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光琳 国宝「紅白梅図屏風」×重文「風神雷神図屏風」(MOA美術館)

序盤はいつものグダグダ話。展覧会の様子を早く知りたい方は目次でジャンプ!


MOA美術館。名前はよく聞いていたけど来るのは初めて。実は何と読むのかもよく知らなかった。

AIに聞いてみると、

MOA美術館は、「エムオーエーびじゅつかん」と読みます。
「モア」と読んでしまう方もいらっしゃいますが、正式には「エムオーエー」です。

Google Gemini

モアと読んでたの私だよ〜。

MOAとは、創業者の「Mokichi Okada Association」の頭文字を取ったものとのこと。ニューヨークのMoMA(Museum of Modern Art)美術館にあやかったのかな。あっちはモマと読む人が多そうだが。

ともかく最寄りの熱海駅まで朝イチで行ってみた土曜の朝。そこからバス移動がよいようだ。クチコミで見てた通り、こんなに混むのかと驚いた。

9:23発の分にたまたま早めに並んだので無事乗れて座れた。発車直前は乗り切れない人の列がもうバス1台分くらい出来ていた。今日は増発もしてたみたい。

美術館に向けバスは山を登ること登ること。バス停に到着し、降りてもそこから本館へはまだまだ登る。

GoogleマップでMOA美術館までの行き先を検索するとこんな案内になってて、どういうこっちゃ?とは思っていたんだよね。

クルマならこう迂回して駐車場に行くみたい
入口
熱海の海が見える
ネットですでに購入していたQRチケットを見せてエスカレーターへ

エスカレーターでずっと上がっていくのは大塚国際美術館みたい。にしてもどんだけ上まで行くんだ? 3回くらい乗り継いだかな。

なんかプリンみたい🍮
虹色のなんかが見える🌈
おおお🌀
微妙に色が変わる🐌
外に出る
会場は上
海なう
《王と王記》1952-1953年
ヘンリー・ムーア
階段の上から

なんとなく勝手にもっと小さいものをイメージしていた。こんな巨大な建造物であったとは。

見終わってみれば展示数としてはそんなに多くなかったかも。でもこれ大原美術館みたいに山を丸ごとひとつ買っちゃってるわけかな?

創立者は岡田茂吉さん(さっきの Mokichi Okada)という方。お名前は斎藤茂吉にあやかったのか? 箱根の岡田美術館はまた違うのかなと思ってググると(ちょっとAI回答は混乱している)別人だね。

日本人はブールデル好きだねえ
会場へ
《春》11910-1911
リスティード・マイヨール 

マイヨールも好きだよね。髪型がサザエさんみたい。


館内からの眺め
自撮り用にこんなはからいも

ほぼ全作撮影は可能。後で述べるように一部例外あり。

自慢のガラス

ガラスはたしかに透明度高かった。こないだの京都は反射しちゃってどうしょうもなかったっけ。


展覧会の様子

やっと展示会場へ。最初はお着物。

《絖地秋草模様描絵小袖》尾崎光琳

ただの小汚い古着だなとスルーしようとしたがよく見るとなかなかすごい。着物の模様なんてもんじゃなく、ちゃんと本格的な「絵」になってる。いきなりかまされたよ私の中に光琳が降臨✨️


《秋草図屏風》尾崎光琳
絵具盛ってるねえ🌼


国宝「紅白梅図屏風」と重文「風神雷神図屏風」

今回の呼び物だけはちょっとSNS掲載の制約があった。

そうか、なら仕方がない、ルールはルールだ。

《風神雷神図屏風》尾崎光琳
《紅白梅図屏風》尾崎光琳

肝心なところが見えねえww。フル画像はネットでもっと細密なのがいくらでも見れるだろうし、ほんものはぜひ見に行ってください。

風神雷神図はいろんな人のバージョンがあり、たまたまだけど私はすでにだいたいのものを見ていると思う。

元祖俵屋宗達の風神雷神

鈴木其一の風神雷神

酒井抱一の風神雷神も見ているようなのだが、撮影が出来ない頃の記事でなんだかよく分からなくなった…👹

風神雷神の系譜

俵屋宗達
尾形光琳
酒井抱一
鈴木其一

風邪ひいてまんねんでお馴染みの風神雷神図は、こうした琳派の絵師達に代々描き継がれてきたらしい。いわば琳派の「卒業制作」みたいな位置付けなんてことを言う人もいる。
*文末「参考文献」参照

俵屋宗達さんが最初の風神雷神を描いたとされている。ふと思ったのは、今の我々が持つ風や雷の神様のイメージ、風神が持つあの風袋、雷神の周りに広がる雷の音を出すでんでん太鼓(?)などは宗達の風神雷神図で最初から固定されている。

そしたら創始者の宗達はどうやってあのイメージを得たのか?

自然現象の擬人化は太古の昔からあった。古代神話がそれだ。人の力を超える雷や風の自然現象超能力はそれを司る神様が起こしていると考え、それを幻獣にしたり擬人化したりした。超能力を見える化したジョジョの「スタンド」と同じことだ。

たとえば龍は水の神様。クネクネする川の流れと蛇の姿からあの体躯が想像され、角の生えた頭は猛獣からか(なんで魚じゃないのかね)?

風神雷神にも原型があるのだろうか。そんな研究をしている人もいるのかな。

俵屋宗達って…

俵屋宗達の作品もいくつか展示されていたが…

《犬図》俵屋宗達

どうなんだ?このワンちゃんとか?🐕️

そんなにすごい人だったんだろうか?(罰当たりなこと言うな?)

俵屋宗達が最初に風神雷神のイコンを作り出したのであればそれは凄まじい想像力だろうが…。

琳派って…

琳派というのは不思議な流派だ。先達の古典を自分なりに描き継いでいく永遠回帰?

特にこう描くべしなんてのもなく(?)、師匠弟子の関係も基本は私淑するなんて、もう「ワシは琳派の正統な後継者である!」とか言ったもんがちじゃないか。琳派アカデミーとかがあって、そこで認められたら君は琳派だ!みたいな洗礼はないの?

そういう意味では日本の神道に近いのかな。あれも特段書き記された教義があるわけでもなさそうだし(秘儀?)。お寺さんほど神主さんに階層やら第何代目総代とかキッチリしてるイメージもない(あるのかな?)

それはいいとしてこの琳派の系譜図の中に鈴木其一さんを入れてないのが気に入らないな。現代では抱一より其一の人気の方が高いのでは。少なくとも私の中では。

紅白梅図屏風と風神雷神図屏風と夏秋渓流図

尾形光琳は風神雷神の左右にメインキャラを置く屏風絵の構図にヒントを得て梅を描いたみたいな解説がある。そうかもしれんがそんなこと言ったらなんでもそうなんだけど。

たとえばここで展示されていた龍虎相搏つ(へ? りゅうこあいうつ、って漢字でこう書くの?)だってその手のものじゃないか。

《龍虎図》俵屋宗達

むしろ先日久しぶりに見た鈴木其一さんの夏秋渓流図も(かなり魔改造されてるけど)左右のコントラストや真ん中に川を流す構図は、光琳への意識も多少はあったのではと思う。光琳の作品を知らないわけはなかったろうし。

どうも日本画の解説は納得いかないことも多い。制作者も鑑賞者も身内で固まって、外の世界にアピールしていこうという姿勢はあまりなかっただろうからね。もとからよそに説明しようという気がなさそうだ(褒めてます)。

おまけ(美しい庭園とおやつ)

紅葉はまだまだでも美しい🍁
茶屋がある🍵

せっかくなのでお抹茶セットをいただいた。

金時芋羊羹

羊羹が柔らかく、お皿に吸盤のように貼り付いて切って口に持っていくまで往生した。

最後にもう一度風神雷神見て帰ろうかなと思ったけれども、午後過ぎからは大変な人混みになって周れ右しちゃったよ。さて温泉に行こうか。腹も少し減った。羊羹じゃ足らん。


綴からすると「コリーン」じゃないのかな。ムミーンみたい。

検索してみるとムミーンとなってる商品もけっこうあるんだな。ほんとにどうでもいい話であった。


参考文献

以下はだいぶ前(2017年)に根津美術館で行われた講演会のメモ。けっきょくほったらかしだった。せっかくなのでここに埋めておこう。って勝手に掲載していいのかな?

だいぶ前の話だし、現在と状況が変わっていたり、私の聞き間違いや勘違いもあり得ることはご了承頂きたい。

「燕子花図と夏秋渓流図」展講演会「其一と光琳 ―受け継がれる革新―」(岡野智子氏@根津美術館)

また来たよ根津美術館。雨もまた良し、とはいえかなわんな☔

わざわざ来たのは其一に関する(無料)講演のためである。講師は岡野智子さん。細見美術館の方なのか(この時は私はまだ行った事がなかった)。江戸東京博物館にもいらしたとか。

根津美術館のウリは光琳なんだが今日は其一中心のお話になるとの前説。だから私も来たのだが。

「風神雷神と共に西から来た雨女」との自己紹介。持ちネタだろうかw。

「光琳の燕子花図が根津美術館の一番の宝だけど、けっこうスルーする人も多かったんじゃないか。其一夏秋渓流図の方がみんなかぶりつきで見てたね」

確かに光琳のカキツバタ地味だよね。歴史的価値はわかるけど、そんなに名画なんだろうかという気は恐れながら私も正直否めない。

其一夏秋渓流図の解説が続く

・苔や水描写のちりちりは北斎に倣った?
・百合の上に蝉なんかいたんだ! 唯一の昆虫らしい。写実的なようで装飾的?
(そういえば他の作品で蝉の羽化したての激写してたっけ)
・ヒノキの葉っぱは緑青などの顔料がふんだんに使われてるらしい
・主役であるはずの百合はジャマな木の幹の後ろに置かれる作法。これは抱一に倣う?

其一が注目され始めたのはつい最近の事で、琳派展を開催する時、オマケで出してたのに、いつからかお客さんの「むしろ其一の方がよくなくね?」という反応がガンガン来たらしい。私もまったくそうだった。

大規模な?琳派展は板橋美術館での企画展1993年が最初ではないかという。

鈴木其一について日本で識者よりよくいわれるのが、
「琳派を超えた異才」「幕末の異端児」
「毒々しい」?(日曜美術館で言われてたかも?)

でも同時代の広重、国芳、北斎なんかの方がずっと毒々しいじゃん。時代かな。でも其一の方がずっと彼らより上品よ。

其一と広重は共にコロリ(コレラね)で逝去したそうだ。江戸後期を代表する二人の画家は、当時のコロリ犠牲者の台帳によると
 画工 広重
 画師 其一
と記されている。工と師じゃどっちが格上なんだろうねえ?

其一はサービス精神旺盛で、注文された以上の事をしてくれる売れっ子だった。

話は風神雷神図の解説に

風神雷神図は琳派の卒業制作?(今回の記事で書いたのはここでの講演で言われていたこと)

其一の風神雷神は他の人からすると妙に横長。そして布地に描かれている(金箔ではない)分、ザラザラ感がある。

師匠の酒井抱一さん風神雷神図はイマイチに見える(個人の感想です)。怖い鬼が描けなかったのかも?

其一風神雷神は襖の表裏と言われてるけど変だよね? その(横一面に風神雷神が配置された)襖を敢えて開いてみると、光琳さんと同じ距離感になる。(アニメーションで実演!)

*断片メモをもとにここまで書き起こしてみたが、これ以上はムリw

尻切れトンボでおわり

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