お見舞いと食事
人に心配をかけることはあまりしたくなかったので、必要最小限の人たちにしか私が倒れたことは知らせなかったのだが、倒れたことを知った人たちはお見舞いに来てくれた。
私が入院してすぐにかけつけてくれた人がいた。
その人はとても心配してくれていた。
身内ではないが、身内のように心配してくれた。
その人と喋っていた時、私はベッドでじっとしているだけなのに左の脇の下を汗がつーっと落ちていくのがわかった。
自分でびっくりした。
暑くもなければ身体を動かしているわけでもないのに汗が流れたのだ。
びっくりした。
じっとしているだけなのに汗が出るなんて、びっくりした。
その後そういうことはほとんどなかったが、それでも「普通」ではない自分の身体にただただ驚いた。
そんなことがあり、この時のこのことは印象に残っている。
その人はその後も入院中何度か来てくれて漫画好きな私のために漫画を持ってきてくれたりした。
リハビリ以外の時間はすることがない上に、眩暈が怖くてテレビを見ることが出来なかった私にとって漫画は唯一の娯楽でありがたかった。
テレビを見ることは出来なくても、漫画を見ることは出来たので、その人が持ってきてくれた漫画のおかげで入院中つまらないということもなく過ごすことが出来た。
お見舞いに来てくれた人たちとはお喋りをして楽しい時間を過ごした。
でも喋るスピードは自分でわかるくらい明らかに遅かった。
ゆっくりしか喋られない上にうまく発声出来ない音もあったのだが、それは舌の筋肉の運動機能を失っていたことが原因らしかった。
お見舞いに来てくれた人たちは一様に「今日は寒い」と言っていた。
私は一定温度に保たれた病院の中にしかいないので外気がどうなのかわからず、それを聞いて「外が寒い」ことを知った。
「4月なのに・・・倒れた時はそんなでもなかったのに・・・寒さが戻っているのかぁ」なんて思いながら話を聞いていた。
ある日。
友人がお見舞いに来てくれたのだが、この時の友人の服装はまるで冬を感じさせるような服装だったので、その日はよっぽど寒かったのだろう。
そんな寒い中、友人はわざわざケーキを買って来てくれた。
一緒にケーキを食べながら、内容はもう覚えてはいないが楽しく会話したのを覚えている。
脳梗塞で倒れた私だが、元々低血圧だった(もちろん倒れた時も血圧が上がっていたわけではない)ので、特段の食事制限はなく、お見舞いでいただく食べ物はなんでも食べることが出来て、来てくれた人と一緒に食べた。
ケーキやクッキーなんかを食べる時は素っ気ない入院生活の中でのひとときの幸せを感じられた。華やかな見た目だけでテンションは上がった。
食事制限はなかったが、こんなことがあった。
ある日の夕方頃だっただろうか。
まだ夕食の時間よりも前だったと思う。
母が来てくれていた。
私がものを食べるようになっていたので、母が「水分とビタミンが摂れるから」と私にみかんを食べさせた。
私も何も考えず食べた。
みかんを飲み込んでいっときすると、吐気がきた。
久々の突然の吐気に看護師さんを呼ぶと、みかんや柑橘類は吐気を促すらしく「食べさせちゃダメですよ!」と母は怒られていた。
吐気はその時しんどかったのだが、あの時のことを思い出すと私は可笑しくて笑ってしまう。
みかんがダメなんてこと知らなくて怒られていて、なんだか可笑しい。
みかんを食べてゲーゲーして怒られるなんてなかなかない。
また別の日。
納豆巻が食べたくなり、母に「納豆巻が食べたい」と言ったことがあった。
ちょうどそのタイミングで叔母から「食べたいものある?」と聞かれ、やはり「納豆巻が食べたい」と言っていた。
2人とも納豆巻を同じタイミングで買ってきてくれて、その気持ちは勿論嬉しかったのだが、あの時は納豆巻がいっぱいあって困った。
この時のことも思い出すとなんだか可笑しい。
そんなこともありながら、「食べたい」と思えたことが私は嬉しかった。
食欲そのものがなかったから「食べたい」と思えること自体が嬉しかったのだ。
だってなんだか、生きてるって感じ。
そして実際食べられることも嬉しかった。
「食べたい」と思うことが出来て実際「食べられる」ことがとても嬉しかった。
気が付けば、朝食のパンも「美味しく食べたい」と思うようになっていた。
元々、朝ごはんはお米派だったのだが、ご飯茶碗やお味噌汁の入ったお茶碗なんて持てない身体になってしまっていたのでパン食を選んでいた。
パンならなんの問題もないかというとそうでもなく、パンの種類によってはジャムやマーガリンを塗って食べるもの(例えば食パン)もあり、そのジャムやマーガリンの入った小さな袋の切り口を破るのには難儀した。
なので、ジャムやマーガリンのいらないパン(例えばクロワッサン)の日はほっとしたものだ。全てジャムやマーガリンを使わずに食べたらいいかとも思ったがそこまで諦めたくはなかったのだろう。
美味しく食べたかった。
入院中に誰かが病室を訪ねてくれてお喋りする時間を持てるというのは本当に嬉しかった。