自分勝手に生きる。

自分勝手に生きる。
と書くと、語弊がある。多いにある。

自分本位に生きる。
と書いても、語弊がある。

まずは自分に問うて生きる。
と書くべきだろうか。

昨年まで比、今年はそれができるようになっている。
では昨年まではというと、それができていなかった。
なぜか。精神的に疲弊していたから。

口酸っぱく書いているが、昨年の今頃の自己減薬・自己断薬は失敗だった。
失敗をふまえて、今年はいつもどおり薬を服用している。

ではその減薬・断薬期間に何があったか、一例として。

例えば、家族の中の特定の人物の体調と自分の体調がリンクしていた。
その人物が体調が悪いと、まるで鎖で繋がれているかのように、私も落ち込む。すごく落ち込む。どんどんと、悪い方へ悪い方へと考え込む。

今でこそ、そうだったと振り返られるが、それも最近になってだ。
だが完全ではない。昨年、躓いた日からもうすぐ1年を迎える。そこを越えられるか、怖い。
昨年と違うのは、「限りなく可能性は低いが、それを拡大解釈してしまう」精神状態ではない。

例えば、特定の人の言動や振る舞いに振り回されていた。
他人を心配することは良いことなのかもしれないが、そこには自分を残すことなく、いわば全ぶっこみ状態、フルスロットルで心配していた。
するとどうなるか、精神的な疲れしか残らない。
(今はその人とは距離を置いている。向こうから置かれたと書くべきか)

今は自分勝手に生きている。いや、生きられている。「まずは自分」という勝手具合で。

#自分勝手 #自分本位 #失敗から学ぶ #精神的症状 #気持ちを楽に生きるには


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