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初秋の神戸大阪奈良京都ツアー2024②神戸市立博物館「デ・キリコ展」と放香堂加琲


の続き

ホテルを出ると小雨が降っていた。荷物から取り出すのが面倒なので傘をささずに神戸市立博物館へ。徒歩5〜6分の距離だ。

ここにはその昔フェルメールを見に来たっけ。

この時に見た近くにあったオサレな公衆電話ブース、まだあったけどだいぶボロくなっていたような…。公衆電話使う人ももうそんないないだろうからほったらかしなのかな。写真撮るのも忘れちゃった。

またこの記事に出てきたロインというステーキ屋さんもググるとまだあった。でも元町店は土日定休らしい。へ〜。


さて入館
あら東山魁夷
ツーフロアで展示
あら佐藤忠良さん

そんな噂をチラッと小耳に挟んでいた。ほんとに(一部)撮影可能である。東京は一個もダメだった。

美術館によっては「撮影はいいけどSNS投稿はダメよ」もあるのに、ここは「じゃんじゃんシェアして!」?…なにが基準になっているのか相変わらずさぱーりわからん。なら撮りまくるか載せまくるか。

今回は東京のデ・キリコ展の再訪である。前回はさっぱり理解できず鑑賞記を書くのも苦労した(別に書かなくてもいいじゃん?)あれから多少知恵や知識もついてもう少しマシなことも書けるだろうか?


デ・キリコ展

《自画像》1922年頃
(あんだけ前振りしていきなり撮影不可)自画像を描く画家は多い。なにを思って描くんだろうか。そんなに自分が好きなのか?

いや、モデル料もいらない、いくら長い間同じポーズで拘束しても文句を言われない、最も手近で便利なモデルだから? 経済的な理由?

いやいや、それもあるだろうが普通は絵画上での自己との対話だろう。

この自画像は左側にギリシア彫刻のような自分の白い半身像(腕なし)、右に普段着のリアル自分。ただ対話というには、お互い目を合わせてないんだよね。石像はリアル デ・キリコを見据えているけど、キリコはこちらを見ている。彫像から目を逸らしている? 絵を見る人になにかを問うてる?「どう思う?」


《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》
1959年

前回ひと目で後期ルノアール風だなと思ったこれまた自画像。今度は

堂々とした姿で、こちらを見つめるデ・キリコ。自己陶酔的な表現は、当時批評 家たちの論争の的になった。

解説パネルより

って、自己顕示欲が高かったのかね。毀誉褒貶もかなりあったひと。「17世紀の衣装」の質感はかなり苦労して描いたろうから「生意気とかじゃなくそこ見てくれよ」と思ってたんじゃ。

《自画像のある静物》1950年半ば
東京回でこんな絵あったかな。まったく覚えてない。にしても静物大杉🍐🍊🍋🥔
それを画中画から見つめるデ・キリコ氏。あんたもう引っ込んでなさいよww

🍪🍪🍪

いちばんわからんのがこれらのビスケット画。我々はいったい何を見せられているのか?

《孤独のハーモニー》1976年

もしこの記事をスマホとかで見ていたら上下逆さまにして見てみてほしい。あんま違和感ないからww📐

《球体とビスケットのある形而上的室内》
1971年

球体とビスケット以外のもののほうが多いのだが…。青いプレートのいちばん下はこのチョコクッキーだよね?

わけがわからなすぎてこんなツッコミくらいしかでけん!


次の会場へ降りる。この螺旋階段も形而上絵画に見えてきた🌀

ピクトさんをあのキリコの有名画に出てくる「リングを転がす少女」に空見したよ。


傑作と言われる二作。

《形而上的なミューズたち》1918年

水泳帽被ったような前のミューズの後ろから顔を出す白いミューズ。
ギリシア彫刻がマヌカンになった?とすると、自画像にしていた彫刻→マヌカンであり、多少なりとも自己を投影している部分もあるのかな。

《予言者》1914-15年

なんの予言? なんで一つ目?(目なの?)
こっちのマヌカンは画家であるようなので、より自己投影している可能性が高い。腕もないし。

《神秘的な考古学者たち (マヌカンあるいは昼と夜)》1926年

2体のマヌカンでいけば「形而上的なミューズたち」の8年後にこんなのを描いている。崩れそうにホロホロしてて、それまでははっきりくっきりだったデ・キリコの作風からしたらかなり異質だなと目に留まった。なにかの気まぐれで描いたのか、その後このタッチでは制作してないのでは。
*撮影不可分だったので絵葉書買ってきた。家の電灯が反射しちゃってちょっと変なんだが完璧に写すのもまずいだろうし、「絵葉書だよ」というのがわかってよいだろう、ご容赦を。


《風景の中で水浴する女たちと赤い布》1945年

19年後今度は本格的に描き方を変え古典風になっている。風景の描き方がドラクロワやクールベ? とか解説されていた。それはどうかな…?


《オイディプスとスフィンクス》1968年

(これも撮影不可だったので絵葉書)誰でも知ってるスフィンクスの謎かけに対応するオイディプスの神話。謎を解かれたスフィンクスは身投げするんだったっけ?

この絵でオイディプスは「はて〜、答えはなんだろなあ?」みたいなポーズ(実はすぐわかっているからとぼけてる?)

スフィンクスは、あれ?当てられそうだ。これ当てられたらアタシ(メスなんだっけ?)身投げすんの?😇 みたいなビミョーな表情にも見える。

これは笑かそうとしているのかわからないが、もともとデ・キリコはユーモアのセンスあるよね。

《オデュッセウスの帰還》1968年

これも笑える。ドラえもん道具の「どこでも海〜!」なのか? デ・キリコの過去作品が壁にありドアが開いているから、過去を総決算して新しく旅立つの図という解釈もあるようだ。「帰還」だから素直に戻ってきたんじゃないかな。一度戻ってまた旅立つぞという意味かも。


《瞑想する人》1971年

ワンピースに出てくるキャラみたいに上半身はマッチョで下半身が細い。ちょっとフランキーにも似てるかな。いやドフラミンゴか?

あのウニョウニョの中に何匹か猫が隠れてます!とかいうオチだろうか。

フランキーがでっかく表紙にいる巻って探してみたけど意外にないのね


はあ、二度目でもやはりさっぱりわからん形而上絵画。ふと思ったがデ・キリコって要するに全体パロディなんだよな。なにかの本歌取りを必ずしているような。それも本人にしかわからない数段階の変容を加えて。着想を古典に負ったりするのはいつの時代の芸術家もやっていることだが周りがついていけない。

ピカソも剽窃の芸術家だった。彼の場合は超絶技巧の持ち主だったから時にパクリ元を完全に喰っちまって自分のものとして消化して更に排泄してしまっている。おそろしや。


おまけ「放香堂加琲」

日本最古の珈琲店(加琲店か)だとか。そう名乗るお店日本中にありそうな気もするがまんまと乗ってみた。

お昼前で混んでるかなと思ったら、楽勝で座れた。地方のいいところだ。ここに来るまでの神戸元町・中華街は賑わってたけどね。アーケード商店街はそうでもないのかな。

売り切れ御免の黒毛和牛カレー。「カレーは飲み物!」を具現化したようなスルスルと入ってくるカレーであった。ご飯や福神漬がもうちょっと多いと嬉しかった🍛

コーヒーは、けっこう深煎りだね。そういえば石臼で挽いてるとかで、たしかにそんな荒削りな感じもした。お店に石臼があった。外から窓を通して作業場の石臼が見えるがガラスが光っちゃって写真に写せなかった。

客層は神戸ならではなのか? 英語とかがかなり飛び交っていた。



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