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日本人が「他人を気遣うことが正義」で失ってきたもの。
和をもって尊しとなす、なんて言われたりしますが、これによって「他人に迷惑を掛けるな」「他人様を考えろ」と自分よりも他人を優先するような思考を植え付けられて、そのうちに自分の周りにいる他人の顔色ばかり伺ってしか判断できなくなったりする人が増加していますね。
そもそも和でどうにかなるのは、やることが明瞭で、全体主義でいかないと全員死んでしまうという時だったりします。農耕生活とかもわかりやすいところで、皆で協力して適切な時期に田植えをし、決められたカタチで水を流し、そして収穫といったように、全体で動かないと集落ごと死にます。
しかしながら、日本人で今、農耕生活している方は何人いますか。田畑を耕していたとしても、もう人力だけでやっているところなんで稀有ですよね。日本においては工業、サービス産業といった二次、三次産業従事者がほとんどで、農耕民族がーといっても、そんな習慣はある意味では二次産業の、特に工場勤務においては役に立つことはあっても、多様性や特異な企画性がもとめられるような三次産業のクリエイティブクラスには全くもって適しません。
そんな中、今回の真鍋さんの発言がいろいろと取り上げられていますね。
つまり「和」は機能する場合と、機能しない場合というものが存在するわけです。そしてそのような過剰な和が、地方から多様な人を排除し、さらに日本から海外へと流出させていっている原因の一つと言えます。わかっているのに全く変わらないですね。
○ 多様性が肝の社会においては「和」は害にもなる
その典型が、真鍋さんのような研究畑の人たちですよね。研究において常にノーベル賞受賞者が語るのは「自分がうけると思わなかった」という、もともとその分野が絶対的にノーベル賞対象評価になるようなものではなく、時代の変遷で急に注目されたり、評価される題材となって、そこで先立って研究していたということが重なって受賞されるものが多くあるということです。
つまり「何があたるか分からない」わけです。
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