたいで良かったです。大切にしてください。
・やっぱり君が来るかもしれないと思い戻って来ました。
・『続』自己意識が消える飴玉の噂知ってる人いたら教えて下さい。
・自分は誰かの夢の中の人物だと悟るとき、自分自身を知ることが出来る。
・6×9=(1+5)×(8+1)=54
・みんな死ねばいい。この世界なんてくそったれだ!
・あるわけねぇじゃんそんなの。
・君は覚えているでしょうか? 私たちが出会った日のことを。
・秘密の特異点は愛しいあの子の膣の中。
・飴玉売ります。
・君の夢を私の意識に接続させました。
・ありがとう。
・それでもなかなか世界はうまくできていないようです。
・明日の朝食楽しみですね。
・自己殺人者過去最高人数。
・結局、君には会えませんでした。
・またどこかでお会いしましょう。
・最後に明日には消えてしまう伝言板を今君が見ているのであれば幸せです。
・『君へ』

 僕は潰して胸ポケットに入れ易くなった煙草を取り出して火を点けた。ふわふわと吐いた意識が流動して、伝言板の最後に貼付けられた白い封筒を取り外して開けた。
『想像力こそ全て』 
 最後の電車が動き出す音が聞こえた。

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