2018.05.23 東京都八王子市
2018.05.23東京都八王子市
大気の状態が不安定だ。小雨が降り出している。私は雨がアスファルトを湿らせた時の匂いが好きだ。空気がいつもよりも柔らかい。包み込まれるような生温かさ。
もう、かれこれ2時間は経つのかもしれない。「死にたい…」という女性と話をしている。「死にたい」と言うのは日本語に表現したときのひとつの表現形なのだと言う。そして、それは「消えたい」とか「なくなりたい」、「やめにしたい」とか、そんな風な日本語に置き換えることも可能は可能と言葉にはするが・・・やはり「死にたい」が一番フィットするのだという。
私には、「死にたい」と言う彼女の「死」に対するイメージが理解できない。そもそも、私自身に「死」のイメージがないし、「消えたい」とか「なくなりたい」そんなことを具体的にイメージしたこともない。彼女がどれほどの実感を持ってその言葉を使っているのか。
わからないことは聞いてみるしかないので聞いてみると.
湧いて出て来るのだという。
どちらかと言うと直感に近い。
「あ、私はこの世にいる意味がないんだ・・・」と。
在り様の問題なのかもしれない。being、在る。
在り方の確からしさを私たちは、無意識的に持ち合せている。おそらく母子関係や親子関係、成育環境様々な切り口での考察は可能であるし、それらしき理解を示すことも可能かと思われる。
しかし、目の前の彼女について頭で考察をしたところで、その彼女は「死にたい」と涙を流しながら話をしている。「死にたい」し「消えたい」、「なくなりたい」と。
じゃぁ・・・彼女に私は何が出来るのだろう?数々の言葉がむなしく空を切り、彼女の心には響いていない。
「………」
どれぐらい沈黙が続いただろうか。
私は、うつむく彼女の横でバスを降りて駅に向かう人に視線を向けながら、諦めや投げやりとはまるで違う、不安や悲しみ、辛さ…そんなはっきりとした感情でもない。
生活感に満ちた夕暮れの街の空気から隔絶され
…少し肌寒く、見ず知らずの場所にぽつんと居るような…そんな感覚になったのを覚えている。
「これからどうしようか…」
「帰ろう…」
何も変わらない現実、時間さえも止まったような…
きっとこれから数時間先とか、明日とか
そんなに何も変わらない。
けどなんとなく、彼女が見ている景色に近いものを今日は見たのかもしれない。
少し腑に落ちた感じがした。
「死にたい」とか「消えたい」、ここじゃない感じを。
どんなふうに二人で帰ったのかはあんまり具体的に覚えてはいない。
だけど、そんな風だったんだなと時々思い出す。
私達にできることはなんなのだろう?
様々な言葉が虚しく空を切り、手持ちの武器はなんの役にも立ちそうにない。
でも、今思い出すと…
確かにあのとき、一緒に居ることは出来たんだと。
彼女とともに在ることが出来ていた。
それは彼女が想い描いている在り方ではないのかもしれないけど。一緒に在ることは出来ていた。
一人では在ることが出来ない。
とっても大切なことに気付いたのかもしれない。
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