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あらかじめ決められた恋人たちへ『序』<後>

 僕の記憶が確かなら、初めて夢を意識的に感じたのは『穴貸し』と出会った頃だった。
 
 当時、熱心にテレビの前で足組をして、缶ビール片手に野球中継を観ていた。
 バッターボックスにはベーブ・ルースが悠々と立ち、マウンドには黒のスーツを着たジョージ・W・ブッシュがいた。僕はこの様子を世紀の対決だと確信して、左手に持った缶ビールを強く握り絞め心躍らせながら視聴した。
 
 サーカスのテントの球場に、青っ鼻のピエロは観客を湧かせ、ライオンは火の輪を潜り、空中ブランコは大きく揺れながら彼らの対決を盛り上げた。 
 61本目のホームランは驚くほど簡単に、風を導くようにゆっくりと観客席へ落ちた。歓声はけたたましく心酔して、心臓を胸から引っ張り出したような鼓動を感じて、それに合わせ缶ビールが少しずつ潰れた。缶から溢れ出た液体は冷たく、左手から一筋滴り肘へと這う。ビールが肌を伝っているわけだ、もちろんそこで感じるのは心地よさや、気持ち良さであるはずがなく、肌がベトリとすることを想像すると、気持ち悪いという意識が先行するはずなのだが、この時の感情は何とも言えない怖さや不安感が表面上に現れ、僕は部屋に幽霊でもいるのではないかと思い後ろを振り返り、クローゼットの隙間に恐る恐る目線を向けたりした。
 大丈夫——何もいなかった。
 ベーブ・ルースはダイアモンドをゆっくりと走る。
 天井はいつの間にか夜空へ変わり、戦闘機から落とされた無数の色とりどりの花火が、何度も何度も夜空を焼き尽くした。
 彼はホームベースを踏むと、中継カメラに近付いてやっと笑顔を見せてこう言った。
「お前の頭上に月はあるか?」
 花火が落ちる。きれいな真っ赤な花火だ。
 まるで彼の血潮が夜空で弾けたように本当に真っ赤な花火だった。
 マウンドから青白い煙が一筋、漂っていた。
 
 瞼が自然にあがるとベッドに横たわっていた。
 妙に現実的で、現実感のない夢だった。僕は直ぐに机に向かいパソコンを立ち上げた。何故だか分からない、虫の知らせのような、あるいは人外的な何かの啓示のような、その頃の僕はいっこうに見当もつかなかったが、これから何かが起こりそうな、そんな気がしてならなかった。
 思えば、それは正しいことで『夢際』の物語の始まりは確かにこの時だったに違いない。僕は起動の間、壁に掛けられたロケットペンダントを見つめながら、先ほどの出来事を頭の中で必死に整理した。
 軽度のアトピー性皮膚炎を患う僕には辛い真夏の出来事で、首筋に滴る汗を拭いては爪で掻きむしり文章に起した。

 僕はこれを『内換記(ないかんき)』と名付け記憶の混乱を整理した。 
 まず何をするにせよ、整理というものは大事なことだ。特に僕の場合は、僕を取り巻く現状をこうして文章に起こし整理することで、断片的な意識を繋ぎ合わせているということになるのだが、こういった文章が僕のパソコンのディスクトップのフォルダの中には無数に存在する。横が十七、縦が七の計百十九個が見た目にはきちんと整列して綺麗ではあるが、僕のパソコンのフォルダは画面いっぱいに散りばめられている。
 そして、その一つ一つに僕の物語が存在する。

 こんなことがあったことすら、今の僕は何も覚えてはいなかった。
 小川の中の彼は大きなため息をついて、あまり立派とはいえない毛むくじゃらの筒をあらわにして射撃してきた。水面がびちゃびちゃと弾けて覗き込んだ顔に飛び散ってきそうになった。
 しかし、僕はそれを何らかの戒めとして飛び散ってきた水滴を浴びた。
 水滴は思ったよりも冷たかった。
 全ての弾丸の発射が終わると、胸ポケットにくちゃくちゃにねじ込まれた煙草を取り出し火を点けた。
 煙草を吹かし、次のページに色鉛筆を走らせた。
『「ジョン・レノン」と「アラン・スミシー」』と書かれていた。
 僕はその羅列の解読を試みた。
 つまりはこういうことだ。
『「ロケットペンダント」と「親友」』 
 僕は二人の大切な存在について語らなければならない。

 ロケットペンダントについて今覚えていることを少しだけ語ろうと思う。
 これは幼少の頃、幼なじみの女の子に貰ったもので、その子は三番目のガールフレンドになった。中島みゆきをこよなく愛した女の子だった。

 もう一人親友についてだ。
 僕が親友と呼べる『人間』は一人しかいない。だが彼が現在の世界観で本当に『人間』と呼べる人種なのかは分からない。
 何でも知っているはずの広辞苑で『人間』を引くとこう記されている。
 1 人の住む所。世の中。世間。じんかん。
 2 人。人類。
 3 人物。人がら。
 これだけでは人間の定義なんて分かるはずがない。だがその後に面白い記述がある。
 
『人間学的証明』
 デカルトの唱えた神の証明の一種。
『われわれが自らを不完全だと知るのは最完全者たる神の観念との比較にもとづく。しかるに不完全なわれわれが最完全者の観念を自ら生み出すことはできないから、われわれの外に最完全者たる神が存在していてその観念をわれわれに与えなければならぬ。故に神は必然的に存在するという論証』
 とある。これを読む限り『われわれ』が僕を指す言葉ということは明らかなのだが、この場合、彼にはそれが適用されるのかが疑問だ。
 何故なら彼は僕とは完全に異なる『人間』だからだ。
 
 しかし、唱えたデカルトも不完全な人間ということは疑い用がなく、当時の人間がどのような姿形をしていたなんて分からないが、身体的、意識的な進化により、僕らは完全者に近付いたのか、あるいは彼が想像もしえない退化を遂げたのかもしれない。

 ちなみに僕は完全者という表現がしっくりこないのだが、それならば超越者という表現の方がしっくりとくる。もちろんだが、僕自身の表現方法なんて皆目検討もつかない。不完全な僕は分からないことだらけだ。
 完全と不完全、その境界はもちろん分からないし、不完全な人間が造り上げた広辞苑だって不完全なモノだ。その証拠に広辞苑には『広辞苑』という索引がない。個を理解していないからだ。
 もしも僕が『広辞苑』を編集するのであれば皮肉にこう記すだろう。
 「1」 知っていることだけ知っている。
 「2」 現在、正しいと思われる表現。 
 「3」 2は時代の世界観によって変化する。 
 こんな感じだろう。
 
 話しを戻そう。
 彼が僕とは違う『人間』だと確証付けることがある。
 それは彼には『尻尾』が生えているということだ。
 意思を持った立派な尻尾だ。
 もしも彼が現在の世界観を超越した存在であるなら、何かしらの観念を僕に与えてくれるはずなのだが、そんなことはないと思っている。バーで一日中きんきんに冷えたビール片手に、ピーナッツを貪る風変わりな親友だからだ。
 僕と彼、どちらも『人間』であることは間違いない。しかし、いつかもしかすると広辞苑の『人間』の項目にこう書き加えられるかもしれない。
 「4」 尻尾がある。
 可能性の一つである。

 この日以降、僕は釣り竿を振るのを辞めた。
 それは美しい文章を書き始めたからでなく、美しい文章というものなんて存在しないと気がついたからでもない。ましてや『穴貸し』の言った言葉の意味を理解したわけでもない。
 ただ、一つだけ言えることは、この素晴らしき世界なのか、くそったれの世界なのかもわからない世界で、僕は偉大な心を探さなければならないということだけだ。


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