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【AIR】現実をみた計画、現実を見ない計画。被災地を分けたファクトフルネス〜メディアも反省すべき、根拠なき輝く復興計画信仰の結果〜

日経新聞が以下のような記事を出しています。

3.11から10年、様々な事業の結果が見えてきたことで、それを厳しいスタンスで指摘するメディアが出てきています。が、正直なところ当時のメディアも、ありえない拡大志向が当時出たのをもてはやしていたのもメディアでした。予見できる未来を見ないで、前提なき前向きな決意や想いというエモーショナルなところに注目し、もり立てた10年後の結果については厳しく皆で反省すべきです。メディアは何より陸前高田をはじめ売れない区画整理地域を写真に写して叩くのは結構なのですが、自分たちがあの時、大風呂敷を広げた市長たちをヒーローとして扱った責任も感じてほしいものです。

もちろん行政だけの責任でもなく、政治の責任も、メディアの責任も、そして分かっていても止められなかった我々含めて全ての人間が反省すべきなのです。

私は大震災と津波被害で沿岸部の衰退の時計の針が進んだと思いますが、復興事業そのものがさらに時計の針を進めてしまったと思います。おそらく令和の時代にはこれらの不要インフラの維持費をめぐり自治体財政はさらに厳しくなって大合併を進めてもなお解決策が見えないことになるでしょう。

産経など各紙でも厳しい言い方になっていますね。。。当時は褒めていたのに。

○ 計画の見直し、民間主導への切替えを決断し他地域、できなかった地域

私も3.11以後、復興まちづくりブートキャンプという合宿で復興計画の「見直し」を図り、民間主導での事業主体を形成して進んでいくということを公民連携事業機構のパートナーと共にさせてもらいました。国交省や民都機構などの関係者も集まり、2012年から数度に渡り合宿形式で皆で喧々諤々完成直後の岩手県紫波町のオガールプラザに集まり議論をしたのを昨日のことのように覚えています。

しかしながら、現実的な計画見直しを行い、民間主導型のまちづくり会社を組成して経営していくという決断に至ったのは、女川町と大槌町の2つでした。当時の空気感で計画を見直し、さらにあれだけの被害の後でも民間主導を貫くというのは非常に難しい決断だったのは確かです。

当時メディアが持ち上げたのは、先程の日経新聞が写真をかかげている陸前高田などの市長でした。メディアはそれを忘れてはいけません。

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○ 女川町の挑戦〜次のことは次の世代に決めさせる〜

女川町は計画を段階的に縮小し、民間が中心となった官民連携型の復興まちづくり会社が今も経営されています。見えている空間でも公共空間の脇には民間企業経営型の商業施設が行われています。これでもかなり立派ですが、当初計画はより大規模な土木事業が計画され、建物の高さもこれで収まるようなものでもなく、マリーナなどの大規模な絵すら書かれていました。世代交代を意思決定で行い、若手メンバーが試行錯誤しながら進めてきた復興事業は、ある意味では広げた風呂敷を合理的に見直しながら、民間で運営できる規模感への落とし込みというところにあったと言えます。これは新書でも触れています。

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