血と凪と
うちの家族は、家族ではない。
血は繋がっていて、一緒にも住んでいるけど、家族じゃない。
正確に記述するならば、「家族になろうとしない」。
×××
我が家は母、姉、私の三人家族だ。父は5年ほど前に離婚して、今は別の人と再婚している。
離婚してすぐの頃は、父の話題はタブーだった。母と姉は父を嫌っていたし、それが本心でないとしても、「これからは三人でやっていかなくちゃならないんだ」ということを意識しようとしていたのかも知れない。
我が家は上辺だ。必死に凪を装っている。
一滴の血が海を染めることはないから、少しずつ少しずつ血を溶かして、しかし今では真っ赤になってしまった海を、今度は見ようともしない。
「うちには子供が三人いるみたいだ」
父にとって母は“人生のパートナー”ではなく、“庇護するべき対象”だった。
対等ではなかった。
父が決めて、母と子供たちが従う。物心ついた時からそんな家だった。
それなのに、対等な“夫婦“という関係性を装った。夫婦であろうとした。
本当は非対称なのに、対称であると勘違いした。
父が決める。母は黙って従う。
夫婦という言葉に甘えて、一緒にいるから分かってくれるだろうと盲信して、何も言わない。
夫婦という言葉に隠して、これが“良妻賢母”なんだろうと盲信して、何も言わない。
我が家は何も話さなかった。肝要なことは、何も話さなかった。
話さなければ凪は保てたが、下では確実に血が流れていた。
そうして我が家はやってきて、
遂に父は血を流し切ってしまった。
×××
我が家の海は今日も凪いでいる。
しかし、海底では対流が起こり始めている。
我が家は今日も馬が合わない。
だけど、もう少し距離を取ったら、純粋に愛せると思うんだ。
血を流しながら、海を荒れさせてやろう。
荒れた後に何が残るかは知る由もないけれど。
血を流しすぎて、失血死するかもしれないけれど。
ここまで来てまだ家族に固執している自分、醜い自分、
凪を愛する母。