読書で言葉を増やしたから、生きやすくなった。
人との接し方が分からなかった
たまに、エバーノートでブックマークしている記事を読み直している。
自分が今思っていることを知りたくて読んでいる。
それは自分で言葉を紡いでいると、自分自身が癒されるから。
そうなんだよな。と昔の自分を思い出す。
僕は昔、人とのかかわりが大の苦手で、
というか、人との話し方がわからなかった。
それって才能でしょ。って思っていた。
親戚と話すことも、ましてや家族と話すことも、先生と話すことも、どうしたらいいかわからない。
周りとうまくなじめなくて、仲間外れにされたこともあったし、気が弱くて、いつもビクビクしていて、いじめられたこともあった。
どういうやりとりが、正解なのかと、正解をいつも探して、答えられずにいた。そんな頭の中だったから疲れてしまう。
黙ってた方がましじゃん。
だったら、黙ったまま生きていたい。と思っていた。
読書の役割って?
そんな僕が今思うのは、読書の役割について。
趣味としての読書を、僕はわからない。
「しょーいちさんは、よく本を読むよね。」と言われるけど、まったく自覚がない。というか、その読書好きフォルダーに入れていいのかと思うたりもする。
※その人の『好き』の定義がわからないと肯定も否定もできない、めんどくさい男である。
読書が好きな人=文学を愛する人
という定義で考えると、
いわゆる、文学を僕はほとんど知らない。
小説家の名前すら、ほとんどわからない。
だから読書が好きという人と、ほとんど話が合うことがない。
読書って楽しいよね。本を読む人が増えてほしい。
と願う読書好きの人もけっこういる(気がする)
その気持ちが実際、よくわからない。
しょーいちさんって、めっちゃ本読むよね。
と言われ、読書=しょーいち となっているのだけども。
その違和感は、僕の読書においての役割が、いわゆる本好きとは違うからだと思う。
その僕が考える僕の読書についての役割は、
言葉を増やす、自分を言語化するという役割だから。
気持ちを言葉にするという目的で、読書をしているからだと思う。
本の内容ではなく、いかに自分のココロを言葉することに
本を読んでいるので、あまり誰がどうのこうのとか、
物語がどうのこうの、ということが必要ない。
読書の目的の2パターン
「そんなに考えて読書してどうすんの?」
「もっと気楽に読めば?読書って自由じゃん。」
そういう声が聞こえてきそうだが、
自由だからこそ、どういう読書があるのかって分けることも必要だと思うのだ。
さて、読書の目的は、主に2パターンあると思う。
②が僕の読書。
んで、②であっても、それを
エンタメみたいに気楽にできちゃう、
というか自然にしてしまうのが僕。
※②があって、それが①になる。
僕は読書が好きというより、読むことで自分の気持ちが言語化されるのが好きなのだ。あくまで本は手段で、本を通して自分を知るのが好きなのだと思う。
物語が面白かったというより、この会話のこの言葉が刺さった。
ということが多い。(内容は覚えていない)
刺さる言葉を見つけるのが、僕の読書。
だから、口コミをみても、参考にはならないタイプの人間。
元々内容うんぬんの話ではないから、目的がちがうのだ
言葉を増やす読書は、自分を生きやすくする。
そんな読書をしてきて思うのは
そういう、言葉を増やす読書は、自分を生きやすくしてくれた。
そもそもコミュニケーションが苦手で、しゃべりたくない僕だったが、
本当はそうじゃなかった。
ほんとうはものすごくしゃべりたい人間だった。
コミュニケーションをとって楽しみたい人間だった。
ただ、その方法を知らなかったし、
自分を表現する言葉を知らなかっただけだった。
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言葉を増やせば、生きづらさは減る。
言葉を増やすために、読書をする。
そんな目的で、本を読んでみてはどうか?
しょーいち