軍人の戦後の人生(正月に祖母から聞いたこと)
私の祖母の父親は、第二次世界大戦時、とある部隊を指揮していた「中尉」だったそうだ。
最近、祖母が彼女の知り合いに親が軍人であったことを話したら、「え、あのウクライナ戦争とかで戦ってるような、軍人?」と怪訝な顔をされたそう。
今の時代、いや戦後ずっと「軍人」という身分は、戦時中とは対照的に複雑な立場となっている。
祖母は戦後、父親から戦争の時の話を全く聞かされなかったという。きっと、軍人であった彼は戦争の時の話などする権利も勇気もなかったのであろう。
しかし彼が晩年認知症になると、軍人だったころの記憶を呼び戻したのか、早朝に家の中で「起床!」と一括したり、隣の家に向かって軍人調で大声で何かを怒鳴ったりしていたそうだ。
その様子を想像した私は、思わず涙ぐんでしまった。戦後家族や子供にさえ言えなかった苦悩や葛藤を抱えながら生きてきて、晩年になって今まで心の奥底にしまい込んできたものが、漏れてしまったのだと思った。
また、彼は戦後軍人であったために職にありつくのに苦労をしたそう。敗戦を境に、こうも人生が大きく変わってしまうのか。
彼のような指揮を執る立場ではなく、前線で戦い、生き延びて帰国した帰還兵たちも、戦後多くを語ることはなかったそうだ。(祖母曰く)
自分の手で敵を殺してしまったり、近くで殺された味方を見てしまったり、口では語れないような、もしくは思い出すことさえ疎まれるような経験をしたからであろうか。責任を感じていたからであろうか。
こうしてみと戦争は、銃後の人間に限らず、銃を持って戦っていた軍人の戦後の人生にも大きな禍根を残してきたことが分かる。
正月に久々に祖母と会い、温かい緑茶を飲みながら談笑した。その合間に、戦争を身近に感じていた祖母から当時の話を聞くことができたのは、切なくもあったが、有意義で微笑ましいことだと思う。