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情報格差とは得られる情報の量ではなく、「発信できる情報の量」である
新年早々に暑苦しいコラムを投稿したのですが、思った以上に休んでいる人も多いはずなのですが反応をもらったので、情報に関する内容をもう一つ出しておきたいと思います。
多くの人は情報格差というのは得られる情報の量だと思っています。しかしながら、インターネットの登場以降、私は情報はあらゆる人がアクセスできる情報量が増加し、一部だけが知り得る情報というものが少なくなったと思っています。IT革命は最たる情報と私達を結びつけるコストを大きく引き下げました。オールドメディアはかつては多数の人々と情報とを結びつける唯一の存在でもあり、その編集権で力を持っていました。
しかし今や、インターネットで私個人でも、貴方個人でも情報を全世界に出すことも可能であり、さらに言えば全世界にある情報を取り寄せることも簡単になりました。さらにアプリケーションによって翻訳することも可能だし、自宅にいながら図書館に行かなくても膨大な読みきれない本にアクセスすることも可能になっています。つまりもう僕らは得られる情報の量においては、世界的にも平等になってきており、得られる情報量で競うような時代ではなくなっていると思っています。逆に言えば適切な情報にアクセスする能力というものは、世界的な均質競争でもあり、当然のリテラシーと言えます。
だからこそ、「発信」がとても大切になるのです。情報格差は、発信量格差になっていくその理由を掘り下げて解説します。そして、2025年はさらに進展するだろうAIですが、AI時代に実は更に大切になるのもまた、発信になることを最近実感しています。
◯ 得られる情報のフラット化の一つ、言語アドバンテージ
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