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サークルの飲み会についての所感

サークルの飲み会が嫌いだ。サークルの飲み会が好きだ。この二つの感情は僕の中で常に両立している 仲良くなりたいと思っていた奴がとんでもない言動をしていてキモいなと思い、あまり関わっていなかった奴のかっこいいところを見ていいなと思う みんな何を目的にサークル全体での飲み会に参加しているんだろう 確実に言えるのは、みんな1人でいるのが寂しいがために皮肉にも余計に寂しくなる時間を過ごしているということだ。 飲み会が開催される1番大きな理由は、家でじっとしていられる才能がないという

    • 最近の所感

      ▶️ レベルの低い奴に僕の人生を引っ張られるのが嫌いだ。こんなことを言ってて、仕事でもないのにレベルの低い奴と関わり続けないといけない自分が情けない。周りの環境が終わってるのは全部お前のせいだよ。 僕は結局という言葉を頻繁に使いがちだ。肺活量が少ないせいで水面から頻繁に顔を出して息を吸おうとしているのだろう。 周りの奴らがぬるく見える僕はキモいと思うけど僕の認識が歪んでる確率は60%くらいだと思う。 普段は時間なんて計らないしお湯の量も適当なのに、一杯300円もする限

      • 主語がデカいという指摘のキモさ、あるいは表現の価値について

        主語デカいって言う奴はきもい 例えば、「男は家事が苦手だ」これは男が一般的にそうである蓋然性が高いという主張だと容易に汲み取れる。主語デカ指摘厨はさっきの主張を「全ての男性は常に家事が苦手である」と解釈してしまうってこと?もしそうなら頭が悪すぎないか。 ところで、男は〇〇と一括りにするな、範囲を限定して主張しろという意見に対してある程度の妥当性は認める。しかし、修飾され散らかした主張に人は凄みや厚みを感じない。上述の「男は家事が苦手だ」を主語デカ指摘回避文に書き換えると、「

        • 株価の高い共感と株価の低い共感、あるいは会話の価値について

          株価の高い共感と株価の低い共感がある。 「目玉焼きにかけるならやっぱ塩か醤油だよね」に対してのわかるー!は株価が低いが、 「SF作家におけるスーパースターはグレッグ・イーガンだわ」に対してのわかるー!は株価が高い。 共感の株価は共感者の数に反比例する。 普段共感されない事柄について共感してもらえる機会というのはそれだけで価値がある。異国の地で同郷の人間を見つけたかのような高揚を得られるからだ。一方、大多数の人間と同じように平々凡々とした事柄に共感することは有象無象への仲間入り

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