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Adoはプログレ

ディスクユニオンが発行する冊子「いますぐ聴いてほしい オールジャンル 2024」にスペシャル・ゲストとして、拙文ながらレビューを寄稿したのが昨年末の話だ。
浦沢直樹氏を筆頭に、各分野の著名な方々の名前が並ぶ中、名字が「い」で始まるがためにコーナーの一番上に僕の文章が掲載されたことについて、若干の居心地の悪さを感じなくもなかったが、そういった方々と同じ誌面に載ることが出来たのは光栄なことだ。なおWEB版ではこのスペシャル・ゲストのコーナーは見られないらしい。冊子版でのみ読むことができるというのも、紙ベースで育った僕にとっては嬉しい。
ところでこのコーナーにどういったレビューを寄稿したかというと、Adoについてである。
このお話を頂いた頃僕はプログレのバンドをやっていたのだけど「ジャンルはプログレでなくてもOK」とのことだったので、だったら一般的にはプログレと認知されていないものだけれど、僕がプログレッシブであると思っているものについて書こう、と思った。こういう変なねじり方をするのが僕の悪いクセだ。
しかし僕は本当に、Adoはプログレだと思っている。

良くも悪くも、もはやAdoを知らない人はほぼいないんじゃないだろうか。
2002年生まれ、中学2年生の時初めてニコニコ動画に「歌ってみた」動画を投稿。19歳で「うっせぇわ」でメジャーデビュー。以降Zepp DiverCity、さいたまスーパーアリーナでのワンマン公演、劇場版ONE PIECEでの歌唱キャスト担当、オールナイトニッポンのパーソナリティーに抜擢、夏フェス出演とその活躍は枚挙に暇がない。さらに武道館、そして女性ソロアーティストとしては初となる国立競技場でのワンマン公演も大盛況に終わった。
活動の幅を右肩上がりで広げているな、と思っていた矢先に今年行われる2度目の海外ツアー全公演ソールドアウトのニュースが飛び込んできた。一体この人はどこまで行くのだろうか。

「プログレッシブ」という単語を辞書で引くと「進歩的な、革新的な」ということが書かれてある。だとすると、今日本で最も進歩的な存在はAdoではないか。
上記の通り活動の規模はみるみるうちに巨大なものとなっている。そして当然それに伴い、表現力もとんでもない速さで進化している。
例えば国内のみならず世界的に爆発的なヒットを果たした「唱」では様々な声色を使い分け、世の人々を圧倒させた。ところが2ndアルバム「残夢」より先行リリースされた「ルル」では、更に複雑な歌唱テクニックを披露した。この短期間ですら“進歩”しているのだ。それも驚異的な歩幅で。

未だにAdoのことを「がなっててうるさいだけ」という人が一定数いる。だとしたら「向日葵」のようなメジャーキーのバラードを朗々と歌い上げるその姿については、どういった見解を持つのだろうか?がなりを入れて叫ぶスタイルがAdoなら、穏やかに繊細に歌う姿もまたAdoの側面なのだ。様々な表現力を、Adoは持っている。

そういえばAdoは自身のスタイルを「若さという宝に甘えた歌い方」といった表現をしていた。仮にそれが事実だとすれば、その限りある宝を使い切った時、どういった方向に舵を切るのか。どのような形に“進歩”するのか。少なくとも、確実に今より大きな存在になることだけははっきりしている。それが僕は楽しみだ。

ところで僕は2度ほどAdoのライブに行ったことがある。1度は武道館で行われた「マーズ」、もう1度はその翌年に国立競技場で行われた「心臓」。
「喉からCD音源」という言葉を目にすることが多々あるが、Adoの場合はそんな生易しいものではなかった。時に身体を仰け反らせながら絶叫し、時に穏やかにかつ力強く歌い上げ、そうかと思えば寝転び気怠げに歌う。喉だけではなく、全身を使って声に感情を乗せて、様々なレパートリーを歌い切る。スタジオで録音された音源には収まりきらない表現が、ステージ上では繰り広げられていた。

また演出も素晴らしかった。言うまでもなくAdoは顔出しをしておらず、ライブでも檻や照明を使いシルエットのみでの登壇となっている。それを批判的に捉える人もいるだろう。しかしその「シルエットのみ」という状況を逆手に取り、多数の照明を使用した演出と、スクリーンに映し出された映像の相乗効果によって、より楽曲の持つ世界観が強固に表現されていた。
本人の姿は見えずとも照明と映像によって、今までにはない表現方法が生み出されている。これを“プログレ(進歩的)”と呼ばずしてなんと呼ぼうか?
そして「顔出しをしていない」という一点のみでAdoを批判している人々は、果たしてプログレなのだろうか?
(もちろんオールドスクールなスタイルを愛好する人がいることは理解しているし、そういった方々を批判するための文章ではないという注釈だけは入れておく)
先日Adoがアメリカに短期留学した際にもつべこべ言ってる連中がいたが、少なくともいつまで経っても中央線沿線から離れようとしないバンドマンよりかはよっぽどプログレッシブであると言えよう(これは明確な悪口です)。

その後Adoは自身が作詞作曲を務めた楽曲「初夏」を、初音ミクとの共演を果たした「桜日和とタイムマシン」との両A面という形でリリース。ライブでは「向日葵」を今まで練習してきたというアコースティックギターの弾き語りで披露するという、また新たな試みを行っていた。
「初夏」はAdoが17歳の頃に作ったものを元に、歌詞やメロディを書き直した楽曲だという。17歳の頃の、そして現在も抱えているであろう劣等感と焦燥感が歌詞にありのままに浮かび上がっている。Adoが優れたシンガーであることは言うまでもないが、濁った感情をザラついた言葉で表すことのできる詩人でもあるということが、この楽曲で判明した。

僕は僕は、僕は馬鹿だった 水溜る箱庭
傷口を塞ぐために また自慰を繰り返す
呆れた横顔
夜明け前の夢より綺麗な言葉を並べても
美しく枯れる都会の花火
そこに僕はいない 後の祭

【Ado】初夏 (Shoka)

Adoはあくまで自分のことを「歌い手」と称し、「ボカロ、歌い手という文化を世界に広めたい」と公言している。しかし今の進化の速度を見る限り、もはや歌い手という枠さえも飛び越えて、さらなる高みへとたどり着くことができるのではないだろうか。

全てにおいて飽きっぽく物事が続かない僕が3年以上Adoを追いかけているのは、日を追うごとに“進歩”しているからだ。同じ箇所で足踏みをせず、常に新しいことにチャレンジしているその姿が面白く、次は何を聴かせてくれるんだろう?とワクワクさせる。そういった姿勢が多くの人を、そして僕のような奇っ怪なおじさんまでも釘付けにする。フタを開けてみるまで何が飛び出してくるか分からない。そういった楽しさがAdoにはある。
そして、プログレッシブとはそういうことだと僕は思う。

長くなってきたので、冒頭に挙げた「いますぐ聴いてほしい オールジャンル 2024」に寄稿した拙文の締めを引用して、そろそろこの文章を終わりとしたい。

「Adoはプログレ!」


ライブ予定

2025年2月22日(土)
阿佐ヶ谷mogumogu
「交差、線 Vol.4」
開場/開演 18:30/19:00
前売/当日 ¥2,000/¥2,500(+1drink)

出演:
石垣翔大(ex.曇ヶ原)
市村涼(ダンカンバカヤロー!)
OSMO
SilverWeak

予約フォーム:
https://forms.gle/yqBbwLsGddRgW4fV7

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