【人間と宇宙】時空とは何か【哲学的考察】
~少しの間、茶番にお付き合い下さい。~
リサ「うーんあと5分寝させて・・・と思ったら半日過ぎとるやないかい!絶対時計壊れとるやろ!」
はりねずみ「時計は壊れてないぞ。」
「絶対5分くらいしか経ってないって!もしかして時間って人によって感じ方が違うのか?」
「良いところに気づいた!時計は人が作り出したもので、物理現象として言えば、時間は存在しないかも知れないね。そして時間とは僕たちが考えている以上に壮大なスケールの一部に過ぎないかも。今回は時間と宇宙の関係について考察していきます!」
僕たちが認識している時間感覚
僕たちが日々の生活の中で感じている時間の流れは、大きく2つに分けることが出来ます。どちらも現代社会には必要不可欠な時間の感覚ですね。この2つの時間は、実は周囲の状況変化に伴った知覚です。
①直線的な時間経過
過去から現在を経て未来へ向かっていく時間。例えば歴史の年表や老化現象といった、一本の直線状に乗ってくる未来方向への不可逆的な時間の流れを指します。
②円環的な時間経過
最も基本的な現象では、太陽が昇って沈む、春夏秋冬の季節などの循環する時間のことを指し、自然現象に多く見られます。
また哲学的にも輪廻転生や宇宙に始まりがあるのかといった哲学的な思想にも大きく影響を及ぼしています。僕たち人類はこの反復、循環する時間感覚とともに進歩してきました。
僕たちが認識する時間とは、円環的な時間の流れが直線的な時間(未来へ向かう)に内包されてスパイラルを形成しながら未来へ進んでいるように知覚する事象です。
時間の種類
①物理的時間
物理的時間とは、人間が基準として定めた時間感覚で、主に時計の秒針が刻む間隔のことを指します。人が認識する時間の流れを統一したことで、人々の集合生活が成り立ち、科学、物理学といった学問や技術の進歩、そして文明レベルの飛躍につながりました。
②生理的時間
生理的時間とは、その生物が主観的に感じている時間感覚のことを指します。
ザワザワしている都会の街中と、シーンとした体育館の中では時間の流れが違うように感じます。
街中では状況や音の変化を時間の経過として知覚しやすい一方で、周囲の変化に乏しい体育館では変化を知覚しにくい為に起こります。
相対性理論
一般相対性理論では、時間と空間を一体のものとして考えます。 重力が強い場所では空間が歪み、その分空間が間延びして光が進む距離が長くなります。このため、光の届く時間が遅れ、時間がゆっくりと進むように感じます。
ここではっきりさせておきたいのは、僕たちが普段『時間』として認識しているのは、人類が設定した物理的時間である時計の秒針が刻む時間のことを主に指しています。一方で、時間として『感じている』ものは、進むものではなく周囲の状況が『変化』した結果であり、実は時間とは切り離されたものだということです。
人の主観的な時間経過も相対性がある
人は主観によって時間の流れが遅く感じたり、早く感じたりします。 あなたも楽しいことを体験しているときは時間の経過が早く、気が向かないことを体験しているときは時間の経過が遅く感じるのは経験があるかと思います。なぜなのでしょうか?
時間が早く感じるとき
時間が短く感じるときとは、正確に言えば、時間を感じていないときです。今この瞬間、目の前の事象に深く集中しているときは『右脳』を使っています。
実は右脳は潜在意識と深く関連しており過去や未来という概念がありません。そのために時間の感覚に(え、もうこんな時間?といった)ズレが生じるのです。
時間が長く感じるとき
一方で、時間が長く感じる、ときは逆に時間というものに注目しているときです。時間を司るのは過去や未来というスケジュール管理が得意な『左脳』です。左脳は自我や個というエゴと関連しています。
従って自分の本意ではないネガティブな感情は、同時にこの『現実から離れたい』という、現実との距離感が、時間を司る左脳へと意識がフォーカスされることで、時間が長く感じられるのではないかと推察します。
これら時間は、一定の間隔で時を刻む時計の針とは別物です。主観で体感する時間は、ゴムのように伸びたり縮んだりする、変化自在なものです。
この瞬間にも、個人個人が体感している時間の流れはみな違っています。ということは、時間とは、この地球や宇宙に通底する物理定数のような存在ではなく、とても離散的な存在だと言えます。
相対的な主観的体感時間
僕たち現代人はざっくりと約80年という時間を人生として体感します。一方で縄文時代の人々の平均寿命は約30年でした。しかしながら古代の人々も、現代人と同じ一生という主観的な体感時間はほとんど変わらなかったのではと考えます。
何故かというと、人生という同じ大きさの箱(100%)に満たされたジュースに例えると、寿命とはそのジュースが果汁80%(年)なのか30%(年)なのかの違いであって、箱の中に入っているジュースの量は同じだからです。
僕らが年を重ねるごとに1年が短く感じるのも、決まったサイズの箱の中に、1年を等分にして詰め込むようなイメージで、1年というサイズがどんどん小さくなっていくためです。このことからも、主観的な時間に決まった形はなく、常に変化していくことが分かると思います。
人から見る動物の寿命と体感時間
ネズミなどの小型動物と、クジラやゾウといった大型動物では、その生物学的な特徴から、寿命という客観的な立場で見ると寿命といった点で大きな差があります。ネズミは寿命が2~3年である一方で、ゾウの寿命は70年ほどあります。
しかし、実はネズミとゾウの一生の心臓の拍動数はほぼ同じ15億回です。ネズミは0.1秒に1回に対して、ゾウは3秒に1回のペースで脈を打っています。この拍動の速さが動物たちの寿命に影響を及ぼしています。
小動物も主観では長い一生を体感している
セミの寿命はよく7日といわれます。(諸説あります)それを聞くたびに、そんな一瞬で人生が終わるなんて可哀そう、思っていませんでしたか?
物理的な時間感覚でいえば、セミはヒトよりもあっという間に一生を終えます。しかし心臓の拍動を基準にして考えるならば、短い一生とは、僕たちの主観的な時間感覚を基準にして言っているだけであり、セミの主観的な時間の体感は、7日間のあいだで人の一生と同じくらいの長いドラマを体験しているのかもしれません。
そう考えると、寿命の短い動物(拍動が早い)の主観は、周囲の生物や事象がとてもゆっくりと流れているように見えているのかもしれません。ハエが捕まえにくいのは、人間の動きがスローモーションに見えているから、と聞いたことがありませんか?逆に大型の動物は、周囲の動きや事象が倍速で変化しているように感じているかも知れません。(ヒトと比べて、という相対的な意味です)
これは相対性理論でよく出てくる『ウラシマ効果』とよく似ていると感じますね。
アモンダワ族から見る熱帯雨林地方の原住民族における時間の認識
今でも現代文明と接触がないアマゾンの奥地に暮らしている原住民族アモンダワ族。彼らは時間の概念をほとんど持っていません。どういう事か?といいますと直線的な時間概念、過去や未来という認識がないのです。円環的な時間概念においても、昼か夜か、雨季か乾季かといった大きなスケールでしか認識をしていないのです。
彼らには、年齢もなく、1日、1週間、1年といった時間感覚も持ち合わせていないのです。実際に、彼らはカレンダーや時計の代わりになるツールを所有していません。
熱帯雨林の環境
なぜ彼らは時間の認識を持っていないのか?それは熱帯雨林という環境がポイントでした。
熱帯雨林では、背の高い樹木の枝葉が空を遮り、とても見通しが悪いことにあります。 また、一年を通しての雨量、気温も、ほぼ一定である事から周囲の環境変化に乏しい状況に置かれています。
このことから内陸型熱帯雨林の地形は、気候変化や星、太陽の動きから生まれる円環的な時間概念、遠近感から生まれる過去や未来という直線的な時間概念の双方の発達機会を奪うことになりました。
下の2つのグラフのうち、右側が熱帯雨林気候を表しています。グラフのとおり、一年を通して気温、雨量ともにあまり変化がありません。
日本語でも、「遠い昔」「近い将来」という表現があるように、遠近感と過去、未来という感覚は密接に繋がりがあります。また英語では、過去形にすることで丁寧語の表現になります。これも、過去という時間的距離感が、人同士の心の距離を表します。
彼らが感じている時間とは、物事が変化していくという時間が持つ本来の性質に近いかもしれません。
アモンダワ族を見ていると、人類にとって時間という概念は必ずしも必要ではない、という事が分かります。ここからは僕たちが見ているこの現実とはいったい何なのかを考察していきたいと思います。
時間と宇宙の正体とは
僕たちが時間の流れとして感じる過去や未来は、現代社会が作り出した幻想でしかありませんでした。そしてこの時間という概念は、人類に新たな能力を与えた半面、過去の人類が持ち合わせていた能力を衰退させる一因にもなりました。
主観的な時間感覚の違いは、お互いのコミュニケーションを不可能にする
僕らが地球外生命体とコンタクトを取ることができないのは、そもそものお互いの時間感覚が違いすぎるのではないか?という仮説があります。地球上の生物同士でさえ、これまで考察してきたように個々の生理的時間を有しており、それぞれが違う時間感覚の中で生きているという事が示唆されています。
もし地球外生命体がいたとしても、僕たち人類と全く同じ生理的時間感覚を持っているとは限らず、その感覚が合致しなければ、例え身近にいたとしてもお互いの認識すらできないでしょう。
僕たちが感じているこの地球上における時間の流れ(状況変化の速度)も、人類の生理的時間に則ったものです。もし人類より数千倍も速い生理的時間の感覚を有した地球外生命体がいたとしたら、地球上に存在しているすべての生物は静止しているように見えるでしょう。
宇宙や地球に主観的時間の感覚はあるのか
逆に僕たちから見て、静止しているように見えるものは、実は人類よりも何千倍、何万倍もゆっくりとした生理的時間を持つ意識体かも知れません。
例えば、太古から存在している、植物。そして地球、銀河、この宇宙です。
地球や宇宙が誕生してから現在に至るまでの期間は、途方もないものです。地球が46億年、宇宙が138億年、僕たちは宇宙基準で見れば物凄く小さな、閃光にも満たない存在です。
もし宇宙の事象を、人類と同じ時間感覚で再生したら、ビッグバンによって拡散し、惑星、銀河の形成、超新星爆発などの一連の現象は、まるで宇宙が生きていて脈動している、一個の生命体に見えるでしょう。そんな途方もなく巨大な宇宙の事象を僕らのような小さな存在が、とてもゆっくりとした変化として感じているのも頷ける気がします。
もしビッグバンが人間にとっての心臓1回分の拍動だったらと考えると、僕たちの存在意義って何でしょう?(笑)というレベルになってしまうのでやめておきましょう・・・
僕たちが認識している今この瞬間とは何か?
僕たちが認識している『今この瞬間』とは、のぞき穴からこの世界を見ているようなイメージだと考えます。こののぞき穴から見えた景色こそが、今この瞬間と認識している3次元世界です。量子力学的に表現すると一つの現象(この現実)に確定した領域が3次元世界とも言えます。そしてのぞき穴の外側にある見えない領域が量子力学的に存在する4次元世界だと例えます。
3次元世界は不確定状態にある4次元世界の領域内の一部であり、人間の目が4次元領域に干渉した部分(のぞき穴から見える領域)が、僕たちが認識する3次元世界なのではないでしょうか。これは3次元と2次元の関係でも成立します。(3次元のものは2次元上では影として見える)
「僕たちの目はこの世界を確定させるためのフィルターになってるってこと?」
「そうゆうこと!」
過去から未来へ一方方向に認識する理由とは?
僕たちは過去から未来へ、一方方向に流れているように感じます。なぜでしょうか?
それは、この3次元世界が古典力学、物理法則に支配されている次元であるからです。直線的時間は、物理法則や力学に従って変化していきます。例えば、コーヒーカップが床に落ちて中身が飛び散った状態から、逆再生してすべてが元通りになるという事は物理法則的にあり得ません。
エントロピーの増大の法則
なぜかというと、この世界の法則として一つのまとまった状態から、乱雑へと変化していくのが決まりごとだからです。この宇宙が始まったとされるビッグバンも同様に一つの点から爆発により拡散し、現在でも広がり続けています。これを『エントロピーの増大』といいます。僕たちはこの変化を時間の流れとして認識しています。
先ほどの考察で僕たちは4次元世界の投影を見ていると述べました。4次元世界は過去、現在、未来という概念がなく、量子的ゆらぎとして全てが可能性として同時存在している世界と言われています。
分かりやすく表現すると、完成しているパラパラ漫画が1枚ずつバラバラになってプールの中に浮かんでいるような状況です。
そんな4次元世界の投影が3次元世界だとしたら、 僕たちの目(脳)が見ている過去から未来への一連の流れは、1枚ずつバラバラに分かれているシーンを、物理法則とエントロピーの増大の法則に従う形で、再構築された1本の映画として知覚しているだけなのかも知れません。
だとしたら僕たちの脳は、物理法則を解明していくにつれて見えない領域が見えてくるという事になります。実際に、人類は科学、物理、数学などを発展させ、知的文明として進歩してきた結果、過去や未来という見えない領域を認識(予測、回想)できるようになったと言えるかも知れません。
古代の人類は、先に紹介したアモンダワ族のように、今この瞬間を認識する力が強く、過去や未来の概念が薄かったと言います。
「ちょっと何言っているのか分からん・・・」
「確かに(笑)もう少し詳しく見ていきましょう!」
この宇宙は人類が認識することで動き出す?
4次元世界は、過去、現在、未来が同時に存在しているということは、裏を返せば、流れがない、停滞した世界とも表すことができます。僕たちの脳が宇宙を認識することで並べ替えが起こるとしたら、僕たち自身が宇宙を作りだしている存在という事になります。
4次元世界では全ての事象が揺らぎとして重ね合わせの状態で存在しており、未解明な分野が全くない世界です。そうなると考える必要すら無い、まさに『無の領域』です。
反対に3次元世界では、4次元領域にある万物の一部しか認識できないようになっており、人類が新たな発見を繰り返すことで発見が発見を呼び、発見という未来方向へ動き出し、道が出来ていきます。この発見という行動が、物事を一つに確定させる観測行為となって3次元世界を生み出し続けます。
だからこの3次元世界は物質主義(確定した物質)であり「個」となる『自我』が生まれた理由でもあります。
「発見していく、という行為が3次元世界を生む?なんで?」
「まとめると4次元には全てある。僕たちは4次元のなかを目隠しをした状態で模索しているような存在。要は僕たちの力で未来を確定させていくのがこの3次元ってことかな。」
僕たち人類の目的とは
僕たち人類の目的は、4次元領域に隠された謎を、発見し観測して確定することで3次元世界を構築していく『ゲーム』のようなものです。従って新しい発見を続けている以上、3次元世界は映写機のように先に進むように出来ています。
意識も同様に、4次元領域では「個」という確定した自我では存在せず、「潜在意識」として揺らぐエネルギーの塊として存在しています。僕たち「個」の役割とは、4次元の意識体が『発見』という行為を楽しむための『遊び場』のアバターのような存在なのです。
宇宙の正体とは
この宇宙を生み出した高次元上に存在する潜在意識は、どこまで行っても均一で静的な状態で揺らぐエネルギー体です。その為全ての情報がここにあって、矛盾も発生しません。いわゆる万物理論『アカシックレコード』の塊とも表現できます。
すり鉢に囚われたボールのようなもの
この静的な状態に退屈した潜在意識は、その一部をわざと崩します。崩したとしても、『すり鉢とボール』の原則通り、元ある場所へ戻ろうと動き始めます。
潜在意識がこの配列を崩した瞬間がビッグバンであり、崩れた状態から元の場所に戻ろうとする過程で生じるのがこの現実世界です。崩された無数の素粒子たちが、連鎖的に干渉し始めることで、その干渉が物質を生み3次元世界を生み出します。その過程で銀河、惑星、生命体が生まれ、僕たちの文明や社会、文化なども形成されていきます。
これを個人視点で観測しているのが、僕たちが見ているこの現実です。
長期的に見れば、無限に拡散していくなかで、最終的には素粒子同士は干渉し合わなくなり、再び静的な状態へと戻っていくでしょう。いわゆるビッグクランチの状態が自然な状態であり、そしてまた潜在意識の気まぐれによってビッグバンが繰り返されます。
人間もケガをしたり病気をしたりしても、もとの正常の状態に戻ろうとします。宇宙がビッグクランチへ向かうのも正常に戻ろうとする自律システムに見えます。僕たちはこの大きなシステムの過程で生じた物理現象に一部に過ぎません。
この仮説は、木内鶴彦氏の臨死体験や、インド仏教のブラフマンとアートマンなどの思想をもとに考察しています。ブラフマン(宇宙の根源)とアートマン(我)、この2つは梵我一如、一心同体と言われています。
僕たちが生きる意味とは
このような壮大なスケール感覚で時間と宇宙を見てみると、人間とはなんと小さく、無意味な存在だと思ってしまうかも知れません。
しかし裏を返せば、この宇宙は(潜在意識)=自分ということになり、潜在意識が、感情を含む五感をあなたを通して体験することを望んだ結果です。あなたがこの3次元世界を生み出したのです。
この意味をどう受け止めるかによって、これからの生きる意味、信念が変わります。
僕自身の考えになりますが、完璧な状態で存在していた潜在意識は、生理的な時間概念さえも無い静止した虚しい世界から抜け出し、変化のある3次元世界を望んだ。そして意識を「個」として分裂させたのは、物理法則という制限がある世界で仲間とともに『発見』を繰り返し、困難に立ち向かい、乗り越えていくチャレンジングな体験をしたいのではと考えました。
あなたが興味を持ったことは是非大事にして下さい。興味があることやインスピレーションを感じたものは、潜在意識がこの3次元世界で体験したいことなのかもしれません。
「時間ってなに?っていう疑問から僕たちの生きる意味へと繋がってしまうとは・・・この宇宙は自分が楽しむために作ったと考えると、これからどう生きていくか、迷ったときの羅針盤になりそうだね!」
「そうだね!あくまでもこの仮説は個人的な考察にはなりますので、一つの考え方としてお楽しみください。でも少しでも、この人生には意味があるんだと考えるきっかけになれば嬉しいです。」