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凡人による在り来たりな駄文の書き散らし

「あなた」について、主に日記からの抜粋。
以下、段落ごとの散文です。

ねぇ、いつか一緒にここへ来ようね。そうしたら、今あなたに隣にいて欲しいと願ってしまう僕が報われるから。今一人の僕が、独りではなくなるから。きっと一緒に来ようね。

一人でいる時はあなたのことをたくさん考えているくせに、いざ目の前にするとあなたがいるということに満足をしてしまって何も言葉が出てこないんだ。ただあなたが楽しそうにしているのを眺められれば満足なんだ。

「自撮りちょうだい」って言ったらその場で撮って送ってくれたの、好き。

夕方散歩をした、空が綺麗であなたに見せたいと思った。

帰り道、ほっぺたが冷たくて嬉しかった。あなたの好きな季節がやってくる。冬を一緒に過ごせるのはいつになるだろう?きっとその日まで、手を繋いでいようね。きっとその日は、手を繋いで行こうね。

本当可愛い顔してるよね、あの人。なんで?

別れた方が良いかもって思うのも、泣いちゃうくらい好きなのも、
どっちも本当だから辛い。

僕は君が好きだよ。
好きだよ。「好き」も「愛」もあるけど、「愛してる」と言うにはあまりに恥がありすぎるから。君が多分、苦い顔をするだろうから。世界には言葉が溢れているのに、この感情にはまだ名前がない。
君を傷つけたくなくて、いつも少し不安になってしまう。好きだからこんなに振り回される。それが愚かな人間と云うものなのかもしれないね

僕はあなたからの愛情を手放したくない。それはあなたのことを思いやる気持ちは微塵もない、ただのエゴだ。あなたからの愛情をもらうためにあなたのことを愛するのか?いや、違う。こんなふうに誰かに愛情を注げるあなたが、こういう生き方を選んだあなたが好きで愛おしいのだ。もちろん、僕はエゴのある人間だから、その愛情が僕に向けられたら嬉しいけれど。

“今”の僕が、“今”のあなたが好きかどうか。
過去の恩義やいさかい、未来への希望的観測、それらを捨てた、“今”。
(今を生きるとはこういうことなのだろうか?)

将来何がしたいと言われても、今は半径1mの人間関係に手いっぱいで、あんまり未来のこととか考えられんのです。

…あなたが僕を恋愛感情以外で好きだとしても僕はこのままでいられるけど、嫌われたら僕も冷めるんだろうな、当たり前か
「付き合ってるから」っていうのを言い訳にしたくないけど、もしあなたが恋愛感情を持っていなくて、僕たちが付き合っていないとしたら、僕もあなたと同じように恋愛感情を持たなくなるのだろう。愛情表現が友達の頃に逆戻りするんだ。「付き合ってるから」今の愛情表現をしているの?

あなたが僕のことを好きか少し自信が持てなくて、離れる準備をしてしまう。僕はあなたの人生の邪魔になっていませんか。僕はあなたのそばにいて、あなたに愛情を注いでいていいですか。
「嫌だったら離れるよ」って笑って言っているのを、お守りみたいに信じているしかないんだ。

大喧嘩をしてから2ヶ月経ったね。まだこうして付き合っているね。少し笑ってしまう。
お互い少しずつ傷ついて、許し合って、前と同じみたいには戻れないし、変わって行くのは当たり前だから特に郷愁も恋慕もない訳ですが、やっぱり変化は未だに怖いし離れたくないという気持ちが勝ってしまう。

いつもこっちから動かないと、って思ってるのって、実は相手からも動いてくれてるのに気づいてないだけなんよねぇ。

あなたに対する感情は、どんどん色を変えてゆく。めまぐるしく変わっていく。僕は今までの人生の感情半分分を使ってしまった気がするよ。

僕の知らない歌を歌っている時のあなたの横顔が好き。

「選ぶべきは愛せる人ではなく許せる人」。

あなたのその感情は、それは、愛と言うんじゃあないかね。
自分自身の「一緒にいたい」というエゴより、「傷つけたくない」が勝つのは、それは、愛なんじゃあないかね。
冷たく聞こえるかもしれないけど、あなたが僕から離れるのも離れないのも結局自己中なんだから、好きな方の、あなたがより幸せな方の自己中を選んだらいいんじゃあないかね。

「人として好きな君を失いたくない」ってあなたの自己中で思ってくれていることが、僕にはとても嬉しいんだよ。「友達なんて学校卒業するまで」と言っていたあなたが、遠い遠い未来まで一緒にいたいと思ってくれているのが、どれだけ大きなことか。

「人として好きな君を失いたくない」+「今の二人なら喧嘩別れして絶縁することはないんじゃないかな。ただ新しい丁度いい距離感になるってだけで」=一生一緒にいようねってことじゃないですか???すき

「自分を大切にね」って君が言ったとき、僕の心には小さな宝石の原石が生まれて、その日からずっとからんころんと音を立てて遊んでいる。

求められることで自分の存在意義を感じるの、自立していないって言うのかなぁ。精神的に自立していれば、他人から求められなくとも自尊心を保って生きていけるのかなぁ。

夜、通りを一人、Perfectを歌いながら歩いていた。歩いているから体は暖かいが、頬は無防備に風にさらされてすっかり冷たくなっていた。冬の前略。
“Dancing in the dark, with you between my arms”
ふと、街灯に照らされた影を見る。二人ほろ酔いで踊ったオクトーバーフェストが蘇る。あれはまだ5月のことだった。買い物の帰り道、二人で影に手を振った。手を繋いでいた。私と、あなた。「ギリギリ手を繋いでないように見えなくもない、プロフにできるよ」って笑いながら。
僕は一人だった。影は、どう見ても一つだった。
あなたと歩く日を夢見ながら、今日も僕は歌って歩く。

互いに自我を提示して、でもそれは対立ではなくて、話し合ったり折れてもいい時は折れたり、
相手からの愛を信じること、
相手への愛を見失わないこと、
鈍感力、流す力をつけること。

あなたは優しい。他の人みたいに、「この先ずっと一緒にいようね」なんて言わない。あなたはいつでも離れる準備をしているし、二人で一緒にいない未来も真っ直ぐ見つめている。それは、とても正しいと思う。「ずっと」なんていうおままごとみたいな言葉は、きっと僕らを簡単に見捨てるだろうから。その正しさは少し痛いからたまに目を背けたくなる。君も多分そうなんだろう、この話をする時の君は目を伏せがちにしている。しかしその痛さの上で君は正しさを選ぶ。痛くても、きっとそれは君なりの優しさなんだ。
ずっとなんて言葉がなくても、ずっとじゃなくても、僕は君と一緒にいたい。一緒にいたい“今”を積み重ねて、ちょっとずつ一緒にいる未来に投資して、そうやって自然に積み重なっていけば、それで良い。


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