見出し画像

30代前半で経験した東日本大震災復興計画における、「稼ぐ復興まちづくり会社」作りの苦悩と現実

東日本大震災から約12年。頑張っている人がいます、とかの報道がいまだ続きますが、報道機関は当時華々しく書かれた「お花畑の復興計画」がどのように決定され、どのように実行され、今どのように地域に負担を生み出しているのか、そのあたりを今一度検証すべきと思っています。

30代前半で縁あって、仲間と復興まちづくりブートキャンプというものを行いました。もともと我々が一般的にこれからまちづくり会社をつくるというチームに向けて合宿形式で事業計画や営業などをガリガリと回すプログラムです。北九州、熱海、花巻など各地で活躍するまちづくり会社の方々も設立前に参加してもらったものです。(今は進化して都市経営プロフェッショナルスクールに生かされています)

復興まちづくりブートキャンプの模様

その時から被災地だからこそ、「スピード」と「逆算」が徹底される必要があることを意識して皆で計画の見直し、営業先回りなどを行っていました。

本日の音声配信でも解説していますが、復興事業初期の状況は異常な雰囲気に包まれていました。悲しみに包まれていたところから、今度は地方においてはあり得ない金額の予算が、いえば出てくる、打ち出の小槌状態で政治家、地元の偉い人達がおかしくなり、そこに様々な売り込みがなされていきます。今度は復興で被災地は翻弄されていくことになるのです。

当時は「でかい計画を打ち立てると評価される」みたいなメディアの風潮があり、各地は人口3倍の区画整理とかわけのわからない、過疎地でそんなことが起こるはずもないのに「夢のある計画」とか適当な評価をメディアは行っていました。

そんな中で、我々は心ある官僚と、我々も個別自治体から仕事をもらうとかは一切無視して本気であるべき復興計画の見直しをかけていくことをやりました。被災しているとかそういうことは、正直まちの開発には全くどうでもいい話で、事業計画としてそれが中長期として持続可能であるものであるのか、それだけが焦点にしなくてはなりません。(復興バイアスは可能な限りとりはらう)

しかし、それはそう簡単なことではなかったのです。
国から金がじゃぶじゃぶでる状況で、堅実な復興事業は政治的にもウケません。結果としてかなりの地域は中堅若手が挫折し、そのまま巨大なあり得ない区画整理などを執行し、ブートキャンプにも参加しなくなる地域は多数ありました。そんな中でも最後まで参加し、結果を出された地域もありました。

○ 復興ポピュリズムとの戦い

ここから先は

3,023字 / 5画像
この記事のみ ¥ 980

サポートいただければ、さらに地域での取り組みを加速させ、各地の情報をアップできるようになります! よろしくお願いいたします。