知られざる鉢の中の事情①
これまで、花屋で鉢植えを買っては枯らし、買っては枯らし…。そのとき鉢植えを買っていたのは鉢単体が気に入ってのことだった。最近、近所のお宅のガーデニングが素晴らしいことに今更気づき、改めて自分でもちゃんと草花を育ててみたくなった。
長年、住んでいるのに、近所のお宅のお花がこんなにきれいだなんて本当に知らなかった。
これまで、あるときは、なんで東京は桜ばかりで他の花を植えないんだろうと思っていた。あるときは、なぜ東京は紫陽花ばかりで他の花を植えないんだろうと思った。そして、次になぜ東京は百日紅ばかり…、なぜ東京は梅ばかり…。なぜ東京は薔薇ばかり…。
やっと、自分がいかに外に出ていないか。周囲を見ていないかを知った。
十数年近所を通って通勤していた間、少なくとも出勤時は明るかったはずだが、花は全く目に入らなかった。
通勤しなくなってからは、外に出る機会が減った。要は自分が偏った花の季節の時だけ用があって外に出ていたから、その花しか目にしなかったのである。そして、やっと母の手を引いて、デイサービスへ往復するようになって初めて、近所のお庭の花に気がついた。
逆にもっと前に近所の庭木で気がついたことがあった。5~6年ぐらい前から近所の高齢化が進み、丹精されていたお庭の庭木が伸び放題になり、主が家から出られないか、施設に行ったかと、悲しくなっていた。案の定、それらのお宅はその後コロナの期間に、相続で売りに出て建て替わった。
そこで、私は、庭がきれいなのは生活の豊かさと若さの象徴であることを知った。豊かでも若さがなくて身体が動かなければ、庭の手入れはできないのだ。
私自身、最近は金銭的だったり、物質的な豊かさよりも、無から有を生み出すような、園芸とか料理とか手芸とか音楽、演劇、アート、そういうものに興味が出てきた。
全然本題に至らぬまま、つづく…。
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