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逍遥

冬。あるいは、ホットミルクが恋しくなる季節。

指先を冷たくしたくて、ダウンの袖からわざと少し出してみる。歩いていれば風に当てられて、すぐにひゅるひゅると温度が下がっていく。火傷したいのも風邪を引きたいのもあとに残るから思いとどまってしまうけれど、指先を冷たくするのくらいは許されるだろう。
家に帰ってくると当然のように外より暖かい。それにほっとする一方で、頬も耳も指先も冷たさという魔法が解かれてしまうようで未練が残る。きっと、外にずっといたいと思うのは、あったかい帰れる場所があるから。もしおうちがなかったらたとえ掘立て小屋みたいな所でも、雨風しのげるあったかい家が、帰ることができる家が欲しくなるのだろう。

同性の恋人がいること。神様は信じないけど、キリスト教には興味があること。だから、教会には馴染めないこと。好奇心のままに、綺麗でかわいくてきらきらするものをじっと見ていたいこと。だから、社会にも馴染めないこと。知らない土地で一人暮らしをしていること。どうしても超えられない文化の壁があること。政治の壁もあること。耳が悪いこと。あなたと一緒にいたいけど、自然に交わる道はほとんどないだろうこと。感覚や共感の範囲を上手く調整できなくて、たまに圧倒されてしまうこと。一人でいる時と、誰かといる時と、ちょっとだけ自分が不連続なこと。あなたと遠く離れていることを分かってしまったこと。
全部がぐらぐらで、偉大な悩みで、かろうじて立っているだけなのに、周りからは落ち着いてるねとか大人っぽいとか精神的に成熟してるとか言われるんだ。そりゃあ同年代に比べたら大人っぽいかもしれないけど、だからと言って悩まない訳ないしいつまで経っても不安定なんだ。ガラスが実は液体であるような。ぐらぐらできらきらの悩みなんだ。青空を真っ直ぐ飛んでる飛行機だって、どうやって飛んでいるのか分からないのだから。全部ひっくるめて僕で、きっとこれはとても大切で、10年後とかにはきっと「こんなこともあったな」って言って笑ってるんだ。それでまた違うことでうんうん悩んでるんだ。一人で。
どこで誰と何をしていようと、結局僕らは孤独で、そこそこ不幸でそこそこ幸せで、何かに少し依存して、毎日をこなして切り抜けて、それを繰り返して「なんとなく良かった」って人生を終えるんだ。ドライなように聞こえるかもしれないけれど、自立して生きるとはこういうことなんだと思う。

将来は、空が広い所に住みたい。ビルや電線が切り絵みたいになるのも、建物の隙間から除くわたあめ色の雲も、ピカピカの窓に映る夕焼けも好きだけれど、たまにきゅうきゅうに詰められてるんじゃないかと思ってしまって自分まで息が詰まりそうになる。大きな空の下で、大の字に寝っ転がって、カシオペア座をあなたと見つけたい。肺の底まで冬の澄んだ空気で満たしたい。あったかい空気を全部白くして、寒いねって笑って、この小さくてくだらない世界で誰よりも大きく息を吸いたい。産声を上げた時の空気が今もこの肺に入っていると言うなら、あなたの寝息や、あなたと行った海辺の空気も、きっとまだ入っているはずだ。あなたの肺にも、河原のお祭りの煙や、泣いてしゃくりあげたあの空気が入っているのだろう。肺の細胞が全部入れ替わってしまっても、その愛しい歴史は積もり重なる。空気という不確かなものに。僕はわがままだから、どちらも叶えたい。肺の空気を全部冷たくするのも、大事な記録を残しておくのも。
どちらも抱きしめて生きていきたい。

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