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【AIR】どんなシーンでも茶番に巻き込まれず、「自分で考え、思うことを言える人」であり続ける方法
昨日から厚労省年金部会での話が盛り上がっていますが、あの手の会では参加する人が大きく2つに分かれます。自分の思うことをいつまでも言える人と一定年齢を超えて言えなくなる人です。まぁそもそもが事務局の意図に反する人は呼ばれませんので、予定調和なのです。茶番ですw
審議会などを出たところで、大したお金にはなるわけではなく、本来はそれぞれの経験や実績の中で言うべきことをしっかり言っていく自我を持った人が参加すべきだと思います。が、大抵の場合は、当たり障りない話をしたり、事務局が想定する言ってほしいことを言ったり、所属する団体からまとめられた内容を議事録に残すために発言をするなど、到底議論の場とは思えないような無駄な時間を過ごすことになります。そして最後は「座長一任」で事務局が取りまとめ。内容は言うまでもなく、最初から考えていた落とし所に落ち着くだけです。会議の意味なんてほぼガス抜きでしかない。そしてそれに同調するような人が、重宝されるのでもあります。
これは審議会などだけでなく、みなさんが日々参加する会議でも発生しがちな日本的な無駄な会議のフォーマットみたいなものでしょう。だたそんなことやってるからダメなんすよ。
ちゃんと自分の言葉で語ろうよ!そしてそういう奴らが集まる会議じゃないと価値なんてないよ。やるだけ無駄。だからこそ木下は毎度呼ばれたらガンガンやって、2度と呼ばれなくなることも多いですが、それこそが本来あるべき諮問された人間の役割と思ってます。
このあたりできない人とできる人の差を整理していきます!できない人にならないように、そしてできない人と付き合わないようにするのがとても大切だと思ってます。
審議会で語るべき「自分の言葉」とキャリアの本質
審議会や委員会といった場において、「自分の言葉で語る」ことができる人がどれほどいるでしょうか?
結論から言えば、ほとんどいません。理由は簡単で、多くの人が「所属」「肩書」「資格」に縛られ、そこでの発言が自己保身や利害関係の調整に終始してしまうからです。
しかし、これらに依存して発言を繰り返す限り、個人としての価値は生まれません。それどころか、キャリアの本質である「独自性」を失い、長期的には自らの市場価値を削る結果にすらなります。
多くの人は大学卒業後からだんだんと凝り固まっていき、
所属
肩書き
資格(学歴など含める)
みたいなことを軸に語り始めます。それがもう老化の始まりであり、クソになっていくプロセスです。
以下では、審議会の現実を基に、「なぜ自分の言葉で語ることが難しいのか」、そして「その先にどのようなキャリアのあり方があるべきか」を考えます。
所属による束縛――「代弁者」という傀儡で終わる危うさに気づけ!
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