正しいも間違ってるもない、なんてキレイごとだ。
世の中には正しいも間違っているもない。
それは確かにそうなんだ。
そうだと思うんだ。
でも、なにか腑に落ちない。なにかがある。
僕は20代前半に、この極地に陥った。
折り合いがつけられない。
上司と先輩の板挟み。
どっちも異なることを言う。
どっちにも合わせられない。合わせようとしていた。
嫌われたくない。嫌な奴だと思われたくない。
どっちが正解なんだ。
なにが正解なのかわからない。という苦悩。
でものちに、正解も不正解もないという
でも。でも。
僕はほんとうにそうなわけじゃない。
ほんとに白黒つけたいわけでもない。
グレーゾーンがあることはわかっている。
それを楽しむこともできるようになった。
でも気づいた。ほんとうは、
僕は僕の答えが欲しかった。
僕が僕自身が、ほんとうに心から思う
僕がこう思う、という心を貫く僕の正しさを。
心を貫く勇気が欲しかった。
そんな力強さが欲しかったのだ。
なぜそれができなかったのか。
怖かったのだ。
そんな自分ではわがままなんじゃないか。
自分勝手なんじゃないか。
エゴイスティックなんじゃないか。
というのがどこかにあった。
どこかでいい子ぶってた。
ああすげえいい子ぶってた。
俺は俺の正しさを見つけ、
俺の正しさを証明するのだ。
誰と競うわけでもない。
誰に勝とうとしてるわけでもない。
心の底から湧き上がる一点の曇りもない正しさ。
我の正しさ。
唯我独尊。
これをしたい。
こうありたい。
という情熱をただただ、味わっていたい。
『世の中正しいも間違ってるもない』なんて言葉に落ち着かせてた自分がいた。
大事なのは、自分の中で何を正しいとするかだ。
あれもこれも正解だよね、ってそりゃそうだけど、それが僕にはモヤっていた。
ちなみに証明するってことは、人に自分の正しさを押しつけることじゃない。
自分の正しさを見つけることで、私はこう思うという自分の想いを貫く力強さを取り戻すってことだ。
他人は他人で自分の正しさを貫いていい。
貫いてぶつかっても、私はワタシなのだという自信と他人の正しさを認めるやわらかさをもつワタシが共存するのが力強さなのだ。
しょーいち